静かな土曜日のメモ

3/15に備蓄についてささっと書いてから1ヶ月近く経った。私の住んでいる都市は非常事態宣言が出た。私が期待していたよりも3週間は遅かったと思う。


期待。


私たちは政治家に正しい判断を期待し、リーダーシップを期待し、安全保障を期待する。隣人には衛生的に正しい振る舞いを期待し、家族には家にウイルスを持ち込まないよう期待し、病める人の治癒を期待し、院内感染が起こらないように期待し、自宅で仕事をする許可を期待し、さらには給料が振り込まれることを期待し、馴染みの店が閉店に追い込まれないことを期待し、海の向こうの国の事態の沈静化を期待し、コロナウイルスのパンデミック以前の日常が戻ってくることを期待する。


期待は失望を産む。


失望、それから怒り。それらを手なづけようとして見る、CNNとBBCとWHO、ジョン・ホプキンス大学の統計ページ、厚労省や住んでいる自治体のウイルス関連特設ページ。感染症や公衆衛生の専門家によるさまざまな発信。大統領や首相や女王のスピーチ。知識や安心や勇気と同時に、より大きな不安を得る。不安に中毒し、さらに自分を不安にさせるような情報を自ら手繰り寄せていく。さらなる疲弊。そして言い知れない諦念。やがて情報を自ら遮断し、内側に引きこもって何日か過ごす。


そうして大きなストレスやパニックに襲われた時のひととおりの感情をくぐり抜け、私は生きている。桜の季節が今年はやけに長い。地面に落ちるまで、ゆっくりと翻弄され続ける白い花びらから目を離せないでいる。青空の下、まだ冷たい春の外気が肺を底まで満たす。ウイルスではない、と言い聞かせながらもう一度深呼吸する。期待ではなく希望について考え始める。





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