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祖父の励まし

祖父は田舎の古い家に生まれた。といっても大地主というわけではなく、戦前は多少小作人がいたという程度の家だ。祖父はGHQに土地を接収されたことには辟易していたし、その後始めた仕事がうまくいかなかったのかもしれないが、嫁いできた祖母の実家に勤めて家族を養った。


そういう意味では地味な社会的人生を送った祖父だが、剣道と居合道では町で一目置かれる存在だった。藩校の流れを組む旧制中学校の出で、師範代だったかの免状をいち早く取ったのが自慢だった。おかげで先の大戦では海軍に徴兵されたが戦場に行くこともなく、国内で兵士たちに剣術を教えて戦争を終えたらしい。定年退職後は町が運営する剣道教室で長くボランティアの指導者を勤め、そのことで度々感謝状をもらったりしていた。


とはいえ剣豪のイメージからは程遠く、私の知る祖父は優しい人だった。晩年まで煙草を喫み、たいして高くもない骨董品を愛で、客を招いては応接間でちょっとビールを飲んで、近所のスナックに出かけるのが好きな人だった。お酒に強くもないのに、付き合いが好きでお人好しだった。気の強い祖母の陰でぺろりと舌を出して、こっそりお小遣いをくれたりするような人だった。


祖父は10年以上前に亡くなった。亡くなる前の数年間はいわゆる老人ボケだったが、暴れたり怒鳴ったりすることもほとんどなかった。自分のした失敗に自分で苦笑いしたり、チャーミングな老い方だった。もはやたいして進行もしない、弱々しい肺癌を抱えたまま、90の歳を目前に老衰で静かに息を引き取った。10代の頃から煙草を手放さなかったわりには上等ではないかと思う。


えらそうにすることもなければ、怒ったり、説教したりすることのない祖父だったが、ひとつだけ分別くさい口癖が「いっぺんばかない人生、負けたらあかん」だった。一度しかない人生だから、負けてはいけないよ。祖父は何か大事な話や、私を励ますようなとき、話の最後に必ずそういうのだった。勝気な子供だった私はいつも留保なくうんと頷いた。


確かに、勝つことは心地良かった。達成感があり、自分を認めることができた。受験にパスしたり、良い点を取ったり、選ばれたり、賞をもらったり。自分にとって難しいと思ったことに挑戦して、うまくいったときは勝ったと思った。挑み、勝敗が決まること。剣の道に生きた祖父らしい教えだと感じていた。勝て、勝つまで粘れ、あきらめるな、祖父はそう力づけてくれていたとずっと思っていた。


人生が折り返し地点をすぎた今、私は祖父のはげましの別の意味を見つけつつある。目の前にひらけているのは、老いていく道、(そうであればという希望も込めつつ)なだらかな下り坂。振り向けば、ささやかな栄光や喜び、小さな挫折。もういなくなったあの人、すれ違っただけの人、二度と会えない人との短い邂逅。一度は意味などないと思った暗い出来事が放つ、淡く愛しい光。あんなに感じた怒りがすっかり溶けて、すかすかになった骨みたいなあの出来事の残骸。勝ちと負けに回収されることのない、想いや出来事の数々。それがなんだったかいまだにわからないようなあれやこれや。


祖父は勝てと言わなかった。


ほんとうの意味で勝った負けたなんて、誰がわかるのだろう。人の一生の長さを考えたら、あるいはもっと長い歴史の時間を考えたら、あるいはもっと長い地球の時間を考えたら、小さな勝ち負けなんて何の意味があるんだろう。


誰かを打ち負かすことではない。敗北に自分の人生を捧げないこと。負けの気持ちを人生に染みつかせないこと。あきらめないこと。「いっぺんばかない人生、負けたらあかん」と祖父が言う時、そこに力みや、好戦的な雰囲気はまったくなかったのを思い出す。彼の人生に何があったのかは知らない。私の前ではそう言ってただいたずらっぽく笑い、テレビの前に座って、のんびりと煙草をふかしていただけなのだった。






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