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【八田家書院】異変・色づきのまばらな紅葉(2023.11.19)

はじめに

 八田家書院は、笛吹市石和町にある県指定の文化財です。また、八田家書院の周囲は八田家御朱印屋敷と呼ばれ、県指定の史跡に指定されています。周辺は石和温泉郷で、こちらの庭は紅葉名所のひとつとされていてます。
 近くまで行った折に立ち寄ってみたものの、モミジの葉の色づきはまばらで、赤と緑で混在するという状況になっております。それでも建物部分に近いところは赤く色づいておりましたので、紹介したいと思います。

先週特にスキを集めた#紅葉最前線レポート応募作品に選出(2023.11.27)

 昨年の様子は拙稿をご覧ください。


紅葉の異変

 山梨日日新聞(2023.11.20付)によれば山梨県内各所で紅葉に異変が起きているとのこと。そがまばらに色づいて赤い部分と緑色の部分と枯れてしまう部分があるといいます。紅葉名所の関係者の嘆きが紹介されていました。
 筆者も山梨県内各地の紅葉が遅れていると思っておりましたが、遅れたままでまばらな色づきがおきてしまっています。理由として11月とは思えぬ夏日があったこと、その後急に冷え込んだことが影響しているようです。まさに八田家書院の庭もそのような状況でした。

八田家書院の庭の混色しているモミジ

八田家と御朱印屋敷(再掲)

 八田家と御朱印屋敷建物や、いわれとなった御朱印について昨年の紅葉記事より再掲いたします。

 八田家は、武田の時代以降この辺りの土地(笛吹市石和町八田)の所有を認められていた豪商です。武田の時代には財政を預かる蔵前衆の一人でもありました。
 御朱印屋敷は、八田氏の城館跡です。建物は1601年(慶長6年)の建築と伝わる書院のみが現存します。立派な表門がありますがこれは明治初期に移築されたものです。ほかの遺構としては、東辺および北辺の土塁と堀跡が残っている程度です。1969年(昭和44年)県指定の史跡に指定されています。

公園側から書院への入口、右の建物は表門の側面 (2022年11月)
屋敷の一部は公園に (2022年11月)

 御朱印屋敷の「御朱印」とは「朱印状」のことで、花押に代わり朱印が押されている戦国時代以降用いられた公式様文書のひとつの形式です。武田家では「龍」の朱印が使われていました。
 八田家には、武田勝頼によりこの地を安堵するという朱印状が残っていますが、1582年(天正10年)に武田氏が滅ぶと織田信長の手の者により屋敷は焼失しました。その後、徳川の天下となり家康から朱印状を得て建物を再建しています。以降は徳川将軍が代替わりするたびに所領安堵の朱印状を受けていました。
 八田家はおもに運送業を営む商人として成功し地域の豪商となるまでに盛り返しました。

家康「福徳」朱印と武田家「龍」朱印

 下記は、武田家からの所領安堵の朱印状です。当時、八田ではなく末木を名乗っていました。

武田家からの朱印状とその解説シート

 下記は、徳川家からの所領安堵の朱印状です。写しのため朱印があることを示す形になっています。

徳川家からの朱印状(写)とその解説シート

八田家の紅葉

 前置きが長くなりましたが、本年の庭内の様子です。
 立派な表門が目を引きますが、石和の代官所の表門であったものを1874年(明治7年)に払い下げを受けてこの地へ移築したものです。

表門の向こうに紅葉が覗く

 表門から入ると、飛び石のある庭が広がります。園内は飛び石が配置され、並びに従って進むと、庭を散策できます。
 書院の建物があり、内部の見学ができます。本年度から屋敷の公開日が土日、祝日、紅葉シーズンのみになりました。庭の散策だけならば常に立ち入りは自由で無料です。

書院の玄関と飛び石の庭

 庭はモミジが目を引きます。例年ならば赤一色になるはずですが、真っ赤に紅葉している部分と緑色の部分、枯れかけた黄色い部分が混在しています。

混色したモミジ
赤く色づいた木も一部には見られます

ムクロジの木

 書院の建物を見学するとムクロジの実をプレゼントされます。ムクロジの実には「子どもが病気をしませんように」とのお守りであるとともに、釈迦がこの実で数珠を作り弟子たちに配ったとの逸話があるとの説明分が添えられています。

ムクロジの実

 このムクロジの実は、庭に一本ひときわ大きくそびえるムクロジの木から採ったものです。

ムクロジの木

公園側から

 御朱印屋敷の公園側にも門があります。たいへん雰囲気のある門です。公園側からのほうが、赤く色づいたモミジの様子を収めることができました。

公園側から庭へ
木々の中に書院の建物

 書院の玄関を公園側から見ています。色づいているところだけを収めるとそれらしく見えます。

屋敷の玄関の方角を望む
モミジとムクロジの幹

書院の建物

 昨年紹介しておりますので、詳細は割愛しますが、建物の雰囲気を見て下さい。

書院の建物
間取りと復元工事の解説

 玄関横に受付があり管理人さんがいます。ムクロジの実はこのときいただいたものです。玄関には衝立と 日本人形があります。

日本人形「舞童女」

 奥の間が一番格式の高い部屋で10畳間です。

奥の間

 掛け軸は、信玄公の言葉「およそ軍勝五分をもって上となし、 七分を中となし、 十分をもって下となす。(以下略)」を恵林寺の前住職が書いたもの。

恵林寺の前住職による信玄公の言葉

 続いて手前が中の間で15畳間です。

中の間
床の間と八田家の古文書ファイル

 縁側には狩野派の絵師による襖絵があります。実物はだいぶ傷んでいて、非公開になっているため、山梨県立美術館監修により制作されたレプリカが公開されています。表が虎で裏は梅にです。

狩野派の絵師による虎
反対側は梅

 庭は書院からよく見えるように作られているため、縁側から見るのがよいです。今年はこのような状況のた観覧者も少なくのんびり縁側で過ごしました。

高くムクロジの木
ムクロジの木とモミジ
飛び石のある玄関の辺りを望む

おわりに

 例年ならば、紅葉の様子を地元NHKや民放局が紅葉の様子を報じて、多くの人が訪れるのですが、このような状況のため訪れる人もまばらでした。残念ですが盆地の紅葉は、このまま終わってしまいそうです。

御朱印屋敷の公園側から



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