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【山梨県立美術館】特別展「アーツ・アンド・クラフツとデザイン」を見に行く

はじめに

 山梨県立美術館では特別展「アーツ・アンド・クラフツとデザイン-ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」(2023.11.18~2024.1.21)を開催しています。
 19世紀後半にイギリスのウィリアム・モリスが提唱したデザイン運動であるアーツ・アンド・クラフツとその広がりを紹介する展示です。全国8会場(広島、山形、東京、愛知、福岡、神奈川、山梨、千葉)を巡回します。(山梨のあと千葉会場が追加された模様です。2024.2.4追記)

サインボード
年始は門松がお出迎え
先週特にスキを集めた#デザインの記事に選出(2024.1.15)

アーツ・アンド・クラフツとデザイン

 特別展「アーツ・アンド・クラフツとデザイン-ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」(2023.11.18~2024.1.21)は、19世紀後半、イギリスから始まったアーツ・アンド・クラフツ運動から20世紀を代表するアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの作品まで、およそ170点の壁紙、布地、家具、金属製品、ガラス製品、書籍の装丁など、暮らしに関係するデザインを紹介する展示です。

チラシの背景はモリスデザインのテキスタイルより
注目の作品と関連イベント

解説シートのテキスタイル

 受付で配布される解説シートは裏面がテキスタイルになっており、折り紙の要領でブックカバーや小物入れを作れます。図柄は4種です。1人1枚の配布とのことで、筆者の場合、同行者の分ももらい、さらに後日再び観覧に出掛け4種揃えました。

作例のブックカバー、フレーム、小物入れ
ウィリアム・モリス《いちご泥棒》 出典 : 解説シート(裏面)
ウィリアム・モリス《るりはこべ》 出典 : 解説シート(裏面)
メイ・モリス《すいかずら》 出典 : 解説シート(裏面)
C・F・A・ヴォイジー《小鳥》 出典 : 解説シート(裏面)

 本展の会場は、撮影可能となっています。ただし、終盤のフランク・ロイド・ライトに関する展示は撮影できません。
 また、ネット上(SNS含む)に使用する場合、作品単体を撮影した画像は公開はできません。筆者もルールに基づき複数作品ごとに撮影した画像のみ使用しております。

ウィリアム・モリス

 ウィリアム・モリス(1834年~1896年)は、デザイナー、詩人、画家、社会運動家と多面な活動をした人物です。
 産業革命の最終期にロンドンで生まれたモリスは、「モダン・デザインの父」と呼ばれ、産業革命後に失われつつあった、職人たちの手仕事による制作活動の復興を目指しました。また、その丁寧な手仕事から生まれる美しさを人々の暮らしに取り入れ、身近な生活と芸術を統合した「美しい暮らし」を主張しました。その思想に賛同したデザイナーや建築家により発展したのが、アーツ・アンド・クラフツ運動でした。

ウィリアム・モリス(1834年~1896年)

第1章 モリス・マーシャル・フォークナー商会とモリス商会

 ウィリアム・モリスは妻との新居である赤煉瓦の家「レッドハウス」の内装を仲間たちとともに手がけたことがきっかけとなり、1861年に仲間たち7人の共同出資によるモリス・マーシャル・フォークナー商会をロンドンにて設立します。そこでは壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の制作をしました。
 1875年にはモリス単独のモリス商会となります。インディゴ抜染法を完成させるなどしたモリス商会の製品は染めや織り中心となっていきます。
 まず、はじめの展示ではモリスデザインによるテキスタイルなど原点ともいえる作品たちを紹介しています。

モリスを代表する作品を紹介

 会場に入ると壁には、モリスデザインのテキスタイルが並びます。モリスやモリス商会のデザインには小鳥や小動物がモチーフとして多用されているといいます。森の中の暮らしを好んだモリスにとって小動物などは身近な存在だったのでしょう。

モリスデザインのテキスタイル

 《格子垣》はとくに初期のデザインですが、自宅の生垣のバラをヒントにしたといいます。バラ、昆虫、鳥が生き生きと描かれたデザインです。

右より
ウィリアム・モリス《格子垣》1864頃
ウィリアム・モリス《果実あるいは柘榴》1866頃
ウィリアム・モリス《マリーゴールド》1875頃

 《るりはこべ》は、小さい画像では分かりにくいのですが、花弁の裏側を見せている大きな花の間からのぞく小さな花がるりはこべとなっています。

右より
ウィリアム・モリス《るりはこべ》1876
ウィリアム・モリス《ひまわり》1879
ウィリアム・モリス《ガーデン・チューリップ》1885

 《リスとナイチンゲール》は大型のタペストリーです。この作者でデザイナーのジョン・ヘンリー・ダール(1859/60年~1932年)はモリス商会に入りモリスからタペストリー製作を学んだモリスの一番弟子です。

ジョン・ヘンリー・ダール《リスとナイチンゲール》1895頃

 続いて、モリスの次女、メイ・モリス(1862年~1938年)のデザインがあります。メイ・モリスはモリス商会では刺繍部門の責任者でした。

左より
メイ・モリス《刺繍パネル》1890頃
メイ・モリス《刺繍パネル》1890頃

 《ロウデン》と名付けられたカーテン生地があります。初期のインディゴ抜染が作られたテムズ川の支流の名前から付けられたといいます。

ウィリアム・モリス《ロウデン》1884

 展示室の中央には、サセックスシリーズの椅子と机があります。
 サセックスシリーズはモリス商会の人気商品のひとつでした。イギリス南東部のサセックス州で見つけた伝統的な民芸家具を基にしたといいます。
 《サセックス・シリーズの肘掛け椅子》を制作したとされるフィリップ・ウェッブ(1831年~1915年)はモリスの生涯の親友です。

左より
おそらくフォード・マドックス・ブラウン《サセックス・シリーズの丸椅子》1865頃
《ライティングデスク》1890
おそらくフィリップ・ウェッブ《サセックス・シリーズの肘掛け椅子》1860頃

 こちらは書籍におけるデザインです。モリスは晩年、書物の印刷工房「ケルムスコット・プレス」を創設し書物の出版もしています。「書物というものはすべて「美しい物」であるべきだ」という願いのもとに美しい活字で、美しい用紙に印刷され、美しい装丁で製本することを実証したといいます。

手前より
ウィリアム・モリス《アミとアムールの友情》1894
ウィリアム・モリス《クースタンス王と異国の物語》1894
ウィリアム・モリス《サミュエル・テイラー・コウルリッジ詩選》1896

 モリスは小説も手がけていて《ユートピア便り》は22世紀のロンドンを舞台にしたファンタジーでモリスの思想、夢から発した物語です。モリスの著作で最も売れたものといいます。
 《ソネットと抒情詩》は、著者のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828年~1882年)は画家で詩人でラファエル前派の中心メンバーです。モリスはかつて20代でロセッティの門下生となり、画家になる志を持っていましたが、それはかないませんでした。

左より
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《ソネットと抒情詩》1893
ウィリアム・モリス《ユートピア便り》1892

 次の展示室へ移ります。こちらの壁にもテキスタイルが並びます。
 モリスによるインディゴ抜染の復活は、天然素材や手仕事へのこだわりであり、近代化、商業主義へ反発であったといいます。

さらにモリスデザインのテキスタイルが並びます

 本展のメインビジュアル的作品で命名のユニークな《いちご泥棒》があります。別荘のイチゴをついばみにきたツグミから着想を得たといいます。

左より
ウィリアム・モリス《兄弟うさぎ(白)》1882
ウィリアム・モリス《イーブンロード》1883
ウィリアム・モリス《いちご泥棒》1883

 上記3点を別角度から写しました。

左より
ウィリアム・モリス《兄弟うさぎ(白)》1882
ウィリアム・モリス《イーブンロード》1883
ウィリアム・モリス《いちご泥棒》1883

 モリスの一番弟子ジョン・ヘンリー・ダールのテキスタイル作品が数点あります。モリス没後に商会のアート・ディレクターになります。

ウィリアム・モリス《メドウェイ》1885
ジョン・ヘンリー・ダール《チャーウェル》1883
ジョン・ヘンリー・ダール《斜文トレイル》1893年
ジョン・ヘンリー・ダール《花づくし》1912~1914

 《2頭のライオン》を制作したトーマス・ウォードル(1831~1909)は染色家でモリスの協力者です。1878年までモリスデザインの14種類の壁紙をプリントしました。

トマス・ウォードル《2頭のライオン》1885頃

 さらにモリスデザインのテキスタイルが並びます。

モリスのテキスタイル

 《孔雀と竜》は中国の鳳凰と竜をモチーフに古いペルシャ絨毯を追求して中世ヨーロッパのタペストリー風に仕上げています。

ウィリアム・モリス《孔雀と竜》1878
ウィリアム・モリス《フリトレリイ(ばいも)》1885
ウィリアム・モリス《柳の枝》1887
ウィリアム・モリス《やぐるまぎく》1892

 キャビネット、椅子など家具製品が並んでいます。《暖炉の衝立(花の鉢)》がモリスによるデザインです。背景の写真は、第5回アーツ・アンド・クラフツ展覧会(後述、1896年)の様子です。

モリス商会の家具製品
左より
《キャビネット》1900年頃
ジョージ・ワシントン・ジャック《サーヴィル肘掛け椅子》1890年頃
ウィリアム・モリス《暖炉の衝立(花の鉢)》1890年

 こちらは、モリス以降のテキスタイルのデザインです。

ジョン・ヘンリー・ダール《エルムコウト》1900年頃
ジョン・ヘンリー・ダール《栗鼠または狐と葡萄》1898年頃

 ケイト・フォークナー(1841年~1898年)はモリスが最初に立ち上げた、モリス・マーシャル・フォークナー商会の創設メンバーで経営マネージャーでした。モリス商会でもタイルや壁紙のデザインを手がけたといいます。

ジョン・ヘンリー・ダール《ゴールデン・リリー》1899
ケイト・フォークナー《マロウ》1879
メイ・モリス《すいかずら》1883
おそらくジョージ・ギルバート・スコット《インディアン》1868~1870

第2章 アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会

 「 アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会」に関わった作家たちのデザインや製品を紹介しています。
 「 アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会」とは造形芸術家や建築家が集まり1887年創設した造形団体です。定期的に「アーツ・アンド・クラフツ展覧会」を開催し造形芸術を発表しました。1891年からはウィリアム・モリスが協会の会長を務めています。
 この展覧会の継続とともに、アーツ・アンド・クラフツの思想はイギリス全体へ浸透し、さらには欧米を中心に広がり、日本にまで波及したといいます。
 展示はランプ、タイル、テキスタイル、書籍など多彩です。

多彩な造形作品

 壁には協会に関わった造形作家たちのテキスタイルデザインが並びます。

関わった作家たちのテキスタイルデザイン

 ウォルター・クレインのデザインが数点展示されています。ウォルター・クレイン(1845年~1915年)はアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会の中心的人物で、初代会長を務めました。

右より
ウォルター・クレイン《夏》1870
ウォルター・クレイン《ミュージック(2枚組)》1870

 孔雀は美の象徴でもありクレインが繰り返し使用したデザインです。

右より
ウォルター・クレイン《孔雀》1860~1970年代
ウォルター・クレイン《オレンジの樹》1886

 C・F・A・ヴォイジーは、アーツ・アンド・クラフツの中で最も革新的な建築家です。壁紙のほか家具、タイル、陶磁器、金属細工など優れた作品を残しています。壁紙はモリスと同じような草木、小動物といったモチーフの繰り返しデザインですが、簡潔かつ抽象化を進めたデザインは次の世代に影響を与えました。

右より
ウォルター・クレイン《シルク・ダマスクのドイリー》1983
C・F・A・ヴォイジー《小鳥と花「エセックス・No.A.14」》

 ルイス・フォーマン・デイ(1845年~1910年)は、ステンドグラスメーカーでの勤務を経て壁紙、タイル、テキスタイル、家具、さまざまなデザインを手がけました。アーツ・アンド・クラフツ協会に参加するとともに、自らも装飾家集団「ザ・フィフティーン」を結成するなど重要な役割を果たした人物です。

右より
ルイス・フォーマン・デイ《花と葉》
C・F・A・ヴォイジー《小鳥》1918年頃マン・デイ《ニュードット》1898
右より
C・F・A・ヴォイジー《花》1900頃
C・F・A・ヴォイジー《ポピー》1895頃
左より
C・F・A・ヴォイジー《ふくろう》1899頃
C・F・A・ヴォイジー《小鳥》1818頃

 『ステューディオ誌』は1983年出版の美術と工芸の雑誌です。ヴォイジーが表紙を担当しました。二人の天使の姿は「実用と美」の融合を意味するといいます。

表紙デザイン : C・F・A・ヴォイジー『ステューディオ誌』創刊号 1893

 再びウォルター・クレインですが、こちらは彼の著作です。

手前より
ウォルター・クレイン『幼子のオペラ』1877
ウォルター・クレイン『夏の女王、あるいは百合と薔薇の騎馬試合』1891
ウォルター・クレイン『1898年イースターアート』1898
ウォルター・クレイン『花のファンタジー』1899
ウォルター・クレイン『フローラの饗宴』1899

 卓上ランプやペンダントライトが目を引きますが、ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソンの作品です。
 ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン(1854年~1924年)はモリス商会のために家具などをデザインしました。アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会の主要メンバーのひとりであり、モリス没後はモリス商会の代表も務めました。

ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《ケトルとスタンド》1900頃
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《卓上ランプ》1900頃
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《ペンダントライト》1898年
自身の作品に囲まれて仕事するベンソン
左より
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《ケトルとスタンド》1900頃
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《卓上ランプ》1900頃

 ベンソンは機械生産を工房に採用して、ショールームを開設、人気商品の特許登録など商業的に成功を収めています。卓上ランプは特に人気商品でした。

左より
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《卓上ランプ》1890年頃
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《卓上ランプ》
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン《卓上ランプ》

 鮮やかなタイル作品が並びます。モリスを始め、ケイト・フォクナー、C・F・A・ヴォイジーなどのデザイナーの作品たちです。

タイル作品
タイル作品

第3章 英国におけるアーツ・アンド・クラフツの展開

 モリス没後のイギリスにおけるアーツ・アンド・クラフツの展開を紹介しています。アーツ・アンド・クラフツ運動は展覧会とは別の形で広く展開され、イギリス各地に波及していきます。
 とくにリバティー社は、婦人服から金属製品、家具などさまざまな商品を製作販売しました。日本、中国、インドなど東洋の美術品の輸入など先進的な活動も行い、アーツ・アンド・クラフツにおける貢献が大きいといいます。
 リバティー社は、1875年にアーサー・ラセンビィ・リバティ(1843年~1917年)がロンドンにリバティー商会を開設したことに始まります。リバティー社は機械も取り入れながら、高い基準のジュエリーを量産することに成功します。イギリスでもっとも商業的に成功をしたアーツ・アンド・クラフツでしたが、モリスの出発点である機械化に対する反発とは逆の思想が商業的に成功したような形になりました。

ガラス製品、金属製品など展示の概観

 美しいガラス製品が並びます。中央のケースの扇形の花器は特に目をひきます。

《カットガラスの扇形花器》
《ワセリンガラスの扇形花器》

 別のケースには、ジェームズ・パウエル・アンド・サンズ社製のガラス器が並びます。モリスの「レッドハウス」のガラスを製造したほか、中世のステンドグラスの色彩の再現を開発しています。

ガラス器の並ぶケース
左より
おそらくハリー・パウエル《ゴブレット花器》
おそらくハリー・パウエル《タツア(脚つきカップ)》
おそらくハリー・パウエル《ゴブレット花器》
左より
《ストローオパール・ガラス花器》
T.G.ジャクソン《デカンタ(ペア)》
左より
《扇形グリーン花器》
ウィリアム・バトラー《繊状模様のボウル》
ウィリアム・バトラー《繊状模様のボウル》
《ボウル》

 続いての金属製品が並びます。

左より
おそらくジョン・ピアソン《銅縁の鏡》1890
ジョン・ピアソン《銅小箱》1904

 ピューター製のコーヒーセットなどは、アーチボールド・ノックス(1864年~1933年)の製品です。ピューター製品は銀器より安価で機械生産を通して多く提供されました。
 ノックスはリバティ商会でケルト系リバイバルを取り入れたピューター製品など金属製品を多数デザインしました。

アーチボールド・ノックス《ピューターのティーとコーヒーセット》1903頃
アーチボールド・ノックス《ピューターとエナメルの3点組ティーセット》1900頃

 続いて、チャールズ・ロバート・アッシュビー(1863年~1942年)の銀製品が並びます。アッシュビーは1988年にギルド・オブ・ハンドクラフトを結成して木工、金工の作品を制作しました。

チャールズ・ロバート・アッシュビー《蓋付きマフィン銀皿》1900頃
チャールズ・ロバート・アッシュビー関連作品《コーヒーポットとミルク、砂糖入れ》1944~1945頃
オマー・ラムスデン《銀スブーン》1922
チャールズ・ロバート・アッシュビー《シール・トップ・スプーン》1927
《銀パターナイフ》1910頃
バーナード・インストーン《銀、エナメルの珈琲スプーンセット》1924
アーチボールド・ノックス《ウェールズのミルク用水差し》1904頃
チャールズ・ロバート・アシュビー《緑のガラスと銀製の塩入れ》
チャールズ・ロバート・アシュビー《銀製ポーリンガー》1907
エドワード・スペンサー《銀ボウル》1915頃
アルバート・エドワード・ジョーンズ《銀製宝石箱》1900頃
アーチホールド・ノックス《ピューターとエナメルの置時計》

 椅子やキャビネットなど家具製品です。

《ミュージックキャビネット》1890頃
《テーブル》19世紀後半頃
手前より
フィリップ・クリセット《肘掛け椅子》1890~1913頃
アーネスト・ギブソン《ビーデイル・チェア》1910年代
ゴードン・ラッセル《肘掛け椅子》1920年代頃

 《チューリップとリリー》のリンジー・フィリップ・バターフィールド(1869年~1949年)はモリスの影響を受けたデザイナーのひとりです。多数の植物デザインのテキスタイルを手がけリバティ商会などに提供していました。

左より
リンジー・フィリップ・バターフィールド《チューリップとリリー》1896頃
《ポピー》1885頃
手前より
おそらくハリー・ナッパ―《カーテン布地》1890年代
《ジャガード織り布地》1900頃
《ジャガード織り布地》1900頃
《リバティ・テキスタイル(別珍)》
《リバティ・テキスタイル(ウール)》
《リバティ・テキスタイル(木綿)》

 《カーテン布地》《ジャガード織り布地》《ジャガード織り綿布地》はシルヴァー・スタジオ製で1880年にアーサー・シルヴァーによって設立された出来スタイルのデザイン事務所です。

おそらくハリー・ナッパ―《カーテン布地》1890年代
《ジャガード織り布地》1900頃

 リバティは優れたデザイナーを採用し、シルクを捺染したテキスタイルなどリバティ・テキスタイル販売して人気を博しました。

《ジャガード織り綿布地》1900頃
《リバティ・テキスタイル(別珍)》
《リバティ・テキスタイル(ウール)》
《絹織物》1900頃
ジョージ・フォークナー・アーミテージ《シルケット加工布地》1900頃
《リバティ・テキスタイル(木綿)》

 続いてのケースはには、リバティ商会の製品を中心とするネックレスやペンダント製品があります。

見事なペンダント、ネックレスが並びます
中央
ジェームズ・クロマー・ワット《ホワイトメタルのエナメル・ペンダント》1920頃
左より
《ペンダント》1900頃
《銀とエナメルのペンダント・ネックレス》1909
左より
おそらくエドワード・スペンサー《銀とムーンストーンのネックレス》
チャールズ・ホーナー《銀とエナメルのペンダント・ネックレス》

 続いて、バックルやブローチ類です。

左より
《銀とエナメルのバックル》1908
《セルティック・リバイバル・ペナニュラ・ブローチ》20世紀初期
《セルティック・リバイバル・ペナニュラ・ブローチ》20世紀初期
《銀とエナメルのブローチ》1905年頃
アーノルド・ロックス《銀とエナメルのブローチ》1903年頃
ジェームズ・フェントン《銀とエナメルのブローチ》1907年頃
アーノルド・ロックス《銀とエナメルのブローチ》1903年頃
マリイ・ソウ様式《グラスゴー派・銀の手彩ブローチ》1910年頃

 最後はブレスレットです。

シビル・ダンロップ《銀とアメジストとペリドットのブレスレット》
《銀とエナメルのブレスレット》

 スコットランドの画家、ジェシー・マリオン・キング(1875年~1949年)の挿絵作品です。アール・ヌーヴォーを思わせる挿絵で知られます。

左より
挿絵 : ジェシー・マリオン・キング『エレーン : 国王牧歌』1903
挿絵 : ジェシー・マリオン・キング『グィネヴィア : 国王牧歌』1903
左より
表紙 : ジェシー・マリオン・キング『若者のための教訓的な物語』1904年
表紙 : ジェシー・マリオン・キング『ロビンフッドの人生の冒険』1904年

山梨の生糸との関わり

 リバティ―社の東洋からの輸入を積極的に行いましたが、その背景のひとつとして1859年(安政6年)の横浜開港がありました。日本からの輸出品の首位は生糸でした。養蚕が盛んであった山梨からも、東油川村(現笛吹市石和町)の篠原忠右衛門(1809~1891)が甲州屋という屋号で横浜に店をかまえ輸出していました。また、在家塚村(現南アルプス市白根町)の若尾逸平(1821~1913)も生糸の輸出で財を成し、その後甲州財閥と呼ばれる実業家のひとりとなりました。

篠原忠右衛門 出典 : 山梨県立博物館HP

 リバティ社設立の前年である1974年(明治7年)に山梨では大規模な官主導の機械製糸工場が現在の甲府市中心部に作られ生糸の輸出に貢献しました。

勧業製糸場 出典 : 山梨県立博物館HP

第4章 アメリカでのアーツ・アンド・クラフツ

 アメリカでもアーツ・アンド・クラフツ運動が広がっていきました。
 アメリカでは、ティファニースタジオの宝飾品などがブランドデザインの源流になりました。

ランプやティファニーの卓上製品が並ぶ

 『ザ・クラフツマン誌』のバックナンバーがケースにあります。スティックリーの工房であるユナイテッドクラフツメンの機関紙として1901年から1616年まで発行され、アメリカのアーツ・アンド・クラフツ運動に大きな役割を果たしたといいます。

グスタフ・スティックリー『ザ・クラフツマン誌』vol3,5,6,23,25

 イスとテーブルが並びます。背景のパネルは「椅子を制作する職人たち」

左より
レオポルド・アンド・ジョン・ジョージ・スティックリー《ロッキング・チェア》
スティックリー・ブラザーズ《スピンドル・テーブル》
《机と椅子》1912年~1924年
グスタフ・スティックリー《スピンドル・サイドチェア》1907~1910頃
《8枚のパネルのマイカランプ》1910頃

 ティファニー・スタジオは、ティファニー商会の創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812年~1902年)の長男でガラス工芸作家で宝飾デザイナーのルイス・コンフォート・ティファニー(1848年~1933年)の設立したガラス器製造の会社です。彼もモリスの影響を受けたアメリカのデザイナーの一人です。ティファニー・スタジオは家庭用品のほか文具セットなど手がけました。

ティファニースタジオの様子
ティファニースタジオの様子

 展示には、ユリ型の卓上ランプがあります。ユリ型の卓上ランプはティファニー・スタジオでもとくに人気を博した商品だといいます。

《三輪のリリィのテーブル・ランプ》1910頃
《三輪のリリィの黄金ランプ》1901~1925

 続いてティファニー・スタジオの金属製品です。

左より
《パインニードル模様のスタンプボックス》
《卓上用ピクチャーフレーム》
《脚のあるグラス》1905頃

 さらにティファニー・スタジオの卓上製品が並びます。

ティファニー・スタジオの卓上製品
左より
《葡萄のつるに覆われたインク壺》
《パインニードル模様のペン置き》
左より
《くも模様のペン皿》
《デスク・カレンダー》

 ザ・ロイクロフターズの製品2点です。ザ・ロイクロフターズはモリスの印刷工房「ケルムスコット・プレス」の製品に共感したエルバート・ハバード(1856年~1915年)によってニューヨーク州に設立された職人のコミュニティです。シンプルなデザインの銅製品を最も得意としたといいます。

左より
《フクロウのブックエンドと吸取紙の台》
《パーペチュアル・カレンダー(万年暦)》

 モリス没後、アメリカでは、ボストン、シカゴ、デトロイドなどの都市でアーツ・アンド・クラフツ協会が設立されました。建築家フランク・ロイド・ライト(1867年~1959年)は、シカゴ・アーツ・アンド・クラフツ協会のメンバーでした。ロイドは建築家でしたが、ステンドグラスや照明、家具なども手がけ、建築と内装の統一を重要視していました。また、ライトはモリスとは異なり機械化による直線的な模様をデザインしました。
 最後の展示として、ライトが手がけた邸宅のステンドグラスのドアや窓が展示されていますが、こちらは撮影は一切不可となっております。

 ティファニースタジオも機械化により、ランプや食器、卓上製品などを広くアメリカの家庭に行き渡らせました。アメリカのアーツ・アンド・クラフツは機械化の製作を受け入れ大きく広がっていったのです。

ミュージアムショップ

 ミュージアムショップでは、アーツ・アンド・クラフツのデザインを使ったグッズが沢山あり見ていて楽しくなります。

ミュージアムショップの概観

 展覧会の定番のクリアファイルとノートですが、ノートは普段使いにもおしゃれで良さそうです。

ノート、クリアファイル

 他にもつい手に取りたくなる小物があります。こちらは、卓上カレンダーです。隣はステッカーです。

卓上カレンダー、ステッカー

 図録も好評です。筆者は隣にあるハンカチを購入しました。

図録、ハンカチなど

 通路側の壁には額とセットになったデザインのポスターとプリントされた傘がありました。

額に入りデザインポスターと傘

おわりに

 出品点数が多く、撮影可能なため、画像も紹介内容も多い記事になってしまいました。やや気になったのはフランク・ロイド・ライトについて、副題に挙げているのですが、そのわりには作品数も解説も少ないように感じました。

 さて、こうして美術鑑賞できるのも平穏な日常があるからです。
 元日に能登地方を襲った地震災害は、いまも避難生活や行方不明者が多くおられます。被災された方々にお見舞い申し上げるとともに一日も早く平穏な暮らしに戻れることを祈っております。

美術館の窓から見えた正月の富士

参考URL
ウィリアム・モリスの世界
https://www.william-morris.jp/ (2024.1.8閲覧)

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