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【信濃境駅】縄文、そして「青い鳥」を訪ねる駅

「きよすみ駅長」の出現、を追記 2023.4.9

はじめに

 信濃境駅はその名のとおり、信州の境に所在します。JR中央本線を山梨県側から長野県に入り最初の駅です。
 特急の止まらない小さな無人駅ですが、井戸尻考古館の最寄り駅であるとともに、ドラマ「青い鳥」(1997年TBS系、2023年1月~3月BS-TBSで放送)で登場した「清澄駅」であり、ドラマの聖地としてこの駅を訪れる人はいまも少なくありません。
 それぞれのファンたちがこよなく愛する信濃境駅を紹介したいと思います。

信濃境駅

 信濃境駅は、1928年(昭和3年)11月1日に開業しました。駅舎は開設当時からの建物です。
 国鉄時代の1984年(昭和59年)までは駅員が配置されていて、その後は、2017年(平成29年)3月までは簡易委託としてシルバー人材の方たち(鉄道OB)が着いておられました。簡易委託時代は手売りで切符が買える数少ない駅でした。現在は無人となっていて駅を管理しているのは茅野駅です。

無人化に際して対応したSuica改札

 事務室にはすべてカーテンがかかっていますが、乗車証明発券機とSuica改札機が置かれたほかは簡易委託時代のままです。改札を通ると下りホームです。また、こ線橋を渡ると上りホームになります。

下りホームと駅舎
上りホームに入線する小淵沢行き普通列車

 駅前にロータリーがあり下り坂の道があります。かつては商店が立ち並んでいた町の並びですが、ほとんどの店にはシャッターが下りています。

ロータリーから見た駅前通り
駅前通りから駅の方を望む、右側手前は旧境郵便局

 駅前の西側には、貨物の積み込み場がありました。あまり情報はありませんが古い写真では木材などが積み込まれていたようです。現在は境郵便局が移転し、駅利用者の駐車場にもなっています。

境郵便局(左)と町設置の公衆トイレ(右)
駐車場の奥は消防団の小屋

 奥に消防団の詰所がありますが、その裏手に柵があります。この向こうで本線に合流していたことが分かります。

消防詰所の奥から見た合流地点

開駅への道

 中央本線の開通時期は、東京―甲府が明治36年、甲府―上諏訪が翌明治37年、東京―塩尻―名古屋の全通は明治44年です。つまりこの辺りの中央線は明治37年に上諏訪まで開通していましたが、駅のない境村、落合村(いずれも現在は富士見町の一部)の人々は徒歩で小淵沢駅あるいは富士見駅まで行って鉄道に乗るという不便をしいられていました。
 駅の設置に関する地元の区の代表たちの様子は「武藤盈『開駅秘聞・南瓜物語』1958 (開駅90周年配布資料、2018)」に詳しいです。
 作者の武藤盈氏は農業の傍ら写真家であり郷土研究家でした。井戸尻考古館の前身である「境史学会」「井戸尻保存会」にも参加されていました。考古館に隣接する歴史民俗資料館の展示写真は武藤氏の撮影です。挙げた資料は、開駅30周年式典で、当時池袋いけのふくろ区の区長をされていた武藤氏が作成し記念式典で上演した演劇の台本です。90周年に合わせ復刻し配布された貴重な資料です。
 それによれば、地元より駅設置の最初の請願書が出されたのが1921年(大正10年)でした、再び1925年(大正14年)より駅設置について4年間の運動が実り駅設置が実現されることとなります。

開駅功労者の写真(開駅30周年の時のものと思われる)
左より3人目が境村長、4人目が小川平吉鉄道大臣、5人目が期成同盟会長、ほか4名は委員

 しかし、地元負担金4万2300円の苦心した区の代表たちは、不足分の1万円について地元選出の代議士で鉄道大臣にあった小川平吉のもとへ相談に行きます。
 小川は私情でまけるわけにはいかないと言い、その代わり駅の規模を縮小するよう設計変更させるので、頃合いを見て鉄道省へ相談へ行くよう手筈をとりました。また、政友会の小川にとって同じ選挙区でいわばライバルの民政党の丸茂藤平(1882年~1956年・明治15年~昭和31年)にも協力を仰ぐよう知恵を授けたといいます。さらに、鉄道省は駅名を「森下駅」にする計画でした。代表たちが「信濃境駅」を要望すると、小川はうなずいたといいます。

歴史民俗資料館に武藤盈氏による展示写真がある

小川平吉

 駅前には鉄道大臣小川平吉の筆による新駅開業の記念碑があります。
 小川平吉(1870年~1942年・明治2年~昭和17年)は神戸ごうど村(現在の富士見町の茅野市寄り)の出身の政治家です。次女が第78代総理大臣宮澤喜一の母です。
 ただ、小川は駅開業の翌年の1929年(昭和4年)私鉄買収に絡む収賄で有罪になり、政界を引退しています。
 富士見町には旧小川別荘である帰去来荘が残っています。
 簡易委託されていた近年まできっぷ売り場の窓口の上に小川の肖像写真が飾られていました。それだけ地元の感謝の気持ちが大きかったようです。現在肖像写真は外されています。

小川平吉
小川平吉の揮毫の記念碑、隣には井戸尻遺跡の碑が並ぶ

「青い鳥」を探して

 この駅を全国的な知名度にしたのはTBS系のドラマ「青い鳥」(1997
年)ではないでしょうか。脚本野沢尚、主演豊川悦司でした。ドラマでこの駅は主人公が勤める「清澄駅」としてロケが行われました。

「青い鳥」のワンカット 出典 : TBSチャンネル

 25年も昔のドラマなのに、この駅を訪れる人が絶たないのです。
 そのことを示すのが「青い鳥を探して」という駅ノートで、現在のものは19冊目です。最新でもドラマを見てやってきた人たちの書き込みが続いています。

ノートと収納ボックス

 筆者はDVDで鑑賞したのですが、ドラマの前半は駅のシーンも多く改札で挟みをクルクルっと回すカッコいい豊川さんや、子役の鈴木杏さんとその母夏川結衣さんとの交流が描かれていました。後半は、夏川さん鈴木さん親娘を連れた豊川さんの逃避行劇になるため清澄駅のシーンはほとんどありません。

豊川悦司の駅員姿
ロケ地マップと劇中カット

 下りホームには鳥かごがあって「青い鳥」が入っています。

鳥かごと清澄駅の館内版

 劇中に登場した駅前はすっかり変わりました。キヨスクのセットのとなりにあった古いトイレは場所を変え町で管理のトイレ変わりました。
 駅前通りの食堂しなのは健在ですが、劇中で理髪店になっていたやまびこ食堂はすでに閉店、少し前まで八ヶ岳観光タクシーというタクシー会社がありましたがは新築の住宅に変わっています。
 ちなみに、駅前の店舗の二階にスナック「青い鳥」というのがあったそうですが、10年ほど前に閉店しています。

「きよすみ駅長」の出現(2023.4.9追記)

 2023年BS-TBSにて再放送についは前述しましたが、再放送を見た「きよすみ駅長」を名乗る人物が掲示板にメッセージを投稿した旨の長野日報(2023.1.27)の記事を見つけました。
 残念ながら、この放送を見るまでドラマのことも、鳥かごの存在は知っていても意味を知らなかったと述べています。それで駅長を名乗るとは、ファンが聞いたら激怒しそうですが・・・。
 ただこの記事が出たことで再放送を知った町内の方たちもいたようなので、一役買ったことになります。

待合室に貼られた記事

 鳥かごの横の掲示板に「きよすみ駅長」の最後のメッセージ。白い鳥を入れたとのこと。鳥は理森よしもりとしおりだとか。

しおりが見つめる鳥かごは白い鳥でした
鳥かごの中は青い鳥と白い鳥になりました

五千年前まで徒歩15分

 また、この駅は井戸尻考古館への最寄り駅です。
 縄文遺跡は駅から徒歩で向かえるところは意外に少ないのですが、こちらは15分という徒歩圏内です。
 停車中に見える「高原の縄文王国」「井戸尻考古館」という案内板を目にしている人は多いはずです。

列車から見えるトイレの壁面には「縄文王国」

 近年は「五千年前まで 徒歩15分」という案内板も駅舎内に設置されています。 
 駅から道なりに下り坂を15分歩くと縄文時代中期(5000年前)の土器、石器が並ぶ井戸尻考古館です。

ちょうど駅舎の扉のところに「徒歩十五分」と

 井戸尻考古館については拙稿もご覧ください。

 井戸尻遺跡に関する写真は昔から駅舎内にありましたが、たいぶ古くなってきたため、近年、井戸尻応援団が中心となり新しいものに交換されました。

神像筒形土器や土偶始祖女神像など
おなじみの水煙土器や昔の写真
この額のについては考古館でも謎とのこと
左の「青い鳥」コーナーの隣には井戸尻遺跡公園の写真

 無人となった事務室のホームに面したところに縄文土器が飾られています。地元の愛好家の方たちが制作したものです。この出窓のような変わった形の場所はかつて信号設備の制御盤を置いていた場所だそうです。

地元愛好家が制作した土器
駅事務室から出窓のようになっています

 外には、井戸尻考古館、遺跡をPRするのぼり旗が翻るなど、このところ富士見町と商工会による縄文の推しが活発です。

のぼりは「井戸尻マジスゲェ」「キテるぞ井戸尻」

 ほかに、地元出身の歌人森山汀川ていせん(1880年~1946年・明治13年~昭和21年)の解説および短歌作品が掲示されていました。

森山汀川と短歌作品

おわりに

 実はこの駅を目的で訪れる人は車が多いようです。車で立ち寄りトイレ休憩をして駅舎をバックに写真を撮っている方は珍しくはありません。
 駅前に郵便局があり人通り、車通りはあります。無人化以降は町立図書館の返却ポストが設置されていたりして、図書館の職員も巡回に一役買っているようです。無人駅にありがちな荒れた感じはしません。大切に守られている印象です。
 駅前通りは駅が設置されて商店が建ち並んだもので、田舎の駅前の雰囲気を残しています。天気が良ければ富士山を見つけることが出来ます。駅の建物とともに変わらずに残ってほしい景色です。

民家の間からのぞく富士山

参考資料
武藤盈『開駅秘聞・南瓜物語』1958 (開駅90周年配布資料、2018)

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