父と将棋

私は将棋を見るのが好きで(指すほうは全然ダメ)、ときどき将棋連盟Liveで対局を見たりする。以前、子どもに駒の動かし方を教えていたら、それを見ていた母がポツリと、「あなたの父さんも将棋が好きだったよ」と言った。

え、そうなの?と私は少し驚いて聞き返したのだったが、私の記憶にある父は、将棋ではなく囲碁の好きな人だったのだ。子どもの頃、父が何度も私に囲碁を教えようとしたのだが、忍耐力のない私はまともに覚えられなかった。父はつまらなそうにしていた。一方、将棋は面白くてすぐに覚えて、小学生の頃はよく遊んでいた。同年齢くらいの男子には負けなかった覚えがある。

私は父と将棋をした記憶がない。父の好きなのはあの黒と白の地味でよくわからない碁なのだ、と思っていた。つるつるした碁石をおはじきやままごとにして遊んでは叱られていた。

母が言うには、父は独身の頃は将棋が好きで結構強かったのだそうだ。結婚して母の生家で暮らすようになってからは、近所に将棋を指す人が見つからず、かわりに囲碁の強い人がおられたので、その人と対局するのを楽しみに囲碁に切り替えたのだったらしい。知らなかった。

母が「似るんかねえ」と静かに言った。以前も母がそう呟いたことがあったのを思い出す。私が議会で都市計画を所管する委員会で仕事をしていた時だ。

土木や住宅政策の話に夢中になって、関連の本を読み漁って質問原稿を書いていたら、「あなたの父さんも県庁で土木の仕事をしていたよ」と母が呟いた。
え、そうだったっけ、と驚きながら、既に遠い記憶になりつつある父のことを思い返した。そうだ、確かにそういう仕事をしていたような気がする。

父と離別して20年、死別して17年になる。父の死因は自死である。

私は子どもの頃から父に似ていた。色々な複雑なことがあって父のことは苦手だったが、自分が父に似ているのは何となく感じ取っていた。
昔は、知らないうちに似てしまうことを恐れていたが、今はなぜだかとても懐かしいのだ。

私は長い間、父のことを直接的に考えないようにして生きてきた。けれど、進路を選択する時、その動機にはいつも父の問題があった。人生のどの転機にも父の問題は私について回った。無意識のうちに。長い間。
私は父という人間を理解するために、ずっと悩み続けているのかも知れなかった。

なぜ父は家族を愛さなかったのか、それともあの人なりの形で愛していたのか、父が父自身を愛することをなぜ放棄していたのか、そのことをずっと考える。
その問いはまっすぐに「なぜ私という子どもは愛されなかったのか」という言葉に置き換わってしまいそうで、私の思考はいつもそこで閉ざされてきた。

でも、少しずつもやが晴れていくような時期にも来ているのを感じる。愛し愛される関係の偶像性に、私は父という存在を通して本当はずっと昔から気がついていたのだと認めねばならない。ずっと小さな頃から、もうわかっていたこと。それを書き換えようとしていた。

将棋盤を見るとそんなことを思う。

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