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知っている

やっぱり私たちは「本当のこと」を元々は知っていた

そしてその「本当のこと」は「不変である」ことも知っていた

知っていたのだと思う


私が、この数年追い求めていることは、ただの興味関心からここまでくるのだろうか。この、飽きっぽい人間がここ何年も(いや、多分正確には子どもの頃から)ずーーーーーと心の奥底で同じことを考えているのだ(ということにここ数年で気がついた)。そして見渡せば、同じことについて考えている人たちが沢山いる。


私は今、ある方のブログをむさぼるように読んでいる。そして影響されまくっている笑。以前も読んだことのある、その時はどうにもよく理解できなかった記事が、どんどん入ってくるので止まらない。

読みながら思う。

同じ時代に生まれてよかった。この人に会えて本当によかった、と。

私がこれまでの人生において、自分ごとで勝手に悩んでみたり苦しくなってみたりゴチャゴチャと時間を使っている間にも、その人は「本当のこと」を追求し続けていた。そして得た智恵を、惜しげもなく伝えてくださることに、本当に心からの感謝しかないからだ。

人間の寿命は短い。100年ほど生まれてくる時期がずれてしまえば、実際に会うことは難しい。そう思うと、やっぱり行きたいと思う場所には行かなくてはならないし、会いたいと思う人には会いに行かなければと思う。

しかし同時に人間は時間を飛び越えて人の思想や哲学を知ることができる。それも素晴らしいことだし、そのこと自体も本当に面白いと感じる。人とも出会いだが、本も出会いだと言う人もいる。この世界には、たくさんの人と膨大な数の本で溢れているが、全ての人には出会えないし全ての本を読むこともできないからだ。

ちょっと話がずれていった。

時間はあるようで、ない。意識は時間を飛び越える。でも肉体的な制限はあるというジレンマ。ジレンマ〜!

老いていく肉体を抱え、朽ちていく物質に囲まれ、変わらずに在る、を思い出しているところ。


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