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村八分

村八分。
この世に何人経験者がいるのだろう。

若者たちやシティピーポーのために、念のため説明をしておく。

村八分(むらはちぶ)とは、村落(村社会)の中で、掟や秩序を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)である。転じて、地域社会から特定の住民を排斥したり、集団の中で特定のメンバーを排斥(いじめ)したりする行為を指して用いられる。(Wikipedia参照)

ど田舎の悪しき慣習で起こる排斥行為と捉えていただければよいかと思う。

なぜこんな話をし始めたかと言うと、我が家が村八分に合っていたからだ。

今でこそ近隣住民に認められるようになったとは言え、やられたことは事実として残る。いや、残す。

わたしの遺恨の記録になること、先にお詫び申し上げる。


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ことの発端は両親の結婚である。

父は専門科のある高校で資格を取って卒業し、20代でマイホームを持っていた。

母と結婚したので、当然この家に住むことになった。

しかし家の立地が悪かった。

父の実家は国道挟んで向こう側の地区にあった。
いくら祖父の土地で、実家はすぐ目の前とはいえ、『国道を越えた部落』からよそ者が越してきたことに近隣住民はいい顔をしなかった。

ここで『部落』という言葉をあえて使う。
差別用語である。
しかし、わたしの実家近隣ではそれは全くの差別用語ではない。
使う側も使われる側も「差別用語」と認識しなければそれは差別用語ではないのだ。


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両親がされたことは、陰口、些細なことに嫌みを言われる、冷たい態度を取られる…
わたしが聞いた範囲でもこのくらいだ。
きっと知らないだけでもっとある。

しかしわたしが小学校高学年になったとき、決定的ないじめが行われた。


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わたしが通っていた小学校には「子ども会」という面倒なシステムが存在していた。
地区ごとに子どもたちが分けられ、登下校、スポーツ大会への参加、運動会での地区リレーなどを行うことになる。

そして最も面倒な行事が「子ども会旅行」であった。

一年ごとに会長が代わるのだが、その年の会長が旅行先を決める、という仕事が割り振られる。


その年は歳がひとつ上で仲が良いお姉さんの家に会長がまわっていた。

ちょうど旅行先を決める頃、そのお姉さんから「今年の旅行、どこ行きたいとかある?」と訊かれた。
定番は夢の国と夢の海だったが、さすがにネタ切れに差し迫っていたらしい。

「スパリゾート行ったことないなあ。楽しいのかな?」と答えた。
別に死にたいほど行きたかったわけではない。
訊かれたから答えたまでだ。


数日後、父が
「お前が◯◯ちゃんにスパリゾートに行きたいってせがんだのか!!!!!」
と怒り狂いながらわたしを問い詰めた。

あとから事情は知ったが、お姉さんのお父さんが
「あなたんとこの娘さんがうちの娘にそうせがんだらしいんですよ笑 だから今年はスパリゾートにしました笑」
と父に言ったのだそうだ。


「行きたいとこある?」→「スパリゾートとか?」→「◯◯ちゃんがスパリゾートがいいって」→「あの娘自分の家で決められない年だからせがんだな!」

こういうことらしい。

さすがにわたしに落ち度がないことが分かっていた母が父をなだめ、結局スパリゾートへ行った。
父は、散々受けてきた村八分が愛娘にまで及んだこと、そしてそれを「お前の娘のせいで」と言われたことへの怒りで我を忘れてしまっていただけだった。


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あれ以来、父はわたしを村八分から守ることに必死だ。

実習で地元の施設を訪問したとき、わたしに危害を加えられないように施設長に根回しをしたくらいだ。

葬儀、地区の役員などの仕事を確実にこなし、いくぶん地位が確立された両親ですら、未だに村八分の記憶は残り続けている。


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わたしが、実家に帰る気になれない原因の、そのうちひとつのお話でした。


おしまい。


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