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読書ログ_「半歩遅れの読書術Ⅰ」

「わたしが知らないスゴ本はきっとあなたが読んでいる」のスゴ本の中の人のお勧めの本の一冊です。


半歩遅れなので 古い方もいっぱい出てきますが、読みたくなる本がいっぱいでした。

その中でも私が一番惹かれたのは、多和田葉子さんです。

まず「悪文家」クライスト・・・急流下りをするような面白さがある、ということで図書館に行くとなんと10cmくらいの厚さで 思わず、読まずにそのまま返却しようと思いましたが、思いとどまり 「O公爵夫人」「チリの地震」「ロカルノの女乞食」の3つだけ読んでみました。

確かに急流くだりだったけど、急流くだり過ぎて、私はついていけませんでした。

ここでくじけず、好きな多和田さんに付いていかなきゃ。

この多和田葉子さんの本の紹介で一番痺れたのが、荒川洋治「空中の茱萸(ぐみ)」です。
1999年発行の詩集です。まだ読んでいないのですが、こちらは、購入します。きっと。でもまず図書館で予約します。




ちょうどインタビューの人が帰って、ぐったりしていたところだった。悪気のある人ではなく、それどころか献身的だったが、無知からくる差別意識で切りつけてくる。こちらは自分の考えていることを一生懸命説明し、忍耐強く微笑みながら、貧しいアイディア財産を全部プレゼンしようという覚悟でしゃべり続けたが、神経はズタズタになっている。テレビをつけて気を紛らわそうかとも思ったのだが、「空中の茱萸」を手にとって開いたら救われた。
・・・壁はあっていいのだ。良心的に努力すれば死の力で戦争を止められるだろうとか、うまく話せば誰にでも文学論を3分で理解してもらえるだろう、などという甘えをしてて、まず壁があると認めてしまう。壁のこちら側でコツコツ勉強して、時々勇気を出して人間のいる場に飛び込んでいく。
・・・詩はおとぎ話ではなく、人が今立ち直面している諸問題にまっすぐ向かうメディアだ。

私の詩集の読書体験は、小学校4年生ぐらいの時に、風邪か何かで寝込み、何を思ったか母親に「詩を読んでみたい」と言ったら、近所の商店街の本屋さんで買ってきてくれた、よく知らない人の詩集だけです(笑)。

それでも多和田葉子さんの紹介文を読むと、多分、誰でも読みたくなってしまうと思います。

引用の部分だけを読むと、とても強い表現ですが、全体を流れる空気は、硬質だけれども柔らかく、正直で自然と文章に引き込まれてしまいます。

特に導入の部分は、「つかみはOK」という感じで、さすがプロです。

他にも「すれ違う言葉」として日本人女性と中国人の青年との恋を描いた「韓素音の月」。

「文体の魔力」として「文体練習」。
1つのストーリーを、文体を変えて99の変奏曲を作り上げた本。

どんな出来事も1回しか起こらない。似た出来事はあっても、同じ出来事はない。磨かれた言葉だけが、その1回戦を捉えることができる。言葉が大雑把になっていくと、感じ方も考え方も後退していき、やがて人間そのものが無気力になっていく。

「プリオキュペイションズ 散文選集」では・・・

・・・でもゆっくり家にいられる日には、例えば1人の作家のエッセイや講義を集めた分厚い本をめくっているのが楽しい。一気に初めから終わりまで読み通そうと力む必要はない。・・・なんとなくめくって読んでいるうちに自然と引き込まれていく。

というわけで、多和田葉子さんの紹介されている本、5冊のうち、私が読んだのはまだ1冊(しかも一部)だけなんですが、読書の楽しみ方を色々な方が、肩の力を抜いて書かれていて、「わたしの知らないスゴ本」を何冊か見つけることができました。

そういえば、多和田葉子さんが紹介されている「空中の茱萸」の作者の荒川洋治さんが巻頭に登場されているのですが、私にはあまり響かなかったのは、なぜだろうと考えています。荒川洋治さん、ごめんなさい。

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