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とりとめのない話

週に2回ほど、実家に顔を見せに行く。
ご飯当番がなくなったので、顔を見せるのは大事な仕事(笑)
何かすることがないかを聞く。
お米研いだり、冷ご飯温めたり、味噌汁作って、目立つところだけ掃除して、一緒にお茶飲んだりしてくる。
おかずを多めに作って持って行くこともある。

昨日、お茶飲みしながら父が言うには、
姪が久しぶりに遊びに来て、母を見て「あれ、伯母さん!」とびっくりしている。話を聞くと、どうやら噂で母は養老院(高齢者施設をこんな風に言っていた。父の口から出て懐かしかった)に入っている、らしい。
従姉にそう言った人が、実家の2軒となりにいるおばあちゃんなのだ。
「うちじゃ、そのばあちゃんが養老院に入ってるらしいぞって噂してたんだよ」という笑い話だった。

実家のある町内は、いちおう住宅地ではあるが、空き家も多く、若い世代の家族や子どもたちもほとんど見えない。
商店も年を追うごとに減り、人の通りは途絶えそうだ。
住んでいるのは、高齢者世帯がほとんど。病院の送迎バスが日に2・3回通る。

自分たちも外に滅多に出ないから、たまたま見た場面をさまざまに憶測して、結局、どっちも「養老院」に片付けてしまっていた。


母は背骨を圧迫骨折しているので、体幹にコルセットを巻いている。少し前は背骨に褥瘡ができて痛がったので、2度ほど受診した。
それが治ってきたと思ったら今度は背中じゅうが痒くて仕方がない。指を入れてゴリゴリ掻くがますます痒みが強くなる。で、また病院を受診した。かゆみ止めの飲み薬と塗布薬が出た。それで痒みが落ち着いた。
すると今度は、コルセットが苦しくて眠れないから、先生に相談したいと言う。それでまた受診した。すると、整形外科の私と同じ名前の先生は、木で鼻を括るような言い方で「寝てるときは外して、それ以外はつけていてください。骨は6ヶ月かかりますから」。それで終わった。
母がっくり。「あの先生どうも苦手。こっちの話聞いてるんだろうか。もうちょっと言いようがありそうなのに」と珍しく不満を漏らした。

と言うのも、少し前に、心臓でかかっている内科の先生に言ったら「イイヨイイヨ外して。つけてたことにすればいいから」なんてあま~い言葉で誘惑されたからだ。
そう言われたとは整形の先生にはさすがに言えなかった。内部抗争でも起きたら大変だ(笑)

内科の先生のその言葉に、私は「もう苦しい思いはさせたくない」という気持ちを感じて、複雑な思いだった。
すでに半年ほど前に、母の心臓があまりもたないと告知されていた。あと2年くらいか?とのことだった。骨折してからも呼ばれて、「だいぶ弱って来たね。それを伝えたかったので」と宣告のようなことを言われている。母は「内緒話してきたね」と笑っていたが、その時の複雑な目を忘れない。

母は今月86歳になる。父は6月に88歳を迎える。
まあ、よくいう「いい年」だ。長寿のほうに入るだろう。
家族にしたら、まあそこそこがんばったよね、と思う。
しかし、本人にしてみたら、そんな言い方はきっと嬉しくないと思う。
父は口癖のように言う。「アイツも死んだ。アイツももういない。仲間で残っているのは俺だけになった」
どれだけ寂しいだろう。6人いた兄弟姉妹も、姉一人を残してみないなくなった。

私は61歳の今も、まだ40代くらいの気分でいる。
87歳の父は、85歳の母は、どのくらいの気分でいるのだろう。
「いつお迎えが来てもいい」とは、思ってはいないはずだ。
達観も悟りも、心の中を開いてみたって探せないだろう。
冗談を言ってはいても、年老いた父や母の中には、怖がりで寂しいこどもがうずくまっているように思う。


父は甘いものが好きで、オヤツを瓶に詰めて並べている。
今日は、春日井製菓の「ちゃいなマーブル」を持っていく。
シンプルな飴玉。ご存じの方も多いと思う。
もうネット注文3回目。12袋入りが一昨日届いた。

先月まではスーパーにあった「あん玉」が今月は見つからない。
ニッキ飴も、取り扱っているお店は近所に1軒しかない。
だんだん、父の懐かしむ時代の跡が、消えていく。
昔の話をくりかえし話したくなる気持ちもわかる。
自信を隠さない、プライドに支えられて生きてきたような父は、新しいものには容易に手を伸ばさない。

と、こう書いていると、父のことばかり書いてしまう。
どちらかと言えば、苦手な人なんだけど。
私は母にべったりだったから、こんなにも父について書くことがあるなんて
意外な気がしている。


きりがないので、ここで一旦終わります(;^_^A
とりとめのない話にお付き合いくださり、ありがとうございました。




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