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ワンワンの日、虹の橋からのお告げ

こにちはぬん。ベビだす。
前回のつぶやきで「年度末からこっち疲労が尋常ではない」と投稿し、後日4月11日が犬の日(11=ワンワン)でした。
その時に見た夢の話と、現在の関連を書きたいと思います。

Xの方に当日「犬の日だからか亡き幸太が夢に出てきた」と投稿しましたが、せっかくの犬の日なのでそれだけに留めました。
が、実は11日の犬の日に見た夢は意味ありげな夢でして。
しかも幸太です。
『リキ~9つの命を繋いだ運命の犬(下巻)』で綴ったように、49日には私の夢枕に立ち、猫の琥珀の未来を言い遺していったような犬です。

約1年半前から膝を壊し、持病が5つに増えたおベビ。
元々の持病+膝の負傷という体の不自由と痛み・年度末~年度初めという多忙なタイミング・新年度の方針に向けて考えなければならないこと等々、体の疲労だけでなく内面もパンパン、まさに飽和状態でした。
正確に言えばパンパンどころか「ちょっと破れてる箇所が数か所出てきたっぽいな……、あかん、これ、もう騙し騙しで何とかなるレベルじゃねえ。早々に破れた個所を縫わないと」と4月が近づく頃には気付きました。
4月下旬には大きな病院に行くつもりで希望休も早々に提出し、その前に膝注射してもらう予定が4月11日でした。

その11日の朝、亡き幸太の夢を見たのです。
今年の命日が来れば亡くなって早5年。
早いものです。
幸太は自身が亡くなった後、49日に夢枕に立って猫の琥珀の事で気をつけねばならないことを言い遺していきましたが、それ以降夢に出たことはありませんでした。
ワンワンの日に見た夢は、こんな夢でした。


夢の中での日付は、幸太が亡くなり火葬した日のようです。
私は火葬場からの帰りらしく、車に乗って東へ車を走らせています。
ふと窓の外を見ると、大きな虹が出ていました。
それも、生まれてこのかたこんなにくっきりとした色彩の虹は見たことが無いというほど、くっきりした虹です。
透明のカラーフィルムを何色も半円状にして空に貼り付けたかのような、虹というにはあまりに色鮮やかな虹でした。
その虹は、西の空にかかっています。
夢の中で幸太の火葬をした方角でした。
その虹を見た時、
「ああ、ちゃんと今でも虹の橋で待っているんだな」
と思いました。
夢の中ではついさっき火葬したばかりで今帰りの車の中にいるのに、頭の中では幸太が亡くなって数年経過している事実がちゃんとありました。
幸太の虹は、くっきりとした色を空に宿しながら、西の空から見送るようにいつまでも浮かんでいます。
私の乗った車は東へ向かい、窓の外を見ながらも幸太の虹がどんどん遠ざかって小さくなっていきました。
次第に小さくなる幸太の虹を寂しい気持ちで眺めながらも、けして消えないその虹に幸太が律義にそこで待っていることに、安堵を感じました。


目が覚めて、「これは深刻に受け止めるべき内容だ」と思いました。
幸太が「ご主人様、現状を侮ってはいけません。これは本当に気を付けて下さい」と言っているにせよ、自身の体調不良が意識に反映して自分に見せた夢だとしても、どちらにせよ深刻に受け止めるべきメッセージです。
夢が幸太からのものではなく自身からのメッセージであれ、こういう夢を見るということはそれだけ自分自身「やべえぞ」と必死に訴えているという事なので、こういうメッセージには従った方がいいと真剣に捉えました。

ぶっちゃけ、単純な「体しんどいよ~、頭忙しいよ~」レベル程度なら私は自力でなんとかできます。
が、あまりの辛さに鬱っぽくなる日が出始めたのが3月中旬過ぎ。
「たまには気落ちする、そんな日もある」なら一時的なものなので自力でリカバリできますが、4月を目前とした頃からほぼ毎日朝から気分が沈み、それが日に日に強くなっていき
「これやべえな。限界超えかけてるな。むしろちょっと超えてるかも。間に合うとすれば今だな」
と冷静に自覚していました。

自分でも原因はわかっています。多忙は、正直原因とまではいかない。あくまで「それも一因としてある」レベルです。

自覚しているのは、何と言っても膝の負傷による痛みと、それゆえの行動の制限等の体の不自由です。
これが一番大きい。

膝を負傷するまで気付きませんでしたが、日常には「膝を曲げないとならない動作」がてんこ盛りです。
全てのものが腰から上の位置にあるわけではなく、ちょっと低い位置にあるものを取る・動かすだけでも膝を曲げないといけない。

例えば階段、トイレ、入浴など、生活のためにカット出来ない動作にも多く含まれます。
入浴だって先ずは衣類を脱ぐために膝を曲げないといけませんし、髪や体は立ったまま洗っていますがシャンプーやボディソープを取るために膝を曲げなければいけません。
湯船に浸かる時・出る時も膝を曲げないといけないし、体を拭いたり着替えたりも膝を曲げないといけない。
入浴一つとっても思ったより膝を曲げる動作が多数必要です。
これはトイレもそうだし、着替えもそうです。
また、家の中なら加減しつつ時間をかけて動作が出来ても、仕事となるとそうはいかないので、痛いと解っていても無理せざるを得ないシーンは多々あります。

こんな日常が約1年半騙し騙しの生活で続いた結果、動作を行うより先に「恐怖心」が来るようになってしまったんですよね。
今からしようとする動作を思った時に、それに伴う膝の激痛が予測されてしまい、行動に躊躇する。
そのたびに気が沈み、予測通り激痛はやってくるしで、更に気が沈む。


体の痛みがあまりにも長く続くと、気分も滅入ってしまい鬱っぽくなる、というのは良く聞く話です。

「いててて~」と言いながらもやってられるうちはまだいい(←正確には良くない。ホントならここで手を打たねばならない。皆さんも絶対そうしてね!)ですが、何かの動作をしようとしたときにその痛みを想像してしまい躊躇し、気が沈み、結果的に「色々な動作を避けるようになる」「目覚めた瞬間に今日一日で必要な動作がパッと浮かび、鬱っぽくなる」。

いやこれ、もうプチ鬱ってるよ!!


幸いにも今の職場と仕事が好きなのでそれ自体は苦ではなく、仕事は元気に行きますし、いつも通りこなしていました。
仕事が辛いのではなく、業務に伴う膝の曲げ(単純なものだとデスクチェアに座る・立ち上がるも含まれる)が辛い。
これは帰宅後の日常も同じです。
仕事中は業務に従事している間の緊張感が、痛みや躊躇の緩和に繋がっている部分も大きいと推察しています。

問題はね、帰宅後〜翌朝なんよ!


帰宅したら仕事モードではないので緊張感が解け、一気に気が抜ける。
すると「痛みへの恐怖と動作への躊躇、それらによる鬱な気分」がぶわっと噴出してくるんですね。
最近では、仕事中での動作+帰宅後の犬散歩や子供たちの世話、家事などを済ませた時点でもうHPが0となり、
「なるべく色々な動作をしたくない……」
とただじっと座っている、そんな日々となっていました。
でもね!
ただじっと座っててもいいんよ!
だって座って書いてりゃいいんだから!
「やべえな」と感じ始めたのはそこなんです。
座っているだけなら痛みは少ないのだから執筆は出来るはずなのに、一日の累積の痛みとその回数によって気力が完璧に削がれ、文字通りHPが0になってしまい、余剰のパワーが残っておらずただ欝なだけなんです。

ここよ!
これがヤバいってことなんよ!

つまり私は、膝の負傷とその痛みを耐えつつ一日を送るだけで全力を使い果たしてしまい、一日の間に食らったダメージ&余剰力がないために取り組みたい事に取り組めないという無気力感&新たなストレスも感じ始めている。
要は、だ。

膝を早々に何とかしないと、痛いわ無気力化するわ取り組みたい事に取り組めない己への罪悪感とストレスという欝コンボが大軍を率いてやって来かねない。
今はまだプチ鬱だからこそ、ここで奴らをせん滅しておかないと我がおベビ軍の未来が危ない。

幸太「ご主人様、おひさです。5年ぶりです、幸太です。虹の橋から見てたけど、あなたちょっとヤバそうなんで僕のメッセージ受け取って下さい。わかるでしょ? あなたなら僕の言いたい事」


わかりました。
幸太のお告げにせよ自分からの警告にせよ、どちらにしても真剣に受け止めるシグナルなのはよくわかりました。


そして11日にかかりつけの病院に行き、注射前に膝の状態などあるがままに伝えるおベビ。

医師「大きい病院で診てもらった方がいい。もしかしたら、うちではわからなかったものが見つかるかもしれない。紹介状書くから」

おベビ「先生。もうここ最近は膝の痛みが酷くて動作の前に躊躇したり、動作をすることそのものが恐怖に感じるくらいで、ここしばらく欝です。膝の痛みよりそっちの方が辛く感じるくらいの時もあります。そういう鬱気分に効く薬も出してくれろ」

医師はう~~ん……と迷っていました。
欝気分で日常が滞って無気力が慢性化したら、それこそホンマに何も出来んなってしまうがな。
動けるうちに対処し、状況を良くしていくためにはそのための原動力となる「気力」も必要なんや。
気力が枯渇したら、悪化しても病院にすら行けなくなってしまう可能性もあるんや。
そうなったら先は見えとる。
そこわかってくれ!!

……とまでは言っていませんが、医師は
「まあ、体がずっと痛かったり不自由だったりするとね、鬱になるパターンもありますからね。薬は合う合わないあると思うので、欝な気分に効く薬はとりあえず、1週間分だけ出しましょう」
と、処方してくれました。

効く効かないはこの時点ではわからないにせよ、「気持ちだけでも楽になれるかも」というのはすごい希望でしたね。
最早この時点でプラシーボ効果万歳です。


そして幸太の夢ですが。
あの後、夢を自分なりに解釈してみました。
幸太の虹が出ていた方角の空から、私の車がどんどん遠ざかり虹が次第に小さくなっていったという事は、「幸太は私を見守って何かを告げに来たけれど、まだまだ再会は先ですよ」という意味だろうなと。

不思議なんですよね。
一緒に過ごした年数は、亡き風太や亡き花の方が長いのに、たった1年2ヵ月という晩年だけ過ごした幸太が夢に出るという事が不思議です。
亡くなった子たちの思い出話も時にはしますが、幸太の話だけ特に多いというわけではありません。
むしろ、長年一緒にいて思い出の多い風太や花の方が、思い出す機会としては幸太より多いかもしれません。

なのに、夢に出て家族の誰かの未来を暗示していくのはいつも幸太です。
歴代の犬の中で最も小柄で「小さいおじさん」と呼ばれていた幸太。
10月になれば、5回目の命日です。
それでは間に合わんと、ワンワンの日に言いに来てくれたかな。
ありがとうね。

今月下旬には紹介状をもって大きい病院に行くので、根本原因の膝をしっかり診てもらいます!

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