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今日だけ

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NAのワークブック「今日だけ」のアンサーダイヤリー(回顧録)
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対人関係

 一番つらいことは、自分の生き方を貫き通すために、自分の行動の結果を考えなかったために巻き込まんでしまった人たちがいることだ。しかし、他者を傷つけずに生きていくのはとても難しい。  過去を振り返れば、私たちは何度も同じ過ちを繰り返してきた。そのことを肝に銘じ、思い出にするのではなく、情緒不安定な面が出てきたときのアンカーとして、記憶の片隅に留めておく必要がある。  何のためにそうするのか?過去に埋没して自分を憐れむ想いににふけるためか?今までは、きっとそうだった。しかし今

寛容

 24歳のときから保険代理店を経営していたので、常に自分の能力と行動で問題を解決することを求められていた。また、自分で解決した方が良い結果が得られるという驕りもあった。  今までの生き方を振り返ってみると、好奇心旺盛でお節介なところがあり、それをセールスポイントにして仕事をしていたが、見直す必要性を感じた。それが生きにくさにもつながっていたからだ。  他人の評価を自分の成果や報酬として受け止めてしまうと、その行為が期待や不安を膨らませるきっかけになっていた。  集団生活

信じる心を失わない

 信念は、逆境や試練といった感情的・身体的危機の際に、自分がどう考え、何を感じるかを、普段より詳しく観察することで確認する必要がある。  そのときに有効な時間とオープンマインドを持つためには、できるだけ自分に余裕を持つことが解決への道だとわかっていても、そこにジレンマを感じることがある。  望まない状況や結果を目の当たりにすると自己否定や自己卑下に陥り、その過程で自己否定が私を際限なく駆り立て、その影響下でさらに毒素に浸ることに慣れてしまった。  最近の出来事で思い知ら

感情と向き合う

 怒りや憎しみの感情が沸き起こるのは、自分が弱く、能力や精神力が足りないせいだと考えていた。さらに、思考は怒りや憎しみを正当化し、正当化するために働いていた。  どこかでそれは分かっていたのだが、自分の都合のいいように解釈していたように思う。その過程で感じた悲しみや虚しさの世界にも浸っていたのかもしれない。  だからこそ、自分の心の闇から目を背けず、観察することを怠ってはならない。ようやく、自己否定や自己卑下に陥る前に、自分の感情に気づく時間を確保することができるようにな

静かな時間

 いつも頭の中で考えてばかりで、静かな時間があるのかと思うほどだった。このところ落ち込んでいた。耳を澄ます時間がなかったら、きっとまたごまかしていただろう。しかし、過去を振り返れば良くなったほうだ。  そしてしばらくすると、深く傷ついていたことを痛感する。いつも後から気づくので、油断すると虚無感に飲み込まれそうになる。  集団生活の中で孤独を感じることもなく、つらい状況もないのだが、どこかで何かを求めている。答えは分かっているのだが、今はそれを求めることができず、求めると

 今朝の出来事だ。別の所轄の入寮者が施設を飛び出し、そのまま自ら命を絶ったと聞いた。施設から逃げたり、警察に捕まったりする仲間の話はよく聞くし、入寮後に誰かが亡くなったのは初めてではないが、このような形で起きたのは初めてだった。  この人とは前日のイベントで会ったが、話しかけはしなかった。その人はとても警戒心が強くて近寄りがたかっただけでなく、独特な風貌だったので私は彼を受け入れるのに苦労した。  もしかしたら、そうしたものが、その人にとって自己表現やアイデンティティの象

過去を手放す

 慢性的な空虚感と虚無感に悩まされ、存在意義を求める生き方を試みた結果、薬物使用と自己探求による現実逃避に溺れ、もはや自分の行動に責任を持てないところまで自分を追い込んだ。  第三者からみれば、それは4つの言葉に集約される「自業自得」としか言いようがないが、当事者からすれば、かつて経験したことのない敗北感と絶望感であり、無の世界は自分の作り出した投影に過ぎないことを理解する「奈落の底」であった。  司法病棟にいる間、自分の過去と折り合いをつけ、精神的な死と向き合うプロセス

孤独を乗り越える

 私は幼い頃から父と衝突していた。だから私は父のことを恐怖と不安をもたらす権力者として憎んでいた。強く印象に残っているのは、父の仕事に対する姿勢と酒グセが悪いということだった。父が酒に酔って包丁を私に向けたとき、怖くなった私は裸足で母のいる小学校の体育館まで走ったが、母は私の話を真剣に取り合ってくれなかった。 お父さんがそこまでするわけがない  それから安心できる場所がなくなったことは、その後の私の成長に大きな影響を与えたようだ。妹はその瞬間から私の心が家族から切り離され

教えを受けようという気持ち

 あの事件の後、私はすべてを失い、多くのことを諦めた。しかし、この「諦め」は良い意味での「明らめ」だった。無理に抵抗するのをやめ、過去にしがみつくのをやめ、ただ自分の無力さを受け入れ、脱力した。  すると不思議なことが起こり始め、沈んでいくような感覚ではなく、水面に浮かんで漂っているような感覚になった。今度は、漂っていると感じる代わりに、自分を解放すれば、これから向かう場所に自然とたどり着けると思うようになった。  それは希望でも目標でもない。人生のあらゆることに意味や理

不安を平安に変える

 悲しみや孤独を感じることに慣れ、いつの間にか親しみさえ覚えていた。心の不安を打ち消そうと他の悲しい出来事や辛い出来事に思いを馳せ、それが怒りや憎しみにとってかわり、自分自身の問題を先送りにしていた。  自分の不安や恐れを取り除くことを優先させるのではなく、自分より困っている人や出来事に関心が向いてしまい、「自分を観る」ことから逃げていた。自らの空虚感を埋める方法に、他者への共感を超えて感情移入してしまうことが多かった。  いつか報われると思って自分を犠牲にすることが美徳

自尊心とサービス

 自尊心とは他人から評価されたり、認められたりしなければ持つべきものではないと思い込んでいた。もしかしたら自意識と自尊心を混同していたのかもしれない。そんな私の行動や責任には、いつも疑問符がついていた。  薬物の使用は、常識的に考えれば道徳や倫理を著しく逸脱した行為だが、当時の私はそう考えることができず、欲望というより必要な行為だった。なぜかというと使用の目的は快楽ではなく、低すぎる自己肯定感や強迫観念を取り除くことに効果があると感じたことにあった。  しかし、それは一時

公道を行く

 社会と自分をつなぐものをひとつずつ奪われ、そのたびに、これまでに感じたことのない挫折感と絶望感を味わった。警察署が私の住んでいた場所の近くにあったことで、距離とは単位ではなく「認識」なのだということに気づかされた。  抵抗すればするほど苦しんだ。人に見捨てられることを恐れたのか、留置所で何通も手紙を書いた。そこで気づいてしまった。自分には安全な帰る場所があるからこそ、現実逃避していたことに。選択肢がなくなるにつれ、言い訳をしてやり過ごすという事実に直面せざるを得なくなった

恐れ

 分離不安や緊張感は人一倍あったと思う。夫婦喧嘩が毎日のように行われ、いつか自分にも危害が及ぶんじゃないか?と思っていたことを思い出す。「こんな家もう嫌だ!」と思いながらも離れ離れになるのもいやだった。どうしていいかわからなかったけど、自分を守りたかったから、自然と物事に敏感になったんだと思う。  そのうち私の思考は虚無感と厭世観に支配され、心の洞窟の住人となった。そして、そこから映し出される幻想や差し込む光を求める心象風景に酔いしれた。  自分と向き合う時間を与えられた

手放す

 これからの人生を考えると「家族」という問題が大きく関係してくる。今の心境でいうと、身勝手極まりないが、自分のことは忘れて欲しいと思ってしまう。一度は親の話を聞く必要があると思うし、人間関係は、親子関係から派生する部分が大きいように思う。したがって親子関係を改善しなければ、今後の人間関係も良い方向には向かわないような気がする。  しかし、私の心は重い。心が動こうとしない。なぜこんなに家族への愛情がないのかわからない。思い出したくない思い出がたくさんあるせいもあるが、それは私