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不安を平安に変える

 悲しみや孤独を感じることに慣れ、いつの間にか親しみさえ覚えていた。心の不安を打ち消そうと他の悲しい出来事や辛い出来事に思いを馳せ、それが怒りや憎しみにとってかわり、自分自身の問題を先送りにしていた。

 自分の不安や恐れを取り除くことを優先させるのではなく、自分より困っている人や出来事に関心が向いてしまい、「自分を観る」ことから逃げていた。自らの空虚感を埋める方法に、他者への共感を超えて感情移入してしまうことが多かった。

 いつか報われると思って自分を犠牲にすることが美徳だと勘違いしていたからだ。本音と建前は理想と現実のようなもので、解釈によっては幻想や狂気にもなり得るのだと実感した。

 感情によって物事の見方が歪められると、なおさらである。しかし、さまざまな思いがつきまとうことに違和感を禁じえず、その思いを満たす手段としてお金の存在を認めることに自己矛盾を感じざるを得なかった。しかし、自分の気持ちを満足させる手段としてお金の存在を認めることのもどかしさに、心が毒されているような気がして、余計苦しむことになった。

2015 5/7

 

あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきりと物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも結論に達することもないのです。それは果てしのない「河」のようなものです。それを学び、その中に深く突き進むにつれて、あなたは心の平安を見出してゆきます。

ジッドゥ・クリシュナムルティ


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