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 今朝の出来事だ。別の所轄の入寮者が施設を飛び出し、そのまま自ら命を絶ったと聞いた。施設から逃げたり、警察に捕まったりする仲間の話はよく聞くし、入寮後に誰かが亡くなったのは初めてではないが、このような形で起きたのは初めてだった。

 この人とは前日のイベントで会ったが、話しかけはしなかった。その人はとても警戒心が強くて近寄りがたかっただけでなく、独特な風貌だったので私は彼を受け入れるのに苦労した。

 もしかしたら、そうしたものが、その人にとって自己表現やアイデンティティの象徴であり、それが生きづらさにつながっていたのかもしれない。

 そこに目を向けられなかったことをとても悔やんだ。改めて依存症を含め、人間関係で抱えるコンプレックスや症状に対して、自分からメッセージを伝えることの難しさ、人が困っているときにどう助けてあげればいいのかわからなければ、その後どうなるかわからないことを痛感した。

 自助グループやミーティングがあっても何も言えない人は何も言わない。しかし、助けてくれる人は同じ苦しみや痛みを知っている仲間でもある。

 自分と本当の自分、自分と他者、自分と社会の間に「関係」という「つながり」がある。つまり、関係とは、自分とそれ以外の「間」に発生し、壁を作って関係を断ち切ることで「障害」が発生する。

 自分に対する罪悪感を背負えるほど強くはなかったが、背負おうとするあまり、そうした感情に酔いしれてしまうこともあったように思う。結局、問題の本質から逃れるために、自分の問題を後回しにしたり、他人のせいにしたりしていた。それでも自分の都合で考え、心のどこかで人や自分を裁いていることはわかっていた。

 そんな自分を許すためには、他者ではなく自分自身が肯定できる明確な目標を設定し、その目標を達成するために自分自身の思考パターンをどのように組み立てていくかを丁寧に考えていくことが大切だと思った。

 外面が良い人になるのは簡単だが、必要な人になるのは本当に難しい。そして、不幸になるのはもっと簡単だ。私は自分の人生を輝かせるために自分の責任を取るつもりだ。

2017 4/7


暗やみの中でも幸せを見つけることができる。
明かりを灯すことを忘れなければ。

ジョアン・ローリング


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