Senna

25w4dで生まれた子は775gの超未熟児! 今は24時間の人工呼吸器が手放せない、ド…

Senna

25w4dで生まれた子は775gの超未熟児! 今は24時間の人工呼吸器が手放せない、ドキドキハラハラの生活を送っています。 コロナ禍での入院→妊娠→出産→育児のことを未来の子供のために書いていこうかなと思います。 日本に住んでまだ4年目の新米ママのため日本語が少しおかしいかも?

最近の記事

NICUでの面会

入院中は何回でもNICUに行っていいよと言われたので、遠慮せずに何回も通った。 小さい我が子はまだ赤黒く、そしていろんなケーブルや管に繋がっていた。 呼吸器に至っては顔の半分くらいの大きさだった。 未熟児用のおむつもブカブカしていた。 チューブやケーブルの合間から見える我が子はとても愛おしかったが、 見ていて痛々しかった。 そして色々な画面がピカピカ光っており、 他のブースでは大きなアラーム音が鳴り響いていたりした。 いまだに大きなアラーム音を聞くと当時の不安感を思い

    • 激痛母乳開通マッサージ

      楽しい面会の後は地獄が待っていた。 母乳の開通の儀式である。 妊娠してすぐに友人や母から「母乳出すときは覚悟しておいたほうがいい」と言われたが、正直いうとそんなこと全くないだろうと思っていた。 母乳は赤ちゃん産めばすぐ出るものだと信じていた。 結論から言うと、自分のリサーチ不足により思ってた 10倍くらい母乳の開通マッサージは痛かった。 本当に痛すぎて痛すぎて涙が出た。 まず両方の乳が石でも詰まっているのかというくらいカチコチに張るのだ。 それだけでも痛いのに、助産師

      • 【初めてのNICU】クベース越しの775gの毛深いベイビー

        出産後の痛みは夜通し続いた。 お腹も胸も涙が出るくらい痛かった。 だが、我が子に会いたい一心で必死に痛みに耐えてなるべく 動くようにした。 朝ご飯を食べ、看護師さんに体調のチェックをされてたあと、 ついにこの時がきた。 「NICUに行きましょう!」 と、看護師さんが部屋にやってきた。 ついに我が子に会える。 775gと聞いた我が子は無事なのか... 本音をいうと会うのはとても怖かった。 命に別状はないのか? 小さいこと以外に障害とかはないか? 兎にも角にも大丈夫なのか

        • 激痛との戦い

          全身麻酔だったので、生まれたての我が子を見れなかったからこそ、 お腹の痛みがあることによって本当に我が子が産まれたと実感ができたが、 帝王切開の痛みは想像以上に壮絶だった。 少しの身動きでも走る激痛は我慢ができないほど痛い。 痛み止めを自分でボタンを押して注入する機械を手渡されたが、 これがまた全然効かずボタンをガチガチと連打してしまった。 痛すぎてボロボロ大粒の涙が溢れてきた。 痛すぎて痛すぎてずっとボタンを押していたが、痛みが治まらない。 ナースコールに手を伸ばしたく

        NICUでの面会

          7月11日

          7月10日は入院以来一番ナースコールした数が少ないのでは?くらい平和な1日であった。 お腹のはりもなく、洗髪をしてもらい、NSTも順調だったと思う。 翌日の朝は採血を終えたあと、何やらすごい胸騒ぎがしたのを覚えている。 冷や汗が止まらなく、鳥肌がたった。 なんか病室の外がざわついているなと思ったら、すぐ看護師さんが入ってきた。 「炎症の数値が悪いので、今日この後朝9時から緊急帝王切開になります。旦那さんやご家族にご連絡しておいてください。8時半にまたきて、手術着へのお着

          7月11日

          止まらないドタバタ

          初日のドタバタの後は、ほぼずっとベッドの上で過ごした。 検診も病室内で行っていたので、寝ても起きてもベッドの上であった。 まだまだちょろちょろと何かが漏れている感覚があるなかで、一番きつかったのがシャワーに入れないことだった。 (新しいこの病院は宅配がOKだったので、ドライシャンプーやボディシートなどを買った。ネットショッピングには本当に感謝である) それ以上に大変だったのは夜中に頻繁にあるトラブルだった。 私の場合は高位破水に始まり、出血、お腹の痛みなど... 兎にも

          止まらないドタバタ

          真夜中の緊急診断と高位破水

          新しい病院での初めての夜。 入院中は動く前に看護師さんを呼んでくれとのことだったので、 トイレに行く前にナースコールをした。 看護師さんをよんでのトイレはとても恥ずかしかった。 外で待っていてくれるとはいえ、排泄音が聞こえてしまうのは恥ずかしい。 だが、そんなことも言ってられないので、用を足しているとある違和感が襲ってきた。 用を足し終わったはずなのに、何かがちょろちょろと漏れているのである。 すぐさま待機している看護師さんをよんだ。 ゆっくりとベッドに戻り、看護師さ

          真夜中の緊急診断と高位破水

          書けないバースプラン

          入院後に先生からこれからのことについて話があった。 まず再度言われたが、ここから先はいつ出産してもいいように準備をしつつ、赤ちゃんにブーストをかける。 (肺や脳の成長を促す注射や点滴もその一環) そして、出産後のこと。 まず、先生に言われたのは25週をどうにか目指そうと言われた。 25週未満で生まれた子は生存率がとても低い。 できれば25週まで行ってくれれば、生存率は大幅にアップする。 可能な限り、正期産に近づけたいが、先生の見立てだと厳しいかもとのことだった。 そして

          書けないバースプラン

          緊急入院からの緊急転院

          緊急処置を終えた後は、転院先の病院への移動が待っていた。 入院中お世話になった看護師さんが何人か見送りに来てくれた。 「がんばってね!」と手を握ってくれた。 またしても旦那と救急車に乗り込んだ。 S先生は一緒には付き添えないということで、違う先生が一緒に救急車に乗ってくれた。 かかりつけの病院からまた新しい病院へ。 とても不安だった。 母体集中ケア室とはどういうものなのか... 我が子はお腹におとなしくいてくれるのであろうか? S先生が病院を出る前に旦那と私におっし

          緊急入院からの緊急転院

          初めての救急車

          退院して5日後、その日は下半身とお腹への違和感で朝5時過ぎに起きてしまった。 何となく寝付けず、トイレで用を足そうとした時、ゾッとした。 自分の下半身が血まみれだったのだ。 すぐに旦那を叩き起こし、かかりつけの病院に電話した。 自分の置かれている状況を説明していたら、すぐに病院へとのことだったので、着替えて準備をした。 すぐさま折り返しの電話がかかってきた。 S先生であった。 「救急車で来てください。場合によってはうちの病院で応急処置して転院します。とにかく安全に来て

          初めての救急車

          束の間の休息

          退院した日は暑い日だった。記憶が正しければ梅雨明けで最初の真夏日だったと思う。 病室に引きこもっていたからであろうか? 外気が刺さるように体を包んだ。 病室で久しぶりに旦那と再会したのも束の間、着いて早々荷造りや退院の手続きを行ってもらった。 出口までは看護師さんが車椅子で見送りに来てくれた。 久しぶりの旦那は少し痩せたように見えた。 家に着いたら犬たちが熱烈に歓迎してくれるかと思いきや、かなりの塩対応だった。 悲しかったが、久々の我が家にとても安心した。 点滴がなく

          束の間の休息

          突然の退院

          この頃には検査で学生さんたちと先生が一緒になって親身に励ましてくれた。 問題は30mmまで稼いだ距離が少々短くなったというところだった。 だが、距離はそこで安定したらしい。 炎症も数値も落ち着いているらしく、先生から突然 「いつ退院したい?」 と聞かれた。 驚きつつもいつでもいいが、家に戻るのは少し不安であると正直に打ち明けた。 先生は22週に入り、数値なども落ち着いているので家で安静にしていた方が精神的にもいいのではと言われた。 ただ、不安はあるとは思うので、家族と

          突然の退院

          超えなきゃいけない22週と25週の壁

          入院してすぐ、先生に言われた言葉がある。 「22週の壁を越えましょう。そこからは私たちが全力でどうなろうとサポートできます。」と。 22週の壁とはどういうこと? 実は22週より前に出産してしまうと、必然的に流産となってしまう。 NICUでも22週前より早く生まれてしまうと、入れないと言われた。 私は入院した時点で20週と3日であった。 先生にはまずは22週を目指しましょうと言われた。 ちなみに病院としては26週以上経っていないと病院の設備的に厳しいとのことだった。 念

          超えなきゃいけない22週と25週の壁

          突き刺さる点滴

          入院中の不安もそうだが、私が一番辛かったのは点滴である。 利き腕の腕の関節近くに針が入っているので、腕が思うように曲げられず。 反対の腕には手の甲に一本、腕の関節より離れた位置にもう一本。 どちらの腕もかなり不自由であった。 食事も思うようにいかず、イライラが募るばかり。 スマホやタブレットを使いたくても腕が曲げられないので、 タイピングやスワイプも中々思うようにいかない。 それにプラスして点滴の副作用での手の震えが止まらず、 何をしていいのかわからない。 完全に手持ち無

          突き刺さる点滴

          止まらない震えと不安

          入院してすぐに、手の震えが止まらないことに気がついた。 お腹の張りを抑えるための点滴「リトドリン」の副作用だと看護師さんが教えてくれた。 動悸、体の火照り、そしてだるさが続いた。 この副作用にはとても悩まされてた。 色々書類などにサインをしなくてはいけなかったのだが、 この頃に書いたサインは全てガタガタに歪んでいる。 また、両腕から点滴が4本ほど繋がれたおり、 腕を曲げることが困難だった。 余談だが、私の場合は血管が見えにくいそうで、入院中の採血するのに7回ほどかかっ

          止まらない震えと不安

          手術結果と入院スケジュール

          手術が終わった後、麻酔が切れてしばらくしたら同じ体制でいたからなのか足と腰が猛烈に痛かった。 そして、下半身に何やら違和感がある。 後で知ったのだが、トイレに行かなくていいように管が入っていた。 夜の点滴をチェックしに来た看護師さんと共に、S先生が入ってきた。 「手術は成功です。赤ちゃんも無事です。なんとか30mmまで長さは確保できたのですが、それでもまだ短い。なるべくベッドから動かないように、明日からのスケジュールは看護師さんに説明してもらいますね。」 と、ざっくりと

          手術結果と入院スケジュール