説明しなければわからないということは、説明してもわからないということだ。

これは村上春樹の小説『1Q84』の中に出てくるフレーズだけど、何かコトあるごとに、この言葉を思い浮かべる。そして、この言葉は少し気持ちを楽にするスパイスにもなっている。

きれいな花が咲いていて「きれいだ」と感じた時に「なんでこれがきれいだって思うんだろう」なんて考えない。つまり説明なんて要らないのだ。真っ青な空の下で深呼吸して「気持ちいい」と感じることにも説明は要らない。

もちろん、世の中のすべてに説明が要らないわけじゃない。「説明が要らない」こともあれば「説明しないとわからない」こともあって、残念ながら「説明してもわからない」こともたくさんある。とてもたくさん。

セカオワの『Dragon Night』の歌詞のように、人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない。価値観ってほんとうに人それぞれだし、価値観が違うとわかりあえないのも仕方ない。これがまさに「説明してもわからない」ということだ。

2020年のコロナ禍の中、あるお店のオーナーと話していたら「コロナに対する怖がり方が人によって全然違うんだよね」という話題になった。ここまで書いたことって、まさにこの温度差の話も一つの例かなって思う今日この頃。

時々、価値観や考え方が違って、わかりあえないことに愕然とすることがある。そんな時には、このフレーズ「説明しなければわからないということは、説明してもわからないということだ」を頭に浮かべ納得するようにしている。

逆にその反動で「説明しないでもわかる」相手とは、わかりあえる分だけ大事に丁寧に付き合っていきたいなと切に思い直すことができる。不思議なことに、わかりあえずネガティブになった分だけ、その反動でポジティブな意識も生まれてくる。このフレーズをスイッチにするのは、自分にとって決して悪いことじゃない。

すべての価値観が合致するなんてことはないだろうし、あったら気持ち悪いけど(笑)、それでも「説明しないでもわかる」仲間とはこれからも楽しく過ごして、いきたい・行きたい・生きたいと思う。

あともうひとつ。

ホントにおもしろいことって「説明できない」ことの方が多いんだよ。説明しなくてもわかるかな?

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