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軌跡 2 ~暴力~

誰しも一人一人それぞれの歩いてきた軌跡や
それぞれのドラマがある。

これはクソだらけの私の軌跡のページ。

クソだらけの人生を歩くつもりは無かった。
だけど、いくつもの選択肢があった中選択し
自分が決めた道はほとんど全てクソ過ぎた。

包丁事件、オナラ女のレッテル等様々な
クソの事をしたり経験した私は転校。

転校先の家は父の実家で面識の無い、
寝たっきりの祖父と
その祖父を看護していた祖母がいた。
そこから家族6人で過ごす事になった。

そして新しい学校では
皆何も知らずに接してくれていた。
でもどこかで壁はあって、もうその頃には
グループというものがあって
私は上手く馴染めずにいた。

\これは日本に核落とすべきですね/

それでも同級生にイトコがいたから
1人ではなかったと思う。

馴染めずにいたけれど問題なく過ごし
おなら事件も忘れかけていた頃。
隣のクラスにいた女の子のMがいじめられて
ハブられていたのを見た私。

何を血迷ったのか
周りの目を気にせずその子と仲良くした。

当時なぜMがいじめられていたのか
理由は今も知らない。
ただ、過去のオナラにより
傷ついた自分と被ったから
積極的に声をかけていた!なんて
口が裂けても言えないのはここだけの話。

((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル


Mは最初固くなに心を閉ざしていたし
警戒されたけど、歳月を重ねるうちに
‘親友’と言えるくらいその子と仲良くなってきた頃。

─いじめられっ子と仲良くするといじめに巻き込まれる─
その通りのままMと一緒にハブられていた。
でもそれは全然辛くなかった。

むしろ、転校先でも
兄と兄の新しい友人が私をからかい出し
学校の集団登校中にうんこ踏まされたり
バカにされた方が辛かったかもしれない(笑)

そして時が流れ小学校5年の頃に
寝たっきりだった祖父が亡くなった。
亡くなった理由は分からないけど
安らかに眠っているような顔は覚えている。

祖父の葬式が終わった頃に
父の転勤がまた決まり
今度は単身赴任として四国へ行った。

この頃の父と母の不仲は
目立つようになっていた。
母は次第に家事をしなくなっていく。

祖父が亡くなった事により祖母の愛は
兄に異常な程向けられ
兄が悪いことしても全部私のせいにするように。

やっていないと言えば
「みっともない」と
理不尽な言葉をかけられていた。

ただ、父が単身赴任から
1年に1回か2回帰って来る頃だけ
祖母も私のせいにしない、兄も何もしてこない、
母も家事をして
まともな食事が与えられていたと思う。


それから1年後にはいつの間にか
兄の気分が悪い時、兄に
私はサンドバッグのように
蹴られたり殴られていた。

時にはお腹を殴られた衝撃で
過呼吸になって涙しながら横になって
よだれ垂らしていた事もある。
そんな様子を見ても祖母は見て見ぬふり。

決まって母のいない時に暴力を振るわれていた。

過呼吸でぐったりしていた中
帰宅した母に急いで袋を口に当てられて
もう楽になりたい、そう思いながら
そのまま呼吸が楽になると同時に眠った。

( [▓▓]_*˘꒳˘*)_スヤァ

1番ひどかった時は
のんきに歌っていたら
「うるさい」との理由に
兄が殴りかかってきた時の事。

だから怖くてトイレに鍵閉めて逃げた。
トイレの窓が開いていたのすら
余裕なくただ、震えうずくまっていた。

しばらくトイレのドアの
ドアノブのガチャガチャという
音が響いていたが
数分後、音が止み、もう大丈夫と思って
顔を上げたら
兄が笑いながらトイレの窓から現れた。

このままじゃ殺される。

そう思った私はすぐ台所へ行き、包丁を握りしめて
「来ないで!!」と兄に包丁を向け、無我夢中で叫んだ。

兄は一瞬引いたけど
私に人を殺す度胸は無いと踏んだのか
そのまま私に向かってきた。

「やれるもんならやってみろよ!!」と。

─────その頃の沢山の痕跡─────

───────3へ続く

 ∧,,,,∧
(* ・ω・)
/ つ(⌒⌒)読んでくれてありがとう
しー \/  好き❤

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