2023/6/12 この世はわっかが回っている

日記がとても遅くなりましたことを深くお詫び申し上げます。
いや、わびはいらねえよ!だれも読んでねいからよ。かーっかっかっか!

下駄を鳴らーしてやつがーくるー。

うるせえーーー!!!

時間がなさすぎたので16時に書き始め、そこからあまりにも眠すぎたため21時前の今書き始めた。今日もおつきあい願います。

今日は10時ころに起きた、はず。
恐ろしいもので、もう昨日の記憶が薄れているのだ。やはり日記はなるべく早く毎日書くべきだ。

今日は事務所ライブのジャンピングイエローだ。

これは本当に正直な話なのだが、所属芸人、なかでもマセキユースの人たちは、事務所ライブをとても重たい気持ちで迎える。
それというのは、やはりマセキユースというのは所属ではなくてあくまでも「預かり」であり、毎月の事務所ライブを挑戦者として迎えるからだ。

お客様はそういったことは別によくわからなくても大丈夫だ。本当にリアルな話をしている。分からなくて当然である。

挑戦者の我々は大阪桐蔭に挑む地方公立高校のような心持ちなのである。
マセキ芸能社という超巨大企業との戦いである。どれくらい巨大かといえばメキシコの麻薬カルテルくらい巨大組織と言っていいだろう。

私ももれなく、今日も漫才がうまくいくかしらと緊張している。起きてから、今日のネタをもう一度見直したうえで、明日のネタ見せのネタを作りはじめて13時に出発した。

14時ころに会場に到着する。気温も高くなったうえに、かなりの湿気で過ごしづらい。

本日の入り時間は14:15なので、続々と芸人さんたちが到着する。今日も頑張ろうとお互いに声をかけあう。
気づけば14:15になった。あら。田川くんが来ていない。電話をするが電話に出ない。

やってくれた。この過去最大級のしんどいウィークの最後の最後に遅刻をしてくだすった。
これって私はどうしてあげればいいのだろう。私は前日に、明日は入り時間通りで集合しましょう、とLINEのメッセージを送ったうえで、事務所からのメールのスクショも送っている。
これ以上となると、私はもう集合前に毎日、田川くんの家に行って起こすことが必要になってくる。
それはさすがに私の生活時間がなくなってしまう。風呂に入らない、食事をしない、バイトをしないといった努力が必要になってくる。それは嫌である。

田川くんは14:15の入り時間を14:25と勘違いしていたとのことだった。なーんやそれ!である。いや、なーんやそれ!

ひとまず、田川くんがやってきて一通り怒られる。30歳を前にして、遅刻で怒られる。こんな恥ずかしいことは無い。

コンビは何をするのも連帯責任だ。私にもバツがやってくるのは仕方がないことである。
しかし、最近はあまりにも私が社会のルールを守り、田川くんがルールを破りまくることから同情していただいたのか、マネージャーさんが私には優しくなっている気がする。

話が長くなる予感がするのだが、私も30年近く生きてきて、私と言う人間の法則が見えてきた。

私は新しいコミュニティに入った時、だいたいまずは嫌われる。何を考えているかわからないし、あまりしゃべらない。顔も怖いとよく言われる。たまにしゃべったと思ったら何もオブラートに包まない物言いをする。これは私なりのジョークなのだが、そのジョークを言えるほどの関係性も築いていないのに言ってしまうから嫌われる。

しかし、行動はちゃんとしている。社会規範を尊重し、トイレ掃除をしたりする。そういった一つ一つの行動から信頼を勝ち取っていき、「あの人はちゃんとしている」と思われるようになっていく。そんなことを思い起こせば小学生のころからやっていた。

一方、田川くんはどうだろう。私は彼の人生を大学入学時から見てきた。そして、大学、アルバイト、お笑いといった各ライフステージにおける新しいコミュニティでの振る舞いを見てきた。
どうやら田川くんは私と全く逆のようである。見た目も柔らかく、人と話そうと思えば話せる。そのため、まず好かれるキャラクターである。それが、今日のような遅刻や細かな性悪なところがバレていき、最初に好かれていた反動も相まって、あいつは嫌なやつだと地に落ちていく。

これについては、けっこう前のポッドキャストでも話した。どうやら田川くんもこの傾向は見つけていたようだった。

どちらが得なのかはわからない。もちろん最初から最後まで好かれるのが最高である。しかし、そんなに簡単にはできないものである。

まわりまわって、今は田川くんの悪いところを漫才で使うことで助けられているので本当にものは使いようということだろう。

ひとまず、これからライブである。今日は私の中ではすごく嬉しいお客様が来ていただいていた。
普段、お越しいただいているお客様も、もちろんありがたいし、私個人の感情としても嬉しい。こんな売れない、躁鬱芸人にわざわざ連絡をしてご来場いただけるのだ。なんだか周りがいい人ばっかりで泣けてくる。

今日の嬉しいお客様は、大学の同級生で今は三重県にお住いの女性だった。数年ぶりに会って、いろいろと楽しい思い出がよみがえる。この女性との思い出は当時は変だな~ということもいろいろあったが、今思い起こせば楽しいことばかりだったなと思う。

琉球大学は沖縄出身者と県外出身者で、どうしても小さな溝があった。特に入学したての18、19歳であれば全く違う文化からやってきた人たちと交流するのは難しいのは当然だ。
沖縄育ちの方々と話をしていくうちにわかるのは、やはり戦中・戦後、そして現代の沖縄の基地負担などを見るに、内地の人というのは隙を見せれば沖縄の人の富や権利を奪っていくから気を付けろという考えが、今でも一部の人の中にあるのだ。

とある女学生と話すと、琉球大学に進学するとおばあちゃんに言うと、絶対に内地の人と結婚してはいけないと言われた、と言っていた。これは私の中でとても衝撃があった。
あら、なんの話をしていたんだっけ。

あ、意識の溝の話だ。この溝があるなかで、県外生は一人暮らしも初めているので仲良くなる。そして、今日お越しいただいた女性も県外生で仲良くなった。

久しぶりに会ったが、女性は時間が経つとどんどんきれいになっていくものだ。単純に私が熟女好きだからというのもあるかもしれない。しかし、大学のころと比べて本当にきれいになっていた。
彼女なりに苦労や挫折をしているというのは聞いていたので、そういった経験が彼女をきれいにしているのだろう。

大学は教育学部だったので、学校の先生になった友達は多い。しかし、私の周りの先生になった人はどんどん心を病んで先生を辞めていっている。

学校の先生になるには勉強もできないといけないが、常に躁状態でいられなければいけない。尋常じゃない業務量と、生徒から頼まれればお金も時間も払えるような、ある種、病的なまでに元気でなければ続けられない仕事だ。

私は教育実習で母校に行ったが、夜遅くまで残れば残るほどほかの先生は褒めてくれる。「学生でこんなにやる気があるのはいいね」という感じだ。今思えば、朝7時くらいに学校に来て夜22時ころまでいて褒められるってそんな仕事は無いよな。

彼女もまたそういった学校環境についていけず、先生を辞めてしまったうちの一人だ。なんだか鬱っぽくて私によく似ているのだ。

そんな懐かしいお客様の前で漫才ができるというのは光栄だ。今日も頑張って漫才をした。

でも頑張ってばかりも笑えないよな。頑張ってるお笑い芸人って、今はたくさんいるけども、ふと思うのは頑張ってネタを作ったり磨いたりする作業はもちろん面白いネタができるようになっていくが、根本的に人間としては面白くなくなっていく気もする。

漫才を始めた当初の台本がパソコンに入っている。今見てみると、今の私にはない、純粋な面白さがそこにはある。

藤崎「左まっかっか小学校卒業の僕としては~」
田川「思想強すぎるだろ!」

こんなやり取りが残されていた。なんか面白いんだよな。たぶん、これも私の人生の傾向なのだが、いろいろと考え取り組んでいくのだが、最終的にはここに戻ってくると思う。

野球をやっていたころにどうやったら打てるようになるかと、たくさんボールを打っていたのだが、高校3年の夏にようやく気付いたのは、ヒットやホームランを打ちたければ最も必要な練習は素振りであるということに気付いた。
相撲もとにかく四股を踏むことが重要で、基本だけ徹底的にやればいいと言われている。サッカーやバスケットボールであればとにかくドリブルの練習をすることが重要なのである。

しかし、それに気づくまでにはいろんな、無駄で派手なパフォーマンスも練習してみて、自分でこれは無駄なことだと気付くことが必要だ。

お笑いもそうであると思う。まずは純粋に面白いと思うことを羅列する、その後は変に理論を振りかざしてパフォーマンスを練習するのだ。しかし、売れた芸人さんのネタを見ればとてもシンプルで面白いと思うことの根っこの根っこだけで漫才を作っている。

いわば、私はパフォーマンスを練習しているところだと思う。この無駄さにいつ気付けるのか、私も私自身に期待をしたい。

今日のライブにお越しいただいた皆様、ありがとうございました。漫才は楽しいと思います。よろしければ、みんなでやりませんか。

今日面白いと思ったことは「遅刻は全然面白くないのでやめたほうがいい」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。