2024/01/09 シリアスに捉えてシトラスか

今日は9時30分頃に起きた気がする。
それにしてもまだまだ水うんちである。うーん。さすがに汁の摂りすぎだろうか。体に水気が多すぎるのかもしれない。固形のものも食べるようにしなければいけない。

今日は14:35から漫才大行進の代演が入っている。それまでの間に少しウーバーをやっておくことにした。天気も良く最高のツーリング日和だ。
ウーバーついでに漫才協会の事務局に行って書類の提出をした。ウーバーは隙間時間にできる仕事で、隙間時間にやっていることの隙間時間にまたなにかをできる。いいことだ。
バイトなんかは時間をなんとか乗りきればお金がもらえるという点において優秀だが、規則が厳しいバイトであれば、せっかく暇なのにボーウとするしかない。これはなんだか時間を無駄にしている気がしてしまう。
どちらにも良い点と悪い点があるな。なんでもそう。

13時過ぎに一時帰宅して、支度をして今度は漫才大行進だ。ここのところ連日の大行進で疲れていた。今日でいったんおしまいである。やれやれやれ。
若手にはどんどん出てもらって漫才をやってもらいたい。先日の当番を一緒にやった、シリアルのお二人は12日にようやっと初の出番なんだそう。10分もどうすりゃいいんだという面持ちだった。初々しいもんである。気づけば10分が普通になって、5分のネタなんかどうやって書けばいいのかわからなくなる。こうはならないほうがいい。
ひとのコンビ名にあれこれ言うのは良くないのだが「シリアル」が覚えにくい。いや、普通の人であれば当然、簡単におぼえられるものと承知している。私が「シリアル」さんを思い出そうとするときに「シトラス」が邪魔をして思い出せない。当番の時、今日も含めて漫才協会からの新入会のお知らせメールでなんとか確認したほどだ。
シリアル。そもそもなんだシリアルって。検索してみると「連続的な」「連続の」という意味である。わからないなあ。頭の中に映像が浮かばない。シリアルと言えば、コーンフレークみたいな穀物を乾燥させた食べ物を連想させるのが一般的だろうか。
私は生まれてこの方、食事としてシリアルを食べたことがない。おやつに食べれば、スナック菓子よりかは体によかろうと食べることはある。子供のころであれば、興味から食べてみるのだがこれでは腹が満たされないと、白米も食べることになる。あれがご飯にはならない。よくもまあ、あれで一日のスタートを切ろうと思うものだ。
欧米人の食事への無関心さは目を見張るものがある。我が友人、アメリカはウィスコンシン州在住のレアリー氏は食事は主にナッツを食べていた。よくもまあ動けるなあと思った。その横で私はパン、おにぎり、インスタント麺を食べたものだ。

何の話だっけか。シリアルというのが私にとっておぼえづらいという話だった。そうだそうだ。そんなこんなでシリアルが私の脳ではシトラスが邪魔する。シトラスは柑橘系の果物で、いいにおいがする。柔軟剤だったりでシリアルよりも私と接する機会が多い。ということで、シトラスだ。いや、シリアルだ。いや、これはシリアスに考えてシリアルかシトラスか、うーん。

ということでなんやかんや、漫才大行進を終えてから、近くの公園に移動した。30分のラジオを録音した。こちらも滞りなく録音完了。
そのままの勢いで、西日暮里のガストへ向かう。恒例の稲倉会である。
めろんぱんとしての漫才活動がなかなかできない中、ピンネタ、漫談を頑張っている。ということで今年はR-1グランプリへも出場するそうだ。よく頑張っている。
稲倉さんなりにもう、一人での芸風は確立した感じはあるので、となればあとはその稲倉が何をしゃべるかは自由で、もうこの調子でいけばいいのだ。いうことは何もない。めろんぱんの復帰後の漫才についていろいろと話した。良い感じのができそうであった。早いとこ戻ってほしいものである。

そんなわけで、21時過ぎに解散して帰宅した。なんだかんだ長い一日だった。おつかれさまでした。ちょっと今日も短めであるか。いや、長いながい。

今日面白いと思ったことは「シトラスを応援しよう!」


こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。