2023/1/13にあった面白いと思うこと 手袋

今日は漫才大行進にでた。母が旅行を兼ねて来ていたので、さきほどまで晩ごはんを食べていた。

今日は比較的暖かかった。そのため家に出る前の服装に少し悩んだ。いつもはトレーナを着た上にジャンパーを来てネックウォーマー、手袋をして出発する。しかし今日の暖かさなら、ネックウォーマーはいらない。ジャンパーはまあ、来ておこうかなと判断した。次に手袋だ。手袋は何種類か選択肢がある。ホームセンターで買った防水防寒スマホタッチできる極厚手袋、防寒ゆるめ防水ではないスマホタッチできる手袋、いわゆる軍手、といったものがある。これらに加えて一つ異質を放つ手袋が家にはある。この手袋はかなり強めの青色に黄色のラインが入り、手の甲には白のプーマのマーク、手のひらにはイボ付き軍手のようなイボイボが白色で指先まである。この手袋を見つけたとき、私は小学生時代の記憶が蘇る。この手袋は小学5・6年くらいのときに買ってもらったものだ。まだ手元にある。

私は今では野球大好き少年(おじさん)だ。草野球は最低でも毎月行いたいとおもうほど野球好きだ。
野球には小学2年生のときに地元の子供会のソフトボールチームに入り、初めて触れた。その後は中学で軟式野球部、高校で硬式野球部、大学では草野球チームを立ち上げるなど野球好きのエリートのような幼少期を過ごしてきた。

しかし、私は小学生の時はサッカーも好きだった。サッカーチームに入っている友達らと一緒に学校の昼休憩、放課後とサッカーをしていた。平日は毎日3時間くらいしていた。そして週末はソフトボールチームでの練習や試合をしていた。

サッカーで好きなポジションはゴールキーパーだった。サッカーチームに入っている子達はボールの蹴り方がうまいので力感なく遠くにボールを蹴ることができるが、私はそれができないでいた。いわゆるトゥーキック、つま先をボールの真ん中くらいに突き刺すようなキックしかできなかった。そのため、ボールを蹴るポジションは嫌いだったのだ。その点、キーパーはあまりボールを蹴らなくても良い。止めることが主な仕事だ。

幸い(幸いなのか?)私は小学生の時から野球ではキャッチャーをやっていたのでボールへの反応は強かった。圧倒的なディフェンス能力であった。

そんなサッカーと野球の日々を送る中で、私はサッカーのキーパーとしての能力を高めたくなり、キーパーのグローブがほしいと親にねだるようになった。

キーパーのグローブは野球のバッティンググローブに綿をいれたような、革手袋の中に綿が入り、衝撃を吸収するものだ。
当時の私はサッカーについて、自分(キーパー)より後ろにボールをなるべく行かせない競技として認識していたためサッカー選手がどのような道具を使っているのか知らない。

ニュースのスポーツコーナーでプロの映像を見る限りではどうやら滑り止めはついているようだということはわかっていた。

母と地元のスーパーの衣料品コーナーに行ったときに冒頭に出たプーマの手袋が並んでいた。
これだ!これこそが私の欲しかったキーパーの手袋だ!と思った。
野球をしていた私にとって野球用品メーカーといえば、ミズノとゼットくらいのもので、なんとなくプーマとアシックスはサッカーのメーカーだと思っていた。目の前に有るのはサッカーのメーカーの手袋で、かつイボイボの滑り止めがついている。まさしくこれは当時の私にとって理想のようなキーパーグローブだ。

サッカーに必要だからどうしても買ってほしい!とねだった。我が家はスポーツと勉強に関わることは相談すればよっぽど高いものでなければ買ってもらえる家だったため、少しの交渉で買ってもらうことができた。

そこからそのキーパーグローブ(ただのスポーティ軍手)を使って日々のサッカーにうちこんだ。
やがて中学生になる。中学ではサッカーチームにいた子たちはサッカー部へ、ソフトボールチームや少年野球チームにいた子たちは野球部に入ったため、私はサッカーをやめた。言い換えれば本当の意味で「足を洗った」といえる。うまい!

野球部は派手な道具を持つことは御法度だ。スパイクは黒以外はダメ、グローブは黒、革色以外は基本的にダメ、バッティンググローブは白、黒以外はダメ。これはルールで決められているほどの強固なもので、練習中も当然みんな黒色のものを使っている。たしか、ここ2、3年の間にルールが変わり、熱の放出に効果があるとして白のスパイクは使っても良いことになったがいまも厳しいルールは継続している。

となると、ランニングの際につける手袋などはいくら練習とはいえ派手なものはつけられず、プレーンの軍手を冬場はつけていた。私にとってのキーパーグローブはそのまま押し入れで長い眠りにつくこととなる。

野球部の厳しいハイカラ禁止令は高校でも続く。まだこの手袋は眠ったままだ。
やがて私はお笑い芸人を目指して上京することになる。大学を出て、バックパッカー生活をしたあとの上京だ。お金のない私は家にある防寒着はなるべく持っていった。そこに、この手袋は入っていたのだ。

そして、今日という寒いけどそこまで寒くない日の私の手はこの最高のキーパーグローブで暖められているのだ。

なんだか、気持ちがあたたまる話になったと思う。このキーパーグローブは私の手と心、そして皆さんの心を暖めたのだ。うまい!

それにしても私は物持ちがいいなーと話し始めたところで2200字書いてしまったのでここらへんで終わろうと思う。

今日面白いと思ったことは「キーパーとしてサッカーにまた参加したいという気持ちが私にあったという発見」でした。
草サッカーをするかたは呼んでね!
ばいばーい。

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。