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観光地にある現実の一例

本来喜んで頂くのが本筋だろうけど、なぜ人様の最期を送り出さなければいけないのか。人間の表と裏を同時に受け止め、何も推奨する事ができない瞬間の話。

2年前に思った事を書き綴ります。楽しいGWには沿わない内容ですが観光地で起こり得る人間の生死を考えた記憶文。

和歌山の南紀白浜に三段壁ってあって、レッドブル主催の飛び込み競技では世界的に有名な名所があるんだけど、メインの入り口から少し離れたところに、無料の公衆電話があるんだよね。

「いのちの電話」に直接繋がる電話で、自殺する人へ最後に心変わりするようにお話しを聞いてあげるのが趣旨らしい。

JR白浜駅からホテルまでタクシーにのったとき、たまに一人で三段壁まで行きたいっていうお客さんを乗せることがあって、その時は遠回りしてでも、なるべく会話するようにして、その公衆電話がある入り口付近で降ろすようにしているって運転手さんが言ってた。

宿泊先を聞いても「まだ決まってない」とか、「日帰りで和歌山市へ帰るんです」とか、ごまかしながら会話をかわすらしい。小さなバッグ1つしかもってないのに。

バックミラー越しに、LINEの緑色の画面が眼鏡に反射して最期のお別れをだれかに送っているのか、返答もない無音の車内が一番辛いっていってたな。

一人として救ったのかもわからないと言ってた運転手さんの言葉が、宿泊先までの13分、ぼくを沈黙にさせた。

亡くなったかどうかもわからない。飛んだのか踏みとどまったのかもわからない。

一人の人間の死の際を一緒に過ごす仕事に従事していることに気付き、改めて自身の生を考えることが増えたと言っていた。

一度飛んでしまえば命を失う三段壁。覚悟を決めた人が今日も白浜を訪れているのかはわからないけど、心の深いところで自身を問い詰めてしまうことがあるって精神的に過酷だな。

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本来喜んでいただくのが本筋だろうけど、なぜ人様の最期へ送り出さなければいけないのか。観光地であるから様々な人種が集まるのはそうだけど、人間の表面と裏面を同時に受け止めないといけないのは辛い。

こんな文章の中に解決は見出せないけど曖昧な記憶だけで済ませたくはなかったので文章化しました。

自然の中に呼吸し自然と共存する美しさがある南紀白浜。
北海道には存在しない空気と潮の薫りが心地よい南紀白浜。

これからも様々なディテールを体験しながら南紀白浜と接して行きたい。

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