パパ、なんで まいにちおしごと いってるの? A
「ねえ パパ なんで」は
Q&Aで構成されています。
"パパ、なんで まいにちおしごと いってるの? Qは→コチラ!
毎日仕事に行くことに違和感があるのではなくて、日々ウツむいた眼鏡のサラリーマンに紛れて満員電車に揺られることが仕事であるかのような、それに違和感というか、否感を覚えていたのだと思います。
自分の父は、自営業になるんでしょうかね、高見"家"で仕事をしていたので、僕の周辺はそんな環境ではなかったんですけども。
テレビや漫画、懐かしのロックナンバーに影響されていたのかも知れません。
もちろん今でも、満員電車には一縷の光明もなく、日々通勤と名のつく時間には辟易しながら、生活のタズキを繋ぐため、ぎゅうぎゅうに犇(ひしめ)きあって移動させられています。ぎゅう。
そういう生活したくない! と叫んで、芸人になった認識は、タトゥーのように背中に書き殴られていますが、それは現実に押し付けられた版画(芋版)のようでもあります。
こどもの頃は父が働く姿は誇らしかったように思います。いや、いまちゃんと考えるとバキボキに誇らしいんですけど、思春期にはそうもいかずでした。
クリエイティビティーのない仕事(と捉えていたのも無知と若さ、でしょうか)と、他にやりたい事があるように感じられた父を、許容できない
ま、そういうスタンスがカッコいいと勘違いするのが、思春期の仕事みたいなもんなので、頗る職務熱心だったといえるでしょう。
その病が完治し切っていないわけではありません。日々の満員電車を少々の舌打ち程度で日常に落とし込んでいる皆様は、それだけで一等賞だと思います。皮肉でもイジリでもなく。
コロナ禍でリモートが進んだのはなんだったんだ? みたいなことは当然想いはしますけれども、それはまた別のお話。
その満員さ加減、地方の人からすると都市伝説みたいに思えるかも知れませんが、駅によっては一回乗車を諦めないといけないくらいはザラ。
駅員さんがちょっと押し込もうとするんですけど、違うやろ、間引きせえよ、と思えるくらいの乗車率なわけです。トチ狂ってる以外に表現ないですよ。
もう東京という土地が狂ってしまっているんだと思います。東狂です。そんな社会で、さしてやりたい事でもないものを労務とする。こりゃもう。
と言いたいんですが、タモリさん曰くじゃないですけど、仕事ってまあ、そもそもがそういうものなのかも知れません。
なので、そんなもんだからと笑顔で溌剌と上を向き、満員電車も息と心を殺して他人に怒らず、自分もその一部であるという認識と謙遜をし、日々の感謝をお天道様に申し上げる。
サウイフオトナニ ワタシハナリタ(怪文はここで途切れている)
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