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行く末の彼女たち

 私の母校は地方の公立小学校だ。過疎化と少子化のあおりで、私の世代は男女合わせて一学年二十数名しか在籍していなかった。その全員が同じ市立中学を卒業し、成績優秀な何名かは周辺で一番偏差値の高い県立高校に入学した。一応、中学まではガリ勉だった私もその一人だ。

 同じ県内でも都市圏には私立中学や中高一貫校もあったが、周り一面田んぼと瓦屋根の家しかないような片田舎から、電車で二時間以上かかる距離を子どもに通わせるほど教育熱心な家庭はなかった。少なくとも私の同級生や近所の子のうち、中学受験をした子は一人もいない。
 地方の片隅の教育事情とはそんなものだ。

 成績優秀者が公立高校に行くというのは、首都圏から見ると真逆に思えるかもしれないが、これも地方ではよくある話だ。私の周辺では、私立高校はあくまで滑り止めのために受ける、「お金を払えば入れる」あるいは「名前さえ書けば入れる」学校という認識だった。一部の超進学校を除いては、地方では公立高校の方が偏差値も高い傾向がある。
 学力がそこまで高くなく、経済的に私立にも通えない子は、公立の商業高校や工業高校へ行き、卒業と同時に就職する子も少なくなかった。
 昨今、大学進学率が60%を超えたと言われるが、県別に見ると、私の出身地はいまだに50%を割っている。

 小学校時代から一番優秀だと言われていた同級生の女子は、私と同じ高校に入り、県内の国立大学を卒業し、新卒で地方新聞社に採用された。同じ高校からはその地元大学の志望者が最も多かったことを考えたら、まるでお手本のような人生設計だ。さすが〇〇ちゃんと近所でも評判だった。
 同じ小学校からその高校を出たもう一人は、高卒で地方公務員になり、20代前半で結婚して子どもを設けたそうだ。「成績はいいのに、どうして進学しないんだろうね」と私は疑問だったが、私に彼女の進路を教えてくれた友人は「いろいろあるんじゃない?」と言葉を濁すだけだった。その友人も高校の同級生だったが、母子家庭で育ち、大学ではなく専門学校を進学先に選んだ。最後に会った時には、結婚して子どもを一人産み、家計のためにホステスのバイトを始めていた。

 中学の同級生のうち、それほど勉強熱心ではなかった子たちとは高校で進路が分かれたが、多くは地元に残っているようだ。社会人になって帰省したある時、市内のスーパーへ買い物に行くと、二軒連続で元同級生がレジ係をやっているのに遭遇した。実家住まいで近所で働きながら、やがてはそのまま結婚したり、親の面倒を看たりするのだろう。

 彼女たちの選んだ人生をどうこう言う資格は私にはないけれど、自分の世代の、同じ地元に生まれ、そこに残った女子たちのことを考えるとき、私はどうしてもその閉塞感に押し潰されそうになる。

 地方新聞の記者になった彼女は、いつまで「地元で評判の優秀な娘さん」という規範を引き受け続けるんだろう。公務員になって結婚退職したあの子は、あんなに若くから専業主婦になった人生に満足してるんだろうか。レジ係をやっている同級生たちは、一生他の世界を見ずに、近所の噂話をしながら狭いコミュニティの中で暮らしていくのか。

 私にとって地元に残るというのは、ムラ社会の中で割り振られた役割に収まって、自我を持たずに生きていくことと同じだった。

 そういうものから逃れるために上京してきたのだ。しかし、私は勘違いしていた。地方を離れたからと言って、誰もが自由に生きられるわけじゃない。

 私を待ち受けていたのは、地元にあった狭い世界の同調圧力とはまた別の、巨大な競争社会だった。能力さえあれば誰でも出世できる、生きたいように生きて行ける世界とは、能力がない者にとっては残酷だ。いくら努力しても、スタート地点から付いている差を乗り越えることはできないまま、私は結局、自由や「自分らしい生き方」なんてものを手にする前に脱落した。

 それは私自身の資質の問題でもあるが、ただそれだけでもない。

 専門学校しか出ていない地方出身のクリエイター志望者が選べる就職先は、小さなプロダクションやデザイン会社くらいのもので、そうなると正規雇用より非正規の雇用形態の方が多いのだ。
 そこには当然のような顔をして、差別と搾取の構造がある。
 私がインターンで入った会社では、正社員志望で入ったはずの女性が、数年間アルバイトのままで雇われていた。理由はわからないが、その会社の正社員は全員男性だった。彼女は結局退職して、駅前のケーキ屋で働き始めた。
 私自身も似たような目にあった。転職した会社では、試用期間だけの約束のはずがずっとアルバイトのままだったり、「君は他に行くのも難しいでしょ」と足元を見られて、低賃金で雇われたりもした。正規雇用だと思って入ったら、実質派遣だったこともある。それでも、働けるのだからまだマシだと思ってきた。
 そのうちに体と精神がブッ壊れた。

 そういうマイナスの境遇に奮起して成功できる人もいるのだろうが、ほんの一握りだ。たまたま運よく戦って行けるだけの体力があり、人脈があり、高い労働能力に恵まれている人。それらはある種の特権だ。

 じゃあ、それ以外の私たちは、一体どこでなら思うように生きて行けるのだろう?

 天国に至る道は針の孔より小さい。

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