Hai

掌に乗るほど小さな人生の色々。 映画、本、発達障害、うつ病からのリハビリなど。

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自己紹介

ADHDとASD当事者、うつ病治療中の女です。 メンタルヘルスに関することや、日常のいろんなこと、映画や小説、ジェンダーのことなど、自分に関わることを自由に書いていこうと思っています。 🔼うつ病になった経緯、仕事に関して感じたことなどはこちら。 🔼本の感想や、本から連想したこと。韓国文学、ノンフィクションが多めになると思います。 🔼映画から感じたこと。 Matterhornの記事を結構気に入っています、 🔼あとはとりとめない日記です。

    • めちゃくちゃよく寝た

       この数日間ひたすら寝ていた。春眠が暁を覚えないにも程があった。仕事に行くギリギリまで寝ていて、仕事から帰ってきてまたすぐに寝る。一日10時間は軽く寝ていたはずなんだけれど、それでもまだ眠かった。  そんなわけで、土日もひたすら寝ることにした。昨日は12時間は寝た上に暇さえあれば昼寝をして、さらに日付が変わる前には電気を消してベッドに入った。昼間に寝すぎたせいで、さすがに寝つきは良くはなかったけれど、バイリンガルニュースのバックナンバーを聞いているうちにいつの間にか意識は落

      • 瓦礫の中から、再び

         新型ウイルスが蔓延してから2年が過ぎ、パンデミックは日常となった。  そうかと思えばトンガの海底火山が噴火して、その復興もままならないうちにロシアがウクライナに侵攻を始め、1か月が経とうとしている今も終わりは見えず、犠牲者の数は増え続けている。そんな中、数日前には3.11を思い出させるかのような地震が起こった。  もうずっと、絶え間なく災害が起こり続けている。それでも私たちは、マスクをして外に出かけ、昼は何を食べようかと考えたり、恐ろしいニュースに震えた次の瞬間には、アイド

        • 行く末の彼女たち

           私の母校は地方の公立小学校だ。過疎化と少子化のあおりで、私の世代は男女合わせて一学年二十数名しか在籍していなかった。その全員が同じ市立中学を卒業し、成績優秀な何名かは周辺で一番偏差値の高い県立高校に入学した。一応、中学まではガリ勉だった私もその一人だ。  同じ県内でも都市圏には私立中学や中高一貫校もあったが、周り一面田んぼと瓦屋根の家しかないような片田舎から、電車で二時間以上かかる距離を子どもに通わせるほど教育熱心な家庭はなかった。少なくとも私の同級生や近所の子のうち、中

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          「時間を稼ぐのがうつ病の治療のすべてだ」―『うつ病九段』

           うつ病の治療を始めてからしばらく経ったある時、私も電車に乗った。  普段、通院には徒歩か地下鉄を利用していたのだけれど、その日はデイケアをやっている別の精神科の初診を受けに行く予定で、別の路線を使わなくてはならなかった。私はJRの駅まで歩き、階段を上り、自動券売機で切符を買って、ホームに降りた。  4月を過ぎた暖かい季節の、穏やかな午後だった。  うつ病も最悪の時期を脱した私は、希死念慮(死にたいと強く望むこと)に悩まされることも減り、新しく始めるリハビリに向けて、前向き

          「時間を稼ぐのがうつ病の治療のすべてだ」―『うつ病九段』

          意識と言う名の病

           うつ病の治療を始めて最初に処方されたのは、SSRI(抗うつ薬の一種)と少量の抗精神病薬だった。 その頃の状態は最悪で、私は「もう死ぬしかない」「みんな私が早く死ぬことを望んでいる」という妄想的な想念に、24時間絶え間なく、頭の先までどっぷりと浸かっていた。 そんな「死にたさ」に薬なんて効くはずがないと思っていたけれど、それでも他に選択肢もなく、出された薬を毎日飲み続けた。  薬はさっぱり効く気配がなく、次の日も、その次の日も、相変わらず生きているのが辛くて、死にたくてた

          意識と言う名の病

          嘘吐きは誰だ

           ナラティブ・アプローチには「現実はひとつではない(語られた数だけ存在する)」という現実観がある。ひとつひとつの事実というのは、それぞれにとっての「現実」を構成する材料でしかなく、人は自分が作った筋書きに合わせて事実を組み合わせ、それを現実と認識しているだけなのだ。  昨日、ネットの片隅で、本当に取るに足りないような、だけどそれなりにショックな出来事があった。  私はnoteを始める以前、発達障害の情報を集めたポータルサイトの会員アカウントで、個人的な日記を書いていた。小

          嘘吐きは誰だ

          数千倍の死、数千倍の血―映画『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』

           ウクライナで起こったマイダン革命のドキュメンタリー映画『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』を見た。2013年11月、EUとの協定に署名しなかったヤヌコーヴィチ政権に対し抗議するために始まったデモが大規模な反政府運動となり、93日間に渡って続く中で、死者125人、行方不明者65人、負傷者1,890人もの犠牲を出し、大統領辞任によって終結するまでをカメラがとらえたものだ。  衝突が激化していく様子に、韓国で非武装の学生や民間人による民主化運動が軍によ

          数千倍の死、数千倍の血―映画『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』

          とてもそんな気分じゃなくて

           まったく性的な関係ではない男性と、少しも性的ではない話をしていたのに、なぜか唐突にセックスを要求されたことが、一度ならずある。あれは本当に何だったんだろうと今になっても思うし、考えれば考えるほど悲しい気持ちになる。  一番よく覚えているのは、学生の時の友人とのことだ。彼は私よりいくらか年上だったのだけれど、面倒見が良くて面白い人柄で、学生時代はお互いに課題を手伝い合ったりしていた。もう一人仲の良い男友達がいて、三人でよく飲みにも行った。これからどういう作品を作って行きたい

          とてもそんな気分じゃなくて

          この一日を生き抜け―映画『シングルマン』

           1962年、キューバ危機下のアメリカは核攻撃まで秒読み段階とも言われるきわめて緊迫した情勢に置かれ、不安に覆われていた。トム・フォードの初監督作品となった映画『シングルマン』は、その年のロサンゼルスを舞台に、ある男の一日を描いている。  大学教授であるジョージは、8カ月前に最愛の恋人ジムを交通事故で失って以来、喪失感から立ち直れずにいた。たった一人の理解者であり、自分の半身だったジム。彼なしでは生きていく意味も見いだせない。  そんな絶望を知りもせず、世間では政治家が戦争

          この一日を生き抜け―映画『シングルマン』

          「あたらしい」が変えていくもの

           少し前に読んだ本『あたらしい無職』(丹野未雪)のタイトルについて、最近また気が付くと考えている。  丹野氏は長年非正規雇用で編集職をやってきた女性で、39歳の時に雇い止めのため無職になり、それからの日々の記録(ハローワーク通いや再就職)を『あたらしい無職』という本にまとめた。本の中では特にタイトルの意味が説明されていなかったのだけれど、刊行記念の対談によれば、「お金はなくてもそれなりに楽しく過ごせているのに、世の中には無職であることに対して自虐的でいなければいけないような

          「あたらしい」が変えていくもの

          見えない壁がある

           私とフェミニズムの間には見えない壁がある。  フェミニズムに共感を感じながらも、私はずっとそんなふうに思ってきた。  フェミニズムの中心的なイシューの一つに『男性が独占している特権を、女性も平等に手にするべき』というものがある。  女は男と同じ努力をしても評価されない。能力があっても認められにくい。出産や育児で一度キャリアが断絶すると復帰しにくい。女性の方が賃金が低く、非正規雇用率が高い……そんな不平等への怒りをフェミニストたちは盛んに論じる。もちろん何の異論もない。今

          見えない壁がある

          人生を失うということ

           昨日、プロサッカー選手とうつ病についてのnoteを書いた。  その中では書ききれなかったのだけれど、取り上げた本『カンプノウの灯火 メッシになれなかった少年たち』の中で、もうひとつ気になったエピソードがある。  一番最初の章に登場する、ディオン・メンディというセネガル出身の青年の話だ。ディオンは少年時代にセネガルからスペインに移住してきて、小さなサッカークラブでプレーしているところをスカウトされ、バルサの下部組織に入った。その当時は誰よりも優れたフィジカルを誇る選手で、

          人生を失うということ

          競争を降りても人生は続く

           プロサッカー選手とうつ病の関係は深い。現在、日本のプロサッカークラブ、ヴィッセル神戸に所属するアンドレス・イニエスタは、2018年に放送されたテレビ番組で、自身がうつ病にかかっていたことを告白した。  元ドイツ代表でもあり、ハノーファー96のゴールキーパーを務めていたロベルト・エンケも同じ病に苦しみ、2009年夏、踏切から特急列車に飛び込んだ。  2015年のFIFpro(国際プロサッカー選手連盟)の調査によれば、プロサッカー選手のうち、現役選手の38%、引退選手の35

          競争を降りても人生は続く

          不自由さと救い

           山と渓谷社から出ている『自然について、わたしの考えを話そう』というインタビュー集の中で、建築家の安藤忠雄が、「あえて不自由な間取りにすることでしかできない体験がある」というようなことを語っていたのを、時々思い出す。  読んだのがずっと前なのでもうかなりうろ覚えなんだけれど、調べてみると、そんな話に繋がりそうなエピソードが出てきた。  安藤忠雄の初期の代表作・住吉の長屋は、三軒続きの長屋の真ん中の一軒を天井までぶち抜いて中庭にし、部屋を行き来するのにわざわざ庭を通り抜けなけ

          不自由さと救い

          非力で透明な私たちへ

           この前、駅前通りの歩道を歩いていた。駅前とは言っても住宅街なので、夜ともなるとかなり閑散としている。私はその道を、一人で歩いていた。  しばらくすると、前方から30代ほどの男性が三人、並んで歩いてきた。服装は三人ともやんちゃめなストリート系で、体格も良く、どちらかと言うと強面な感じだった。彼らは当然のように歩道いっぱいを塞いで近づいてくる。  とうとう目の前まで来た時、私は咄嗟に商店の軒下に身を寄せ、そこで立ち止まって彼らをやり過ごした。  彼らは私の方など見もせず、ゲラ

          非力で透明な私たちへ