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精神疾患を持っているかもしれない人の殺人未遂事件について元メンヘラが個人的に語ってみた。

2024年2月25日時点、札幌市のコンビニエンスストアで店員3人が襲われる殺人未遂事件があったそうです。加害者は支離滅裂な話をしているということです。被害に遭われた方の中でお一人は亡くなられたそうです。

ヤフーニュースの記事を貼らせてもらいましたが、コメント欄で精神疾患を持った人の事件について、様々な意見が書かれているので、わたしも過去約30年にわたって精神疾患(うつ病、双極性感情障害、パニック障害)で通院を余儀なくされて、現在は寛解して暮らしている身として思うことを書いてみたいと思います。あくまでもわたし個人の意見であり、精神疾患を抱えている人の代表意見ではないことをご了承ください。


精神疾患があると善悪の判断についてどのような体感なのか

まず、犯罪を起こすことについては置いておいて、通常、精神疾患を持っていると意識的にどのようになるかということをわたし自身の過去の体感を書くと、相手がどれだけ傷がつくか、という想像力や判断力が鈍くなる場合が正直あったと思います。だから言葉通り、乱暴な言い方をすると他人を傷つける行動が平気になりやすくもあるとわたしは思います。その境界は確かに曖昧になると言えるでしょう。
想像力の欠如というか、自分が抱えている心の傷が大きいから他人の傷は考えられない。自分の苦しみが大きすぎて他人のことまで考えられない。相手がどんな言葉に、暴力に、どれだけ心や体が傷つくだろう、ということが深くは考えられないところはあります。
その根底には、自分が自分を愛せないでいるからというのがベースにあります。自分を大切にできない気持ちが大きければ大きいほど、他人のことまで気が回らない。
わたしも寛解する過程でよく分かったのですが、本来は自分を肯定的に捉えて心から深く愛して自分自身を大切に扱う健全な気持ちが備わっていると、他人に対しても自分を扱うのと同じように接することができるのです。そこの部分がきちんと機能していないと自分だけじゃなく、他人に対する認識力が歪んでしまう。とはいえ、今現在精神疾患を持っている人がこれを読んだら
『私は精神疾患持ってるけど、他人を傷つけようなんて絶対に思わないし、悪いことだと思ってる!』と言う人は多いと思います。
もちろん、それは人によるし、そうであることはそれでいいと思います。現実はそういう方が多いと思うのです。それはその人が自分は精神疾患があって自分が危ういことを十分すぎるほどよくわかっているからでしょう。傷つくのは自分だけでいい、傷つけていいのは自分だけでいいとさえ思いながら、他人は傷つけてはならない、と自分をしっかり戒めて歯止めをかけてることが多いのだと思います。せめて、規律はきちんと守って生きづらいこの世界を生き延びなければならないと思ってるから。きちんとしないといけない、という真面目な気持ちを普段から強く意識して持ってる人が多いのでしょう。だからこそ、その意識の強さが過剰になって自分を追い詰めて却って病気になってしまうというところもあるのでしょう。

自分を真から愛することができると、他の誰かを傷つける心はなくなる

ただ、本来はさっきも書いたように健全な心の状態ならば、自分を愛し自分の心を満たすことで初めて他人に対して何の見返りもエゴもなく大切にしようという心に繋がっていきます。強く意識せずとも暴力や他人を傷つける行為に走らなくなるのです。自然な流れとして。
犯罪を起こさずに生きようとするストッパーの部分で、健常者と精神疾患を持っている人とではそういう差を感じます。だから、ベースは『愛』なんだと思います。自分を愛せないようになってしまう何かきっかけがあって、その傷が大きくなってしまったところが多くの精神疾患持ちにはあると思うのです。

改善策は?

では、もし精神疾患を持った人が大きな事件を起こしてしまうことについて、個人的な意見を書いてみます。入院させて、罪を償わせて、治るまでは世に出さないように。という意見は出て当然だと思います。ただ、それにはそれ相応のお金がかかるのもあるでしょう。そしてそれは国民の税金から出さないといけなくなる。もちろん、国がもう少し税金の用途を考えて、こういうところに力を入れて欲しいというのもあるだろうけど、そういう人は世間から隔離できたら全て解決するのかといったらそうじゃないでしょう。それと同時にこの社会構造を変えないといくらお金があっても、いくら隔離しても足りないと思うのです。

自分を愛せないで認識が多少なりとも曖昧な状態で社会から外れないようにしがみつきながら辛い世の中を生きて精神疾患を抱える。そういう人をこれ以上出さない社会構造、企業の体質、教育方針、人間関係の優劣をつける風潮、全部改善をしていかないと精神疾患持ちの人や被害者(巡り巡って加害者も)はどんどん増えていく。
こういう事件がもう起きないように精神疾患を抱えた犯罪者には当面は一時的な措置が必要ならその対策をするべきだけど、よく理解しなければならないのはその改善しなければならないのは精神疾患を言い渡された人だけに限らないということ。ネットで誹謗中傷や他人が傷つくことを考えられないで何かパワハラやモラハラなどの行為を行う人も本質は同じだということだと思うのです。その個々の罪の大きさは別の話として、その根っこを断たないとなくならないだろうという話です。精神疾患はただのラベルでしかない、被害を受けるのも加害するのもみんな同じなんだということ。誰にでも言えることなのだということ。人は誰でも同じ穴のムジナです。

解決するために一人一人ができること

自分を愛せない人またはその自覚がある人は精神疾患があろうがなかろうが、自らの行為を振り返ってそのことを個別に自問自答して自分自身をどうやったら愛せるのか、考える必要があると思うのです。
自己肯定感が高いとは。自分を愛せるとは。ここで勘違いする人が多いと思うので断っておきますが、裕福な暮らしをしている人のことでも、容姿に恵まれている人のことでもありません。キラキラした毎日をSNSにアップしている人のことでもなく、わがまま放題に生きている人のことでもありません。
競争社会に生まれて育って、わたしたちは洗脳されているところがありますが、その意識をまず捨てないといけないと思うのです。

どんな状況でも、今の自分を何かが足りないと思わずに全て良しとできる心の器の大きさを持てているかどうか、が目安だと思います。自分で自分を心から良しとして満たされていれば、他人に何かを自慢する必要もないし、誰かを暴力や言葉で虐げる必要もないのです。全て自分の中だけで完結していれば他の人にどうこうすることもないのです。

これが自戒をこめた、わたしの個人的な意見です。


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