あなたのお子さんは賢いよいこです。



(この間、偶然出会えた出来事とその日から残る心のささくれをここに。)



土曜日。午前中だけ開く病院に慌てて駆け込み、小ぎれいな薬局で処方箋待ちをしていた正午間近。

出入口のちょっと入った先には自分と同じ背幅ほどのドリンクディスペンサーが佇んでおり、果汁0%のりんごジュースからオリジナルのブレンドコーヒーまで、数種のラインアップを自由に飲めるようになっていた。特に何を飲むわけでもないけれど、受付からやや離れたその前に腰を掛ける。

間もなく冷えた風に押されるように入ってきたのは、小柄なお母さんに手を引かれた小学校上がりたてくらいの男の子と、その後ろをゆったりついてくる入園前くらいの女の子。

受付前に座ったお母さんからすぐ離れ、やんちゃそうな男の子が慣れた様子で紙コップを手に取る。そこまでぼんやり見届けて、私はスマホに目を落とした。



そこから5分と経たない内に再びその子がやってきたのが視線を上げずとも分かった。というのも、それで終わりにするんだよ、と申し訳なさそうな、やや気恥ずかしそうな声が足音より早く耳に届いていたからだ。

そのやり取りを微笑ましく思いながら名前が呼ばれるのを待ってしばらく、今度はおぼつかない足音が近づいてくる。ぽてぽてと効果音をつけたくなるような足取りになんとなく不安にあり顔を上げる。

両の手の間に紙コップ。

(片手じゃまだ持てないんだなぁ)とそのサイズ感に感心していると、ひとりでポイできるー?と声だけがその女の子を追っかけてきた。

(まぁ大丈夫でしょう)とその子の代わりに心の中で答えてすぐ(あ、ダメかもお母さん)と訂正。それというのも

ごみ箱が並んでいたからだ。

ディスペンサーに寄り添う形で2つ。

おそらく紙コップ用とビン・カン用だろう。貼り紙も何もないそれらに、私にも正解が分からない。見目全く違わない2つに、まだ幼稚園入園前くらいの女の子がどちらに捨てるか判断できるだろうか、

いやできない。その歳の私ならできない。(捨てるという任務を遂行することが何より大事)と謎の言い訳をしながら見守っていると、

女の子は自分の背丈よりやや大きいそのごみ箱の真っ黒い穴を、ちょいっと首を伸ばし覗きこんだ。…覗き込んだのだ。

そうして先に覗いた方へ紙コップをやわらかく押し込んで、手を差し伸べたくなる程おぼつかない足取りでお母さんの元へ戻っていった。

この一部始終を見ていたのはたった独り。私だけであった。

当の本人もその賢さに自覚はないだろう。そのことを考えると、声を上げるのは私しかいないと謎の使命感に駆られる。まずは一番にお母さんに、と思ったけれど、けれど話しかける勇気が一向に出ない。ビビりである。


結局名前を呼ばれる最後の最後まで悶々としながら話しかけることはできず、逃げ出すようにそそくさと薬局を後にした。

帰宅しすぐ、吐き出すように友人らにその感動を送ったけれど、一番伝えたかった相手に伝えられなかった後悔に、心のささくれが残ったままだ。

よくよく思い返すと、お兄ちゃんである男の子の慣れた様子から、彼女も2つのごみ箱の存在は知っていて、どちらかに捨てなければならないのかも既に承知のことだったのかもしれない。それでも、

あなたのお子さんは賢いいい子です。

あなたの子育ての賜物です。

そう伝えられたら、あの時の私以上にお母さんの心をほっこりさせることができたのではないか。


あの日からそんなことをしばらく考えて、友人、恋人、職場の人、故郷の家族のことを思う。彼らにはいつも会うし、会おうと思えばいつでも会えるからと、思っていても伝えていないことが案外あるような気がする。

大抵は些細なことであるが、〇〇のそういうところが好きだとか尊敬しているとか、身内ならではの気恥ずかしいことでも、ちゃんと伝えていきたいなあと思えた出来事だった。

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