サイクルノクロス(引っ越し前日に思う)


 通勤経路というものは、だいたい決まってきてしまうもので。時間もおおよそ同じぐらいになる。
 そうなると、そのサイクルで行動している人とはほぼ必ず会うことになる。相手のことは知らないけど、お互い相手を認識している「顔見知り」状態。
 明日の引っ越しを控えているので、僕は今日が最後になる現在の通勤経路を歩いていって、そこでたまたまサイクルがクロスしていた人々を懐かしんでいた。
 新居からはサイクルが変わるので、これから彼らとサイクルが完全一致することはなくなるのだなぁ、と。

 駅までの道すがら、歩いて数分でよく交差する「イノさん」。
 男性サラリーマンのようだけど、スーツ姿のこともあればジャージ姿のこともあり、バッグもブリーフケースだったりリュックだったりした。それは着替えを必要とする職種なんだろうなぁ、と思っていた。
 イノさんという勝手な呼び名は、もちろん彼の名前を確認したわけではない。過去に自分が仕事で関係のあった「イノなんとかさん」に、彼の顔が似ていたからだ。やはり長く生きてきた人間というものは、新しい対象を自分の過去に結びつけて片付けようとする癖がある。
 当然のこと、彼とはひとことも話すことはなかった。いつもつまならそうに口を歪めて歩く彼が結婚しているのかどうかだけ、何となく気になったけども。

 古紙のリサイクル場のような場所を通ると、その脇にある民家から柴犬がフェンス越しに首を出している。
 性別もわからないけど、何となく女の子のような気がして、僕はその子を「ハナちゃん」と呼んでいた。もちろん心の中で。
 ハナちゃんは主に家の縁側窓から顔を出して、そのすぐ横に設置された柵状のフェンスからも首を出していた。頭が引っかかって戻れなくなりはしまいかと心配だったけど、およそ毎日そこにいるから、どうやら大丈夫らしい。日によっては広い場所に古紙が積んである、家の玄関前スペースにつながれていることもあった。
 たまにご近所さんが似たような柴犬を散歩させて立ち寄り、柴犬同士の顔を合わせることもあった。そういうときは「ハナちゃんよかったね。お友達と仲よくね」なんて勝手に思っていた。
 確認していないけど、きっとハナちゃんは女の子だと思う。確認しようもないけど。

 駅のホームに着くと、いつも僕が乗る車両よりずっと手前の車両部分で「カラス男」が電車を待っている。
 彼はいつもサングラスと黒い密着型マスクをしていて、見た目がカラスのようだと感じた。その程度だったけど職場近くで見かけたこともあり、仕事場の店に入ってきたこともあった。それから彼をカラス男として認識するようになった。
 駅ホームは今後も同じ時間の同じ電車になるはずなので、彼と会うことはあるだろう。しかし僕は彼を認識しているけど、彼が僕を認識しているかどうかはわからない。でも、そんな風に人間の「間」の部分はできているように感じる。全員が全員を認識するような社会は、狭苦しくて息苦しくて、まっぴらごめんだ。

 おおよそ僕が乗る車両部分には、最近は見かけなくなったけど「大平千紗子」さんがいた。
 とても具体的な名前だが、もちろん本当の名前は知らない。ただその顔を見て過去に交流があった大平さんという女性を思い出し、チサコという名前が雰囲気から具体的な漢字を伴って浮かんだだけ。
 大平さんは僕が認識したころから、外観でわかるほどおなかが大きかった。そして白いマスクの上にある眼は、幸せそうなほほえみに見えた。バッグに「おなかに赤ちゃんがいますタグ」もぶら下げていたので、間違いなく妊婦。妊娠している自分の妻と比較し、今にして思えば、きっと妊娠6~7ヶ月ぐらいだっただろうか。
 乗る車両がほぼ同じなので遭遇率は高かったけど、最近とんと見かけなくなったのは、きっと今ごろ新しい生命が誕生し、家族と喜びに満ちているからなのだろう。
 そう思えば、妻の妊娠に付き添っていく自信も湧くというものだ。
 もしまた見かけるようになっても、もちろん声をかけることもないだろうけど。

 電車に乗り込むと、高確率で車両内の「ニセノカナ」に遭遇する。
 ニセノカナは、もちろん歌手の「西野カナ」から名前をつけている。ニセノカナの背格好やファッションが、テレビで見ていた西野カナの雰囲気に似ていることから「西野カナのニセモノ」として思いついた。年齢は30代だろうか。いつも白いマスクをしていて、眉間にしわを寄せながらスマートフォンでファッション情報か何かをチェックしている。
 もったいないなぁ、と僕はいつも思う。せっかく可愛い恰好をしているのに、すでにしわが顔の模様として刻み込まれている。実年齢はわからないものの、それがニセノカナの年齢をだいぶ上に見せていて、きっと人に対しての印象が顔に出ているのではないかなどと勘ぐってしまう。
 いつも座席に座っていて、僕が降りる駅でも座ったままなので、きっと遠くから東京へ通勤しているのではないか。アパレルとかデザイン関係の仕事だろうか。いずれにしても、もったいない表情だなぁといつも感じる。
 つまり、人への印象も表情次第。そんなことをニセノカナを見るたびに考えさせられる。そして接客業という仕事柄、これからも考えるだろう。

 そういったいろいろを考えながらいつも、僕は通勤先の駅で降りる。
 通勤先での顔見知りは、ほぼいない。せいぜい仕事のお客さんや、コンビニの店員さんぐらいだろうか。
 そこでの自分は「異邦人」。その街に住んでいないながらも、一日十時間も滞在するエイリアン。スティング風に言うなら「アイム・ア・リーガル・エイリアン」。イングリッシュ・マンではないし、どうしても異邦人と言うだけで久保田早紀が浮かんでしまうけども。
 そのようにいつも「もうひとりの自分」として、その街に降り立つ。
 仕事が終わって帰宅するときには、ホームタウンでも不思議とサイクルのクロスは発生しない。同じサイクルで見知らぬ人に遭遇した憶えがない。早く家に帰りたい一心で、周囲を気にしなくなっているのだろうか。
 今夜は、少し気にしてみようか。

 間もなく、新居からの通勤になる。
 新居からは、主に二通りの通勤経路がある。どちらがいいのか試してみて、あるいは日によって気分で経路を変えていくかもしれない。
 そう思うと、偶然サイクルがクロスしている人々は、かなりの偶然が一致しているのだな。ある意味、奇跡的な確率になっているのだと考える。
 でもそれは僕と妻が出会って、愛をはぐくみ、子宝に恵まれ、新居に移るまでの偶然と奇跡には敵わないけど。
 決してそれは。決して。

 もうすぐ、新しい我が家。
 また新しいサイクルのクロスがあるかもしれない。でもそれより、妻に宿っているたしかな偶然を家に迎えて、家族三人の楽しい家庭を築くのが次の目標だ。
 人々の間にある、偶然に感謝を。それに感謝を感じられる、自分を育ててくれた両親や友人、環境や関わってくれた人々や事象、点と点を線につないでいる、そうしたすべてに感謝を。
 そして妻に、せいいっぱいの愛情を。

――どうもありがとう。

 さぁ、いよいよ明日は引っ越しだ!
 新しい暮らしと日々が、はじまる。ウェルカム・ブラン・ニュー・デイ。

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