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あなたが最近怒ったのはいつですか?

そう尋ねられたら、わたしはちょっと困ってしまう。
少し立ち止まって振り返ってみても、ここ数年「怒った」記憶があまりない。イライラすることはある。もーっ、と誰かに対して思うことはある。
でも、怒る、という表現になるまで感情を爆発させたことがあまりない。
多分、そもそも、あんまり感情を人前で表出させる性質ではない。子どもの頃はともかく、ある程度大人と呼べる年齢になってからは、特に怒りとか嫌悪とかのネガティブな感情は表出させる前にもういいや面倒くさい、となってしまってその対象となる人物や関係性からスッと離れてしまう。
それはそれで、社会人どうこう以前に人として全然いい付き合い方ではないのだけれど。

今の職場には、よく怒る人たちがいる。
こういう人たちは怒りだけでなく、観察し、付き合ってみればそもそも喜怒哀楽がはっきりしていて怒るのと同じくらいよく笑うのだけど、どうしたって「そんな些細なことでよく怒れるなぁ」「よくそんな簡単に人とぶつかって、激しい言葉をぶつけられるなぁ」という印象のほうが強く残る。
怒る、と一口に言っても怒り方やスイッチはそれぞれに違う。

たとえば、付き合いのあるお客さんの横柄な要望にだんだんヒートアップして行って、お互いに口論になる。そこで怒りが収まらずに、上司に客と揉めましたすみません!と報告しながらまた噴火し始めるタイプ。
こういう場合は意外と尾を引いて、翌日とかにも思い出したようにも―!となる。ただ、愚痴は聞いてもらっても無関係の同僚や部下には当たらない。
まだ怒ってるんだ…と思うくらいだ。

たとえば、自分の中のイライラを処理しきれない。受話器を叩きつけたりドアを乱暴に閉めるならまだしも、そのイライラに任せて身近な部下に突然キレるタイプ。一応、キレる相手は選んでいるようで、また小一時間もすると冷静になるのか謝罪してくるわけだけれど、普段がフレンドリーなキャラクターの人であったりするとなるほどこういうタイプがモラハラをするんだろうな、と考えたりもする。

またあるいは、自分が絶対に正しい。もしくは自分の非を認められないからこそ、他人に厳しく、行き過ぎてしまう。単純に沸点が低いシンプルにパワハラ予備軍もいるだろうし、なぜか突然怒り出す人もいるかもしれない。
公共交通機関のやむを得ない遅延で駅員さんに怒鳴るような、相手を見て怒る人や、店員にはどんな横暴を働いてもいいと思っている常に不機嫌な人もいるだろう。

そういう人を見かけるにつけ、そういう感情の矛先を向けられるにつけ、「怒ったところで他人なんて思い通りにならないのになぁ」「疲れるだけなのになぁ」という目で見てしまう。
でも同時に、あんなに誰の目も気にせず思いっきり自分の感情をぶちまけられたら、そりゃあストレスも発散されてすっきりするだろう。と、なんかちょっと、どちらかと言えば自分の中に感情をため込んでしまうわたしはうらやましくなることもある。
もっとも、強い感情を向けられるしんどさを知っているので誰かに理不尽な怒りをぶつけるつもりはない。

でも、そうだなぁ。
前述の通り、わたしの周りの「よく怒る人」は「喜怒哀楽が豊かな人」でもある。
それなら喜とか楽とか、周りの誰が見てもきっと不快にならない感情だったら少しずつでも表に出してみようか。試しにお笑い番組でも見て声を出して笑ってみたり、映画を観て泣いてみたりしてみようか。
人間以上に素直ににゃんにゃんと遊びをせがむ猫を宥めながら、良くも悪くも賑やかな職場を思い出して今、この文章を打っている。

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