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飛ぶ、走る、投げる、泳ぐ。

びたん、びたん、びったん。

仕事帰りに自転車を走らせていると、薄暗い路地の向こうからそんな音が聞こえてくる。
我が家はいわゆる住宅街のど真ん中で、ここらでは今でも子どもたちがボール遊びをしたり、道路に石ころで絵を描いたり、顔見知り程度のご近所さんに戦利品のダンゴムシを見せびらかしたりしてくれる。
おかげでダンゴムシの雄と雌の違いを齢四十で知ることになった。

さて、先ほどの音の正体は、とさらに自転車を進めれば通りすがりの街灯の下で小学生の少年が縄跳びの練習をしていた。
低学年くらいだろうか、両手を目いっぱいに伸ばしてぐるんぐるんと縄跳びの縄を回す。勢いのつかない縄はアスファルトにぶつかるたびにびったん、びったん、少年がそれに合わせてばったん、ばったん。跳ぶ、というよりは跨ぐ。そんな調子で繰り返していた。

縄跳びは手首で回してごらん。

とは、見知らぬ小学生に声をかけるわけにもいかずに通り過ぎた。
びたん、びたん、びったん。
縄が地面を叩く音が聞こえなくなった頃、そういえば子どもの頃のわたしは、縄跳びはそれほど苦労せず跳べるようになったなとふと思い出した。
自慢ではないが、今も昔もわたしは運動の得意な子どもでも大人でもない。
走らせれば足は遅いし、ボールを投げてもちっとも飛ばない。倒立はできないし、逆上がりなど論外だった。
体育の授業、運動会ではそれはもうご想像の通り、お荷物だった。
なので、運動、スポーツ、体育、その手の名のつくものが本当に大嫌いだった。
高校などは校庭もなければ体育祭もない進学先を選んだ。
が、縄跳びは人並みにできたな、と思い出したのだ。
前跳び、後ろ跳び、交差跳び、後ろ交差跳び、二重跳び、はやぶさ……と一通りは跳べる子どもだった。そういえば、長縄跳びもできた。水泳は高校まで習っていたこともあって、割に得意なほうであった。
体育とは関係ないけれど、一輪車やバトントワリングも練習をすればできるようになった。
テニス、バドミントン、卓球もまあ足を引っ張った記憶はあまりない。

なんだ、わたしにもできるスポーツってあったんだな。
ただ、「競技」として行われない。
学校の「授業」では行われない。
大勢の目の前で「披露」されない。
成績として「評価」されない。
あるいは個人競技でみんなに「迷惑」をかけない。
だから、できるスポーツがない、とずっと思っていたのかもしれない。

案外、運動に限らず「できない」と思い込んでいるだけで、「得意」ではないけれど、やってみたら人並みに楽しめるものは意外と身の回りにあるのだろう。
もっとも今更、平均台を歩いてみようとか町内会のバレーボールクラブに入ってみようとかは思わないが。
数日後か、数週間後か、数か月後か。
はたまたもう二度とないかもしれないが、ひゅん、ひゅん、ひゅん。
そう遠くない未来に軽快な縄跳びの音を聞く日が来たらきっとちょっとだけ嬉しいだろうなと、そんなことを考えながらもう聞こえない調子っぱずれな縄の音に耳を澄ませた夜だった。



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