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虹色のアフリカから〜Safe Zoneについて考える

南アフリカは、2006年に同性婚を合法化した国で、なんと世界で5番目。
アフリカ大陸で同性婚が合法となっている唯一の国である。

南アフリカの憲法は、世界で最も民主的とも言われていて、私のnoteでも何度も取り上げているアパルトヘイトの歴史からの反省を受けて、人種だけでなく、ジェンダー・セクシャリティ、言語などあらゆる差別を禁止している。

先週、縁あって大学のLGBTQIA+のセーフゾーン研修に参加したので、そこで感じたことを書いてみる。

分断された社会:見える多様性と残る壁

南アフリカがいわゆる「オープン」な社会のように感じることは、移住してきた当初からあった。同性カップルを見ることが多いし、トランスだという人も、インフルエンサーも街ゆく人でもよく見るのだ。

東京で大学生と社会人を経験した自分からしても、日本、東京でここまでこうしたLGBTQなどにカテゴライズされる人を「目にする」ことはないと思う。
このVisibilityこそが、ある意味南アフリカのリベラルな側面を表しているように感じた。

コロナ前に、ちょっとしたインタビュープロジェクトをしていた時があるのだが、その時も「私はゲイ(レズビアン)なんだけど」とナチュラルに伝えてくれた人がいた。

ただ、これもまた、アパルトヘイトの遺産でもあるのだが、南アフリカ社会はあらゆる側面で分断されている。
南アフリカ経済を表現する言葉で二重経済(dual economy)というものがあるのだが、世界で最も格差があると言われている国だけあって、高所得層がいる上の階層と、その他大多数(その多くはアパルトヘイト時代に差別されていた有色人種、特に黒人と呼ばれる人々)の生活レベルや文化には大きな乖離がある。

タウンシップと呼ばれる、アパルトヘイト時代に有色人種専用居住地として作られた地域や、都市部以外の田舎から来た人は、都市部のリベラルな空気に驚くことも多い。そしてそうしたタウンシップや田舎には、まだまだホモフォビック(同性愛嫌悪)やトランスフォビック(トランスジェンダー嫌悪)な空気が蔓延している。

同性愛を「治す」という名目での性暴力や暴行、セクシャリティを理由に家を追い出されるなど様々な暴力があるのは事実。
憲法が変わっても人々の認識はすぐには変化しないのだ。

南アフリカを語るときは、この二面性を捉えないと、よくわからなくなる。

大学でのSafe Zone研修

今回は私が変わる南アフリカの国立大学での、LGBTQAI+のSafe Zone (セーフゾーン、安全なエリア)研修があるというので、こんな南アフリカの大学での取り組みを知りたくて参加した。

前回のエントリーでも書いたが、南アフリカの大学は多様である。
人種や出身地ももちろん、年齢も多様。私の通って修士のコースでは、子どもを複数人育てながら学位を取っている人も数人いたし、パートナーの同級生は小学生の子どもを育てながら学位を取得した。マタニティリーブを取った修士学生も知っている。
田舎から出てきて、家賃が払えず図書館で寝泊まりしている人もいるし、かといえばUberに乗ったり車を運転してくる学生もいる。

英語の能力やパソコンなどのデジタルリテラシーも、生い立ちによって様々なので、学部生では補修を取る人もいるらしい。

多様な人が集まるからこそ、意識的にセーフゾーンが必要であることは、身をもって感じていたので、とても楽しみにしていた。

コミュニティの中の多様性とインターセクショナリティ

1日あった研修の全部を書くことはできないけれど、さらっとどんなことをやったかだけお伝えしたい。

まずは、LGBTQIA+と言ってもその中で様々な人がいること。
ジェンダーアイデンティティ、身体の性、性的嗜好などそれぞれが違うものであり、混同しないこと。
どうした言葉を使うべきかということ。

南アフリカは比較的リベラルであったとしても、社会的にみんながそれを共通認識で持っているとは言い難いので、どういう人がいるのかを丁寧に説明していった。

そして大事なポイントは、インターセクショナリティ(交差点)という概念。LGBTQ+というのは、その人の一側面でしかなく、そのほかにも様々な社会的側面があるということを意識的に伝えていた。

まず、今回の講師は2名いたのだが、1人は車椅子ユーザー(障害がある)、白人、ノンバイナリー、女性のパートナーがいる(本人のID上の性別は女性)、もう一人は障害がなく、黒人、トランス女性、田舎出身。

それぞれの属性が社会的にどんな意味を持つのか、それに加えて、世界一の格差大国の南アフリカなので、それぞれの経済状況も大きく異なる。

興味深かったのは、こうした大学のサポート組織は、セクシャリティやアイデンティティのカウンセリングだけではなく、フードバンク的な役割も持っているということ。なぜかというと、いわゆるLBGTQ+ではない学生と同じように、経済的に困難な人は多いのですが、例えばそのセクシャリティのせいで、一般のフードバンクや食料配給が利用しにくいケースもあるから。

特権に気づくこと、アライになること

研修の後半では、大学生活の中にある「常識」や「特権」に気づくこと。
異性愛、恋愛至上主義、シスジェンダー(生まれ持った性とアイデンティティが一致していること)などが当たり前となっているけれど、「もしそうでなかった場合」どんな困難があるか、改めてディスカッション。

アライ(当事者ではないけれど、サポーターであること)になるためには、自分と異なる立場にある人の困難やそこから見える社会をまず知ること、想像すること。

もちろん今回の参加者にも当事者はいたけれど、インターセクショナリティという観点や、LGBQAI+コミュニティの中での多様性もあるので、改めて自分達のいる組織や社会を見つめ直す時間を取った。

美しい法律と現実

ざっくりと書いてみたが、今回の研修はガチガチとLGBTQ+の定義の話をするというより、どちらかというとSOGI(Sexual Orientation and Gender Identity、性的嗜好とジェンダーアイデンティティ)が多様であることを説明し、講演者や参加者がそれぞれの体験や周りにいる人の話などからケースについて話したり、ディスカッションが中心だった。

様々な立場にいる人への想像力を養う、といった感じ。

その中で興味深かったのは、南アフリカの「一見リベラル」に見えるけれど、まだまだLGBTQ+コミュニティに対する嫌悪的な一面だ。

南アフリカでは、一応法律上は生まれた時の性別を、後から変更することは可能である。ただし、そのためには、自分の意志だけではできず、医師の診断など様々な書類が必要である。その書類を全部揃えたとしても、最終的に内務省での受理を拒否されることが多いという。「トランス嫌悪的な職員が多い」という声を聞いた。

別の授業で、南アフリカと移民に関するテーマを扱っていたときも、同性愛嫌悪的な内務省の対応が問題になっているというレポートを何度か目にしたことを思い出した。南アフリカはアフリカ唯一、どんなセクシャリティやジェンダーアイデンティティでも犯罪にはならず、憲法上は権利を保護されるので、セクシャリティを理由に難民として入国する人々がいる。しかし、憲法・法律上の文言と、実際に移民・難民の人を対応する職員の”モラル”や人権意識が一致しているとは言い難く、拒絶されたり、聖書を引用して”更生”を説得されるケースが報告されているという。


ただ少しずつ前進しようとしていると信じたい。
先日書類を取りにいくために警察署に行ったのだが、ジェンダー関連(性的暴行や家庭内暴力など)やLGBTQ+関連の案件の窓口は、他の窓口から分けていて、それこそ「Safe Zone」が作られていた(作る努力がされていた、というのが正しいかな)。

一昔前よりは良くなっているとは聞くけれど、警察の汚職なども問題で、それも高所得エリアとタウンシップなどでも勝手が違うというから、なかなか難しい問題である。

自分と異なる他者のリアリティを想像すること

南アフリカに住む期間が長くなり、いろんなコミュニティに接するほど、その多様な人が住む美しさと難しさを感じる。

LGBTQ+に限らず、自分と異なる他者のリアリティを想像することなのだと思うのだが、あまりに多様なリアリティが共存していたとき、その「想像」が著しく難しい。実際は、そこにバイアスやステレオタイプ、信仰、歴史的なトラウマも絡んでくるのでなおさらである。

今回の研修後は、アライ・サポーターとしてステッカーをもらった。
警察署の特別窓口のように、「私たちはあなたの味方ですよ」と見えるようにすることが、今まだ暴力が蔓延しているこの社会では大事なのかもしれない。


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