求肥

自分は昔から、あんこが嫌いだ。
なにが、とよく聞かれるが明確な答えをいつも出せずにいる。食感や舌ざわりではない、あの何とも言えない甘さと小豆の風味というか口に広がるにおいが気に入らなくて、口に入れた瞬間吐き出してしまいそうになる。白あんは何とも思わないのであんこというか小豆が嫌いなのかもしれない。とにかく、あんこがきらいです。
で、あんこが嫌いということは当然和菓子の類も食べることを避けてきたということでもあり、ぜんざいはもちろん、餅、大福、最中、きんつば、あんみつなどなど、あんこを備えた和菓子は食べようと思ったことがないため、そもそも食べた経験がない。ちなみにあずきバーは、高校のときに体育祭の練習中にあずきバーが大好きな先輩から一口もらって(食べさせられて)グラウンドに吐き出してしまった思い出がある。ごめんなさい。
だから、あんこを避け続けてきた結果、求肥を最近になってはじめて食べた。ずんだの餡を包んだ求肥で、まあそれ自体に大した味がついているというわけではないが、中身の邪魔をしない味で食感はなめらかで、なんというか普通においしかった。これ嫌いとか食べれないとか人生の半分損してるよ、と言われるのはほんとうに気に食わないなと思っていたが、あんこ嫌いがゆえに求肥を食べてこなかったのはたしかに「損」していたかもしれない。と思うほどに自分は求肥が好きだった。求肥おいしいね。多分主役にはならないのだろうけど。
食べ物の好き嫌いが激しい人間は人間に対しても好き嫌いが激しいと父親に諭されたことがあり、自分の経験上からもあながち間違っている言葉ではないことも実感した。好き嫌いをすぐ顔に出したり、嫌なことに愚痴や悪口を言ったりすると大人になれとよく怒られる。けど好きなものは好きだし嫌いなものは嫌いだし、それは大人になったところで変わらないものなのではないか。表現の仕方を考えろという意味なのであろうが、自己の嗜好を包み隠せることが大人になるというのならこのまま子どもでいいです、と言ってしまうところがすでに大人ではないんでしょう。でもこのまま愚かな子どものままで、あんこは吐き出したいし、求肥を食べるためにずんだ餅を食べたい。