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サイクリングについて

 われわれバナナ倶楽部のついぞリリースされることのなかったアルバム『サイクリング』について、たっぷりの懐かしさに、少しの供養と、ほんのちょっとの期待のようなものを込めてセルフライナーノーツを書こう。

バナナ倶楽部『サイクリング』セルフライナーノーツ


バナナ倶楽部『サイクリング』(2018年7月~9月制作)
 1 叢
 2 南中
 3 干からび
 4 サイクリング
 5 蜃
 6 ストレンジャーシングス
 7 ひざし
 8 沼で泳ぐ
 9 サイクリング、再び
 (全9曲38分)

制作まで

 ひと夏の空気、のようなものを音として記録しておきたいね、という話は5月のはじめくらいから持ち上がっていた。真夏の太陽の下で感覚的に、ほとんど即興でトラックメイキングをし、なるべくその日のうちにデモトラックを完成させる。いかにも天才肌という感じの人たちがやるみたいに。そんなことがほんとうにできるかどうかはやってみなければわからなかったけれど、悪くないアイデアに思えた。それに、今年はちょうど“平成最後の夏”だったこともあって、絶好のチャンスのようにも思えた。
 でも、“平成最後の夏”というのはノスタルジックすぎる。夏が始まってすらいないうちからその類の気持ちに浸っていてはいいものは作れない。ひとまず“平成最後”という概念を頭から追い出す必要があった。一度こびりついてしまった概念はなかなか剥がれ落ちないし、特にそれがある種の感情と連結していた場合、剥がれ落ちるのを待つというより、感情そのものも一緒くたにガリガリと削ぎ取るような力仕事が必要とされる。僕らは“平成最後の夏”という言葉だけでなく、その背後にそびえる巨大なノスタルジーまで排除しなければならなかった。ノスタルジーが薫ってきそうな場所は避ける。特に路地や、商店街や、谷根千や、夕暮れどきの散歩は控える。目的地には常に最短のルートで行く。よそ見をしない。折り畳み傘を常備する。終電に余裕をもって帰る。過去を顧みず、常に最新技術に触れる。写真を撮らない。昔の友だちと会わない。映画を観ない。音楽を聴かない。本を読まない。……
 ノスタルジックな感情を避ける生活というのは、すなわちある種の禁欲生活を意味した。ノスタルジーは日常のいたるところに潜んでいた。頬を撫でるそよ風や、気づかずに蹴飛ばしてしまった小石や、満員電車で同じ吊革を目指し触れ合った手と手ですら、文脈によってはノスタルジーを帯びた。僕らは自らを厳しく律して、それらを見ず、言わず、聞かないように努めた。うっかりノスタルジーに浸ってしまったときには自らに肉体的苦痛を課した。悪辣かつ前時代的なやり方だけれど、他にやりようがなかったのだ。他の方法にはノスタルジーがまとわりついている可能性があるから。でも、カビの生えた、葬られてしかるべき方法に対してはノスタルジーが抱かれることはないし、抱いてもいけない。肉体的苦痛というのはある意味安心安全な方法だった。
 僕らはノスタルジーに浸ってしまうたびに眉毛を抜いた。
 吐き気がするほど前時代的だ。

 眉毛はマシンガンのように抜けていった。
 そろそろ片眉がまったくの更地になってしまいそうだという段階に至って、僕らは話し合いの場を持った。眉毛が一本残らずなくなるのが先だろうか、それとも、僕らがノスタルジーなんていう代物との関わり合いを一切持たなくなるのが先だろうか。形勢はノスタルジーの側に大きく傾いていた。どんなに守りを固めても、ノスタルジーはあの手この手で僕らに忍び寄った。気の遠くなるほど慎重に築き上げた禁欲的な暮らしは、ノスタルジーがふうっと一息吹きかけるだけで消し飛んだ。結局のところ、僕らの守っていたのはレンガの家ではなく藁の小屋に過ぎなかったのだ。眉毛のみならず、僕らの全身の毛が未曽有の危機に瀕しているのは誰の目にも明らかだった。
 ほどなくして、僕らとノスタルジーとの戦いは、僕らの降参という形で幕を閉じた。ノスタルジックな感情を持つまいとすることはもはや不可能だけれど、それを積極的に味わおうとするのはやめよう、というのが妥協点となった。夕暮れどきに散歩するのは構わないけれど、せめて口元は引き締めて。終電を逃した二人で夜通し歩いたっていいけれど、二人が出会った頃の話なんてしないように。映画を観に行くのは素晴らしいことだけれど、雨の日は避けて。そうやって、自分からノスタルジーに飛び込むのはやめる。そして目の前の夏に集中し、精一杯楽しむのが、“平成最後の夏”に対しての僕らのせめてもの抵抗となった。

 そうしてわれわれバナナ倶楽部のアルバム制作が開始された。
 真夏の太陽の下で作りたいね、なんてのんきなことを当初は言っていたけれど、いざ夏が始まると猛暑の日が続き、空から地獄が降ってきているかのような日光に直射されながら楽器を弾いたりリズムパターンを打ち込んだりするなんて自殺行為のように思えたので、僕らのアルバム制作は実際には涼しい部屋の中で行われた。冷房の効いた部屋、冷凍庫で出動を待っている軍隊のような棒アイス、ニンテンドー64、Wi-Fi、ネットフリックス、すべてが揃った部屋に一度入ってしまうと、脱出はほぼ不可能だった。しかしそれでもサイクリングは日課とした。別にコンセプトアルバムを作ろうというつもりではなかったけれど、真夏にサイクリングをして、見たり聞いたり、触れたり感じたりしたものを持ち帰って音にする、という感覚は大事にしたかった。方法論というほど大それたものではないにしても、軸足として。
 散歩でもよかったけれど、ノスタルジーを避けやすいという点で自転車の方が勝っていた。散歩よりサイクリングの方が多くの懐かしいものを見落とすことができる。視覚、聴覚、嗅覚、いろんな面で。散歩はふと立ち止まれるけれど、自転車だとそうもいかない。あ、この景色、この音、このにおい、なんとなくいいなあ、と感じても、ペダルを漕ぐ足が止まることはなく、なんとなくいいなあ、が、懐かしいわあ、に変化する前にその場所から50メートル離れることができる。(ちなみに実際にサイクリングしてみて判明したけれど、自転車でもふと止まることは容易だ。僕らは何度となくふと止まってしまい、たいへん苦労した。)
 サイクリングで得たなにがしかのニュアンスを曲に込める。そんな風に作るアルバムのタイトルを『サイクリング』とするのは極めて自然なことだった。しかし最初にタイトルを決めることでアルバム全体の骨子のようなものが定まったかというとそんなこともなく、トロピカルポップからシューゲイザー然とした曲、ダブステップまで、バラバラな内容になってしまった。曲順を練ったことでなんとかうまく収まったけれど。

各曲コメント

 各曲について、できあがった順に簡単なコメントをしていこう。

2 南中
 空元気のような2分半のこの曲が最初にできた。白状してしまうと、これはほんとうに空元気だった。
 7月上旬のある日の12時前頃、ちょうど太陽が南中するくらいに出発して、土手へ走りに行った。サイクリングというと何はともあれまずは土手、というイメージがあり、ちょうど僕らの部屋からそう遠くないところに川が流れ、土手が存在した。いざ向かってみると、老人がひとり前進しているのか後退しているのか容易には見分けのつかない動きをしているほかには誰もおらず、サイクリング初心者にはうってつけのシチュエーションのように思えた。
 しかし、7月の酷暑の中でサイクリングするのがどういうことなのか僕らには分かっていなかった。意外に風が気持ちいいね、なんて言って笑いあったのも束の間、腕から、背中から、額から、内腿から汗が噴出し、僕らは一瞬でミミズのように干からびてしまった。すぐに自転車を止め、芝生に腰かけ、あち~、とぼやいているうちに、でもこんな暑さのなか外に出たのって結構久しぶりな気がするな、小さな頃は平気で遊びまわっていたのにね、とノスタルジーに浸りそうな雲行きになってきたので、軌道修正しなければならなくなった。救いようもなく下らないことを口にする必要があった。う~ん、そうだな、南中の時間は、なんちゅう暑さだ!
 それで僕らはなんとか息を吹き返し、肌をじりじり焼き焦がす太陽光線から命からがら逃げ帰って曲を作った。熱中症気味の身体を無理に動かして打ち込んだのがこの曲だ。だから、これは空元気。

4 サイクリング
9 サイクリング、再び

 サイクリングを日課として制作しそのまま『サイクリング』という題を冠したアルバムに、タイトルトラック「サイクリング」を収録する、といういささかやりすぎのようにも思えることを、僕らは意気揚々とやった。「サイクリング」のギターを逆回転させたうえでBPMを落とし、ドリーミーなアレンジにしたのが「サイクリング、再び」で、僕らはこれをアルバムの最後に配置した。2曲も入れてしまうなんて軽率すぎやしないかな、と省みることはない。夏を楽しむとはそういうことだ。
 僕らはペダルをずいぶん漕いだ。「南中」を作った日の反省を生かして、この世で最もでかい水筒にスポーツドリンクをたぷたぷに注いで朝早く出発し、土手に出てまずは陽の昇っている方向へと、眩しさに目を細めつつ無言でシャカシャカ、シャカシャカ、いくつかの同じような街が過ぎゆくのを左に眺めながら、右には草むらや鴨や白鳥、見上げれば細切れの雲、真っ青な天球、その天球にぽっかり空いた巨大な穴から射し込んでくるまばゆい光線、なんだかそうやってペダルを漕いでいる僕らもこの世界そのものもすべて巨大な男の子の部屋に放置されているミニチュアのような気がしてきて、その男の子がまだ幼かった頃にはこのミニチュアでたくさん遊んでくれたのだけど、中学に進んでからは僕らのことなんてすっかり忘れてちょっと暗い本なんて読んだりして、高校ではクラスの髪の毛のちょっと茶色いあの子に熱を上げ、大学生になってからはろくに帰って来ず、いくつかの挫折があって男の子はそのまま卒業し、小さなWEB制作会社に就職して東京のどこかで一人暮らしをしているのだった。僕らは見たことないけれど『トイ・ストーリー』に登場するあのカウボーイの気持ちになってきた。あんな陽気そうな顔をしているけれど、たぶん彼はこういう気持ちだっただろう。

6 ストレンジャーシングス
 散歩やサイクリングをしていて、思いがけずいい道に出会うことがある。狭さが良かったり、既存の何らかのイメージを想起させるものだったり、そこに生活している人々の営みが良かったり、突如出現したとんでもない坂道がたまらなかったり、いいなと感じるきっかけは多様だけれど、そういういい道に出会ったとき、僕らが取る行動は二通りに分かれる。その道の先を確かめるか、それとも確かめずにとっておくか。
 特に既存の何らかのイメージを彷彿とさせる道の場合、確かめずにとっておくことが多い。もしかしたら、想像と違っていたら嫌だ、とか、がっかりしたくない、という感情なのかもしれない。はじめて出会う道に対して、世に存在する膨大なフィクション(、あるいはノンフィクション)の中から自分が適切だと思う風景を引っ張り出してきて勝手に当てはめ、それと違っていてほしくないな、と、これまた勝手な感情から先に進むのを躊躇う。勝手に当てはめられ勝手に躊躇われる道の側からしたらたまったものではないだろうけれど、でも僕らはそういうことをしてしまう。
 僕らの部屋からそう遠くないところにも、そういう道の一つが存在した。ちょうど去年『ストレンジャー・シングス』に熱狂したところだった僕らは、両側を木々に囲まれた薄暗い道に敏感だった。そういう道は必ず有刺鉄線に囲われた怪しげな研究所に続いていて、近隣では行方不明者が続出しているに違いなかった。僕らの部屋からそう遠くないところにあるその道は、まさしくその類の道だった。以前散歩をしているときに見つけ、うわ、これ絶対そうじゃんね、とわくわくしつつ、どこに繋がっているか確かめることなく帰ったのだった。でも、今回のアルバム制作にあたっては、そういう類のノスタルジーこそ打破すべきものである。7月下旬のある日の夕暮れどき、まさしく『ストレンジャー・シングス』的な時間帯に、僕らは各々自転車のヘッドライトを点け、その道に向かった。ざわざわ揺れる木々。いよいよ薄暗くなりゆく路面。どこかで犬が盛んに鳴いている。頬をなでる風も、夏のものとは思えないくらいひんやりしている。僕らはいったいどこへ……

 道はゴルフ場に続いていたのである……

3 干からび
 8月に入り、あまりに暑い日が続いたときに作った曲だ。とてもサイクリングできるような気候ではなかったので、僕らは涼しい部屋でソファーに深く座り、想像上のサイクリングを試みた。この曲に関してはイマジネーションの賜物と言っていいだろう。

5 蜃
 真夏にサイクリングをしていると、突如として辺りの風景が一変することがある。さっきまで木漏れ日の中を走っていたはずなのに、ふと見渡せば『牯嶺街少年殺人事件』風の雑多な街並みが広がっていたり、また少し経てば『8 1/2』のめくるめくモノクロ世界に切り替わっていたり、それはおそらく、ただ蜃気楼と呼ぶにはあまりにも強烈な体験だ。変化は視覚のみならず他の感覚にも及ぶ。僕らは50年代の台湾の埃っぽい車道を走り、屋台に並んだスープの酸っぱいにおいを嗅ぎ、ところ狭しと貼り紙のされた電信柱に手をついて休んだ。蜃気楼と呼んでいいのか、それともいったい何なのか、とにかく近所を走りながら古今東西を旅できるというのは一見素敵なことのように思えたけれど、酔いの感覚があまりに激しかった。特に8月半ばくらいになると風景の変化は目まぐるしくなり、僕らは毎回凄まじい酸欠状態に陥った。巨大なオフィスビルとオフィスビルを擦り合わせるような轟音が耳の内側で絶えず鳴り響き、手足が千本針に刺されるごとく痺れ、爪が剥がされるような痛みが走るのだった。僕らはこの種の幻覚から一刻も早く抜け出す必要があった。結局のところ、僕らは自分たちが暮らしている時代に、自分たちが暮らしている領域でサイクリングをしなければならないようだった。
 ためしに冷えピタを貼ってサイクリングをしてみるとそうした幻覚はもう一切現れなくなった。僕らは冷えピタを大量購入し、快適なサイクリング生活を取り戻し、曲作りを再開した。生き地獄のように思えた苦しみもこうやってケロッと消滅することがある。

1 叢
 サイクリングの途中で雲のかたちに気を取られると、自転車ごと草むらに突っ込むことになる。

7 ひざし
 僕らの部屋からそう遠くないところにサイクリングにうってつけの公園があることが分かった。サイクリング者のサイクリング者によるサイクリング者のための公園。サイクリング者の桃源郷。
 その公園は、「サイクリングに最も向いているのは完全な円である」というはっきりとした思想を打ち出しているようだった。だだっ広い敷地に直径5キロの完全円のトラックが整備され、その内外を古今東西の景観が彩っているのだった。どこかの撮影所から丸ごと持ってきたのだろうか、それともこういうセットが市販されているのだろうか。
 トラックの両側に次々と展開される小綺麗な景色は、特定の時代や場所を想起させるものにはなっておらず、既視感がありながら同時に高度な抽象性を保っていた。実際、こうやってライナーノーツを書いている今も、トラックの脇にどんな花が植わっていて、どんな池や、小屋や、滝が作り込まれていたか、ぼんやりとしか思い浮かべられないのだ。でも、そんな人口景観なんてサイクリング者にとっては取るに足らないものだった。心地よくサイクリングができれば、あとは何でもいい。
 公園を設計した何者かの思惑どおり、完全な円上をサイクリングするのは至上の喜びを感じさせた。ハンドルをわずかに傾け、遅すぎず、速すぎない、最良のペースで漕ぎ続ける。ペダルのひと漕ぎひと漕ぎに身体が同期し、意図せずとも進むことができる。トラックの直径が5キロであるところも僕らを唸らせた。これより大きいとハンドルの緩やかさにむかむかするし、これより小さいと逆に傾きを一定に保つのが難しくなってくる。
 こんなにも広い公園が近くに存在していることにこれまで気づかなかったのはいったいどういうことだろう。サイクリングを始めたから気づけたのだろうか。中学生の頃には存在していないも同然だった街中のカフェが、大人になってからはよく目に留まるようになったみたいに。不思議なこともあるものだ。しかしとにかく、僕らはその公園を8月下旬のある土曜日に発見し、でもそのときはファミリー層でごった返していたので平日に再チャレンジすることにした。

 僕らは夏休みという概念をすっかり忘れていた。週が明けた月曜日にもう一度公園を訪れると、土曜日ほどじゃないにしてもやはりそれなりにごった返していて、さらに言えば、家族連れより子どもだけの集団の割合が上がったことで、むしろ、大はしゃぎテーマパークの様相を呈しているのだった。子どもたちには夏休みのラストスパートらしい気迫が感じられた。でも、サイクリングには老いも若きも関係ない。僕らはすぐにトラックに馴染んでいった。
 一時間ほど流した頃、僕らは黄色いワンピースを着た女の子の大群の中に巻き込まれてしまった。少し前からその大群が徐々に迫ってきていることは背中で感じていたのだけれど、僕らは自分たちのペースを崩すこともできず、されるがままに飲み込まれてしまった。女の子たちはおそらく50人くらいいて、全員8歳から10歳くらいで、黄色いワンピースに真っ黒な三つ編みを提げていた。何の集団なのか見当もつかなかった。世の中には見当もつかない事柄が溢れているということを僕らは把握しつつあった。僕らはいろんなことを把握しつつあった。人生のそういう段階に差し掛かっていた。黄色い女の子たちの黄色い笑い声に囲まれて、僕らは自分たちがひどく年をとったような気がした。人生は確実に進んでいるのだった。
 それから、僕らがその公園に行くことはなかった。

8 沼で泳ぐ
 映画や物語やポップソングが、思い出というものに対して与える影響はあまりに大きい。僕らの体内には無数の断片的なイメージが蓄積している。それらを不器用に組み合わせ、僕らは自らが体験していないことすら思い出すことができる。僕らは9歳の夏に背中に思いきり浴びたスプリンクラーの水の冷たさを思い出すことができるし、14歳の夏、粉雪と見紛うほど細かくちぎったラブレターに想いを馳せることができるし、何年か前の夏、平凡なパーティーのあと何人かで湖に泳ぎに行った、あの夜に戻ることだってできる。思い出は感情を呼び起こす。

 9月も半ばに差し掛かったある夜、僕らはR.E.M.の“Nightswimming”をうっかり聴いてしまった。月の低い、静かな夜だった。ほんとうにうっかりしていた。
 “Nightswimming”ほどノスタルジーを呼び起こす曲はない。マイケル・スタイプのしゃがれ声に包まれて僕らは各々目をつむり、何年か前のあの夏の夜の、手足にまとわりつく湿気た大気や、微動だにしない明るい月や、クスクス笑いや、ぞくっとするほどひんやりした水の感触や、一晩限り結成された仲良し6人それぞれの表情を思い出した。
 ……あの夏の夜?
 すんでのところで僕らは我に返った。あと何秒も遅かったらノスタルジーに丸のみされるところだった。僕らにはそんな夜の思い出などないのだった。パーティーが終わってから湖に泳ぎに行ったことも、絶対見るなよとはしゃぎながら最後には全員真っ裸になっていたことも、月に照らされたあの子が急にとっても大人びて見えたことも、次の日そろって風邪を引いたことも、ないのだった。
 ない、ということすらノスタルジックな感情を呼び起こした。そうだよなあ、そんな夜、ないもんなあ。何十日にも及ぶ猛暑のせいで僕らは少しおかしくなってしまっていたのかもしれない。でも、思い出がないのなら作ればいい。とにかくノスタルジーから逃れる方法を模索しなければならない。
 澄んだ湖が理想だったけれど、もう既に0時を回っていて、それから行けるところといったら近くのちょっと汚い沼しかなかった。僕らはペダルを漕ぎ沼をめざした。街灯のない沼沿いの遊歩道をヘッドライトだけを頼りにおそるおそる進み、少し開けたところに自転車を止め、水際まで歩いた。
 ほとんど波の立たない水面が、月をほのかに揺らしていた。僕らは何かの式典のようにうやうやしくTシャツと半ズボンを脱ぎ、少し躊躇したけれどトランクスも脱ぎ、片足ずつ、ゆっくり、ゆっくりと沼に浸っていった。水面の月はうねる細い線になって消え、しばらくすると歪んだ円を取り戻した。現実の沼の水は思い出の何倍もひんやりしていた。足の裏を藻が撫でてくすぐったかった。沼はやはり少しにおった。僕らは頭のてっぺんまで潜り、全身を沼に溶かすように両手で水を掻いた。手のひらに感じるもこもことした感触が、徐々になくなっていくようだった。すべてが厳かな儀式のように音もなく進んだ。ナイトスイミングには静かな夜がふさわしい。


*****

 実際には収録しなかった分も含めて20ほどの曲ができ、その中から9曲をアルバムに収めた。曲調自体はバラバラになってしまったけれど、全体の流れとしてはそんなに悪くない。バラバラだけれどトータルでは筋が通っているように感じるのは、やはりサイクリングという行為を軸に置いたからだろう。このジャンルレスとも言えそうな9曲の連なりを、僕らは「サイクリングポップ」と呼称することにした。
 すべての曲のポストプロダクションが終わったのがちょうど9月の末のことだった。7月初めから9月末まで、きっかりひと夏のアルバム制作となった。

制作後

 なぜ僕らのアルバム『サイクリング』がリリースされなかったのか、という経緯だけ、簡単に述べなければならない。
 なぜリリースしなかったのだろう。
 いくつかの理由が考えられる。
 まず、いつリリースしようかなどと話し合っている間に10月になってしまったということ。夏は9月まで、という共通認識が僕らの間には存在した。もう10月に入っているのに、もう季節は秋なのに、まだ夏のアルバムの話をしている、という状況に、しんどくなってしまったのである。夏の微熱は夏のうちに冷ますべきだったのだ。でも時すでに遅し。仕方あるまい、とりあえず今年中のリリースは見送ろう、という結論に達した。もしかしたら来年以降リリースされる可能性が、少なくともこの時点では存在した。
 次に考えられるのが、9月の半ばに沼で泳いだことだ。沼で泳いだこと自体はまばゆい思い出だけれど、アルバム制作にとてつもない悪影響を及ぼした。ノスタルジーにはさんざっぱら気を付けてきた夏だったけれど、終わりが見えてきた頃になって僕らは重大なミスを犯してしまったのだ。あの夜、そもそも“Nightswimming”をうっかり聴いてしまったのが悪かったのだけれど、そこでどっぷりはまりかけたノスタルジーから抜け出す策として実際に泳ぎに行ったのは、とんでもない悪手だった。僕らはノスタルジーの沼に引きずり込まれ、二度と浮上することはなかった。実際、「沼で泳ぐ」を最後に僕らが曲を作ることはなくなったし、その後2週間近くあったポストプロダクションの期間も終始ぼんやりしていた。今だから白状するけれど、あの2週間の間、もはや僕らには来たるアルバムへの熱狂はほとんど残っておらず、どちらかというと義務感のようなものから作業を進めているだけだった。でも、このことはアルバムがリリースされなかった直接の原因にはならないかもしれない。
 決定的な原因となったのは、10月10日の出来事だ。
 10月10日の出来事だ、といっても、ことの次第は僕ら自身把握していない。とにかくその夜僕らはアルコールをすこぶる摂取し、翌朝、僕らがこの夏作った曲のデータはすべて消失していた。パソコン内にもクラウド上にも見当たらないのだった。さらに、どうしてだか僕らはデータをフィジカルな形で残していなかった。
 打ちのめされ、あらためて曲を再現する気も起きないまま数日が立った。何も手につかずぼうっと過ごしているうちに、どんな曲だったかも徐々に思い出せなくなっていくのだった。せめて完全に忘れないうちにと思って書いたのが、このライナーノーツだ。でも、だんだんわからなくなってきた。そもそもほんとうに僕らはアルバム制作なんてしていたのだろうか。平成最後の夏、果たして僕らは何をしていたのだろうか。


※アルバム制作の際によく聴いていたり参考にしようとしていたりした曲です↓
(Spotifyのコラボプレイリストといって、誰でも追加できるようになっているので、みなさんもぜひお気に入りの曲を追加してみてください)


おわり

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