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妻からもらったネックウォーマーを装着し、文章を書き始めた。

12月7日は僕の誕生日。
おめでとうございます、ありがとうございます。
もう12月8日だけど、なんか気恥ずかしいのでこの時間差で。

あと誕生日なので、文脈を気にせず話題を飛ばしていいし、量も好きなだけ書いていいという許可を自分に与える。

いま着ているネックウォーマーはプレゼントのうちのひとつ。
シルクでとても肌触りがなめらかで、自然な感じでじんわりと暖かい。
首だけじゃなく顔までポカポカしている。
なお、ネックウォーマーは装着するときに顔面を通過する感じがスウェットと同じ感じがするから、「着る」と表現していきたい。

そんなネックウォーマー顔面ホカ太郎は、33歳になった。

32歳の僕は何をしただろうか?
なんといっても7ヵ月ほど夏休みを頂戴したことに尽きる。
それがなかったらnoteも始めていなかったし、文章書く面白さを忘れたままだったかもしれない。

仕事でも文章力は評価されていたから、自分でも文章が書ける人だと思っていた。

でも真の意味では全然違った。

仕事の文章はしょせん仕事用だ。言うべきことの大枠は決まっていて、突き詰めると無駄のない定型文に行きつく。
長い間そういう文章しか書かなくなってたから、真っ白なnoteに「さあどうぞ!」って放り出されたとき言葉に詰まった。
最初の頃って思うように書けなくて、50記事ほど書いたあたりでやっと自分の感覚が自分の言葉として降りてくるようになった。

文章を書くときの感覚を文字起こししていきたい。

まず、自分の中にある言葉を捕まえる。

ここから先の過程が大切で、僕は平易な言葉だけで済ませたいから、言い回しで自分らしさを出していくことにしているのだ。
積み木で例えるならば、丸いやつの上に三角を置いて、さらにその上に四角を配置しても倒れないように並べることでしか、自分らしさが表現できないと思い込んじゃう瞬間がある。
その思い込みを無視せず言い回しを探し、なおかつ言葉として頑丈なもの(バズワードの反対側にいるような普遍的な言葉たち)をチョイスすることで僕の文章になるというわけだ。

一個一個の「語」は既製品でしかないので、やっぱりどう組み合わせていくか考える、もしくは考える前にバチッと出てくるのが最高に面白い。
気に入った言い回しは過度に引用するのも好き。
最近だと浅井健一の歌詞でよく出てくる「なぜならば~だから」はもう盗み尽くしている。なぜならば気に入っているから。

あとはカレーを食べすぎて、noteで知り合った方と来月一緒にカレーを食べることになった。
「こんなカレーばっか食べてるって、どんな奴だろう?!」と興味が湧いたのだろう。しかも立川までいらっしゃるとのこと。だいぶ奇特なお方だ。
これを書くことによって「絶対に決行しますよ」という意思が伝わり、苦笑いが漏れた瞬間のちょっと開いた口に大量のルーを流し込んで差し上げたい。暴力反対。腹八分目主義。

普通に仕事して暮らしていると、知り合い、ましてやその先の友達はそうそう増えないので、この機会は本当にワクワクする。ハラハラもする。
サラッと「普通に仕事して暮らしていると」などと書いたが、それができなくなったからこそ今があることは忘れずにいたい。
僕は3月下旬からの人生はボーナスステージみたいなものなので、このまま会社員できたらラッキーくらいの気構えでいる。もし続かなかったらみんなが僕の分まで働いてほしい。

11月に復職してからは「元に戻った?」とよく聞かれるけど、そのたびに「いや、新しくなりました。ニュー!って感じです」といちいち答えている。
ここで適当に「あー、はい」とか答えてると、結構かんたんに自己暗示にかかってしまいそうでこわいのだ。
だって元に戻ったということは、同じことがもう一回起きるということだから・・と、こういう、自分の中で筋が通らないと気持ち悪いことは答えが出るまで考えてしまうことをやめられないのをたまに心配されるけど鳥が空を舞い蜂は蜜の在りかを探し魚はエラ呼吸を繰り返しH2Oはどうしようもなく水であるという事実と同じであることを伝えておきたい。

あー、もう書いた。書き切った。
最後のほう息継ぎするの忘れたし。

眠気がもう無視できないほどに枠を乗り越えようとしている。

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