弱い者を切り捨てると組織は弱体化するのに何故、人は弱者をつまはじく愚かさに囚われた社会を作り出したのだろう。

人間には能力差があり、
ひとつの仕事をするにも優劣が生まれます。

ここで、平均以下の半数をリストラするとします。
組織の能力は上がるでしょうか?

いいえ、今までこなしていた仕事の半分も回らなくなるでしょう。

人にはその個体の中にも能力の優劣があり、
劣った部分をサポートされ、
優れた部分で他人をサポートする、
知らないうちにそうやっているのです。

私はここで、二つの事例を上げたいと思います。
ひとつは、この動画の裏話になります。

この学年に車椅子の生徒はふたりいました。
もう30年くらい前のことです。
昨今は、「責任がとれない」という理由で車椅子の生徒を移動させるのは保護者だそうですね、
このころは生徒が行っていました。

ちゃんと車椅子の動かし方を学んで、
集会のたび教室移動のたびに車椅子を押す生徒がいたのです。

その方が良かったように、私は思います。
障害はあるけれど特別じゃない、クラスメイト。

二学年では一緒に修学旅行に行くのが、
何の疑問もない自然なことでした。

こちらの記事に、スキー修学旅行に決まった経緯は書きました。

動画では、車椅子用のそりを撮影することは不可能なので、
普通のそりになっていますが、
車椅子用はかなりごついそりを使います。

車椅子の生徒は体力的な問題もあり、
ずっとスキーをするのは無理で、
同じように色々な理由でスキーができない生徒のグループで
工芸品を作っている時間も多かったですが、

みんなで雪原を滑る楽しさ

これを共有できたのは大きかったです。

「けい」というのは仮名です。
いつなくなってもおかしくないと言われていました。
保護者は、だからこそ修学旅行を体験させてやりたい、と、
送り出したのです。
幸い、その時は無事に帰りましたが、あとは、動画の詩の通りです。

もうひとりの車椅子の生徒は、勉強ができました。
クラスでは、友人に数学を教えて笑う姿も多々見られました。
卒業式を無事終えて、
卒業後の進路は私の記憶があやふやなのですが、
コンピュータ関係の仕事がしたい、と、
それを学べるところに行って、多分就職したのだと思います。

学校が、
責任から逃げ、
対応が変化した結果、

豊かさを失ったように、
いや、社会が豊かさを失ったように、
私には思えてなりません。

効率主義。
進学率重視。
生産性。

生産性のことで、もうひとつの例を挙げたいと思います。

教員間のいじめ、最近ニュースになりましたが、
昔からありました。

私のときには、
クラス運営がうまくない担任がやり玉にあがりました。
生徒が問題を起こすと、

担任がしっかりしてください!
指導してください!

会議でつるし上げるのです。

それは、違う。

一番弱い部分は助けなければ、
集団としての力は減るのです。

その担任は、自己表現が下手でした。
それで教員になったのは、数学が好きだから。
でも、数学は楽しいのにどうして生徒はわからないのかわからない、
そういうところがありました。

しかしながら、
実はその人は学校会計を全部一手にひきうけていました。
二人、会計がいたけれど、もうひとりは何もやらなかった。

Excelがなく、Lotus123も使える人がほとんどいない時代です。
俺がいなければこの学校の会計は回らない、
それくらい言ってやってもいいのに、

毎日黙々と、学校会計・PTA会計の数字を処理していました。

本人が言わないから、誰も知らない。

だけど、組織はそうやって動く。
社会はそうやって動くのです。

目に見える弱みがある者
黙して自分の功績を語らぬ者

排除した先の貧しい未来を私たちは考えようとしない。


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