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公募川柳が言葉を冒涜する危険性

脱うつ川柳2022の問題点が主催にメールしても伝わらない。

脱うつ川柳の投稿内容及び受賞作品に関するご意見は media@liva.co.jp までお願いいたします。

Twitter

だ、そうなので、メールしたのだが。質問内容は前のnoteとほぼ同じ。
返信はあったが。
わかってない。
箇条書きのQ&Aにしないと伝わらないみたいなので、また出すことにする。

その前にnoteで考えを整理し、もっと総括的な問題点に触れる。

①開催意図の「つらい気持ちを和らげるヒントなどをみんなで手軽に共有する仕組みを創りたい」の「手軽に」がまず大問題。


「うつ病」と無関係ではありえない企画なのだから「慎重に」行うべきだった。その点をどう対応するのか。

②昨年度の例として「この辛さネタになるからメモっとけ」を上げる無神経さ。

そもそもこの句を受賞させる無神経さ。
それは

②-1当事者として「ネタ」にされる不快感。


②-2「つらい気持ちを和らげる」として受賞したからには、主催会社のユーザーに公開して効果があったのだろうと推測される

が、昨年はどう句を扱ったのか。

②-3外部公開のみ行ったのなら売名行為でしかないと考えるが

その点は今後どう方針を立てるのか。

②-4「つらい気持ちを和らげる」は何を根拠にしたか。

精神科医の見解など配慮はあったのか。

以上を釈明していただきたい。

③公募川柳としての問題点。


「脱うつ川柳」は賞金総額十万円一位五万円で、応募が群がるのは当然。趣旨も軽いので当然応募者の大半が「健常者の軽い落ち込み」を詠んでいる。
主催会社がうつ病患者をユーザーとしているのに「脱うつ」はうつ病とは無関係です、は通用しない。本当に無関係ならそう明記すべき。
要するに、当事者の苦しみに寄り添わないものをTwitterで垂れ流しにされる苦痛である。

※Twitterには一単語ならハッシュタグをミュートできるのでお勧め。

以上、質問の箇条書きである。

【2022/08/24 10:00時点で返信あり】

転載禁止。
これ以上追求はしない。

問題の根底にあるもの

まとめると、私には「当事者の苦しみ」と「川柳人としての不快感」があるのだ。

川柳雑誌で子ども向け川柳教室を開いている方の記事を読んで、この不快感に関連があると思い引用する。

川柳界ではまだ元気なお母さんを亡母にしたり、出産の苦しみを平気で男性が詠んでいる。入選が全てではないと子供達に教えたいのに、この現状をどう捉えればいいものか。
私は嘘は書かないように努めているが「努めている」 止まりなのも否めない。 子供に川柳を教えるならば、やはり自分自身をもっと戒めなければならないと感じる。そしてやっと心から「嘘はダメ」「自分をさらけ出しなさい」と言える指導者になれるのかもしれない。大人の川柳教室よりも、子供の川柳教室の方がずっと難しい。

引用:川柳の話第3号2022.7の55ページ「川柳のこれからを考える」真島久美子

当事者目線がない懸賞公募企画には
当事者目線がない句が集まるのは当たり前じゃないか。
うまいこと言った方が勝つ。
句の立ち位置はフィクションでかまわない。
だってみんなそうだから。

本当にそれでいいのだろうか?
発端は一公募だが、この問題は根深い。

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