私がGeneの中で実現すること

ずっと悶々としていたものが昨晩、すっとすべてが繋がったので、ここに記しておく。
タイトルも迷った。Geneで目指すとは?Geneは共鳴したつながりである。Geneは人格ではない。法「人格」とかいうものを、会社という人ではないものに持たせるから、会社というつながりをもとにしたものがおかしくなる。

「Geneは共鳴したつながり」

これも今、言葉にできたものだった。

さて、自分自身が独立してから、もうすぐ5年が経とうとしているけれど、最初のころからずっとおもっていたことは、
ソフトウェアの領域、ものづくりにおいて日本ならではのやり方・作り方があるはずだ。自分はそれを探求し、実現することで、日本に貢献しようと。

今はもう少し解像度が上がっていて、

今の「デジタル・ソフトウェア等の情報技術」の思想はすべて欧米の価値観・美意識・文化が根底にあるものであり、これを無批判に取り入れ、真似をし、「追いつこう」としている時点で、自分たちの価値が拡張されることはない。「追いつく」こともない。均一化の中で、喰われていく。
私達は、自分たちの価値観・美意識・文化を元に、「デジタル・ソフトウェア等の情報技術」を再解釈、再構築し、「情報技術」を道具として、人間の創造性を最大化するように事業に取り込むことで、日本社会の企業は、それぞれ個性的で唯一無二の価値が、地域に、国に、そして世界に対して提供できるようになる。

ということを信じて疑わず、探究し、知識を共有し、そして技術の提供を行っている。
つまり、Geneが提供しているのは、「情報技術を道具として扱うこと」「その道具を使い、人と人との営みの価値を、創造性を拡張すること」である。

「情報技術」はすべての業界に必ず食い込むものになる。「情報技術」を道具として使わない未来は絶対にないと思う。
けれど、道具だからこそ、自分たちにあった道具を、自分たちにあった使い方で使わなければ、それはむしろ道具に支配され、人が道具として扱われることになるとおもっている。
人的資本とか、生産性とか、属人化の排除、仕組み化とか、そういった言葉が是とされている。正義とされている。
どこがだ?と思う。こんなの人を道具として捉え、人も部品の一部として考えている人じゃなきゃ出ない言葉だと思う。
けれど、意識的には違えど、無意識にはそう捉えている人たちが多いし、少なくとも欧米の価値観(どっちかというと、米・中かな)としては、そうやって市場合理性を徹底的に追求する思想からすると、それが正義だし、それらが決めた指標で比べ、追いつき、追い越そうとする人たちは皆無批判にそういった種が意識に埋められているのであると感じている。

これは、ぼくは、ちょっと知識のある知識人を活用した植民地政策と同じメカニズムだと捉えている。

そもそもビジネスってなんだ?と考えた時に、今は、資本を増やすゲームとなっている。ビジネス = ずっと成長し続けること。
そのために効率性、生産性、市場性を求め、独占状態にし、価格を釣り上げていくことが正義となっている。
でも、本来、日本の企業がやってきたことは違うと思う。そこに日本社会の企業、自分たちが本当の意味で唯一無二の個性、価値を発揮できる場所があるとおもっている。
ぼくは、「ビジネスとは、人と人との営み」であり、「まず人」だと考えている。そして、「ずっと価値を提供し続けられるようにすること」それが、自分たちを信じてくれた人たち、喜んでくれる人たちへの最大の誠実さであり、持続的であると思う。
だから、100年を超える企業のほとんどが日本にあるっていうのはそういうことなのだと思う。
近江商人の三方良しという思想だって、絶対にこういった価値観があるからこそ思いつくものであると思う。

だからこそ、「情報技術を道具」として使い、「人と人との営み」の中で、「ずっと価値を提供し続けられるようにすること」、それは「循環がそこに存在すること」なんだけれど、それをGeneも、そして日本の企業ができるようになることで、日本社会は変わっていくし、日本ならではの価値を提供できるし、それはきっと世界に対しても唯一無二の存在、価値を提供することになるとおもっている。

そんな中で、自分は一つ大きく反省したことがある。
こんなことを言語化できていたかはおいておいて、前述のようなことをずっとおもっていたのだけれど、Geneの現状の技術提供の報酬は金額としてはどうしても高くなり、こんな日本の企業にそれを本気で持ってもらおうとしている割に、その技術を提供できる企業は限られている、という完全なる自己矛盾に気づいてしまった。
身口意が一致していない。こんな企業は嘘っぱちだなって本気でおもった。

「情報技術を道具」として使い、「人と人との営み」の中で、「ずっと価値を提供し続けられるようにすること」、それは「循環がそこに存在すること」

がGeneとしても成り立ち、そして、本気でそれを届けたいとおもっている人たち、企業たちがそれを扱えるように、Geneは提供するものを作っていかなければならない。無意識に自分自身も情報の格差、技術の格差にあぐらをかいていたのだ。
覚悟をしていなかったなと。

なので覚悟します。無知の無知から、無知の知になった。
そんな大事なことに気づいた昨晩のできごとだった。

読んでくれて感謝します。

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