ズレを感じるという感性

自分はどちらかというと、辻褄が合わないということに敏感である。
これは自分の個性の一つであると思う。

自分はミスは比較的少ない方だけど、それは辻褄が合うか?ということに敏感だからこそ、辻褄が合わないと感じるときは、大体自分がミスしている箇所がある。

辻褄が合わないと表現したけれど、自分的には、流れているか、流れていないか?という感覚の方がしっくりくる。

流れとはなにか?でいうと、構造的にすべてを見ているという感じだ。
構造ってのは、意味と意味の関係性ということもあるし、言葉と姿勢という関係性もあるし、魂と肉体という関係性もあるし、粒度も概念もバラバラ(のように人間は規定しているけれど)そういったものの総合的な構造で捉えている。この世は縁起であり、関係性である、という前提にたった感性なのかもしれない。

おそらくこの感性に、特に自分は秀でていて、その中でも、自分は「眼」による視覚情報がとりわけ感知する刺激が多いようだ。
きっと自分は、六神通の中でいう、他心通が秀でてるのだと思う。

なんでこんなことを書こうと思ったかというと、こういった自身の感性に自覚的になると、自分の持つセンサーがより鋭敏になって感覚が鋭くなっていくからこそ、自身がどんな感性を持つか?ということを探究することは意味があるなと思うことと、もう一つは、人それぞれ違う能力、感性に優れているから、どうやってその能力、感性が発揮される形で例えばその人が出来ないこと、苦手なことに向き合ってもらうか?というのを考えているからだ。

間違いを指摘するのはかんたんだけれど、それは自分の気づき方であって、やり方であって、本人にとって良いやり方か、構造的に変化が起こるようなやり方かどうかは違う。
だから、まず人はどのような能力、感性をもっているのか?を正しく見極める必要があるし、その上でどう関わることが人がその能力、感性を活かした形で体験して、変容していくか?を考え実践する必要があると思う。

ぼくの見えている世界だと、構造的に考えればかんたんじゃんとか思うけれど、他の人が見えている世界だと、きっとぼくとは違う形で世界を見ている。
から、その人の見ている世界ではどのように見えていて、どう見えるようになることが良い(と思われる)ことなのか?で常に考えていきたい。

まだまだ出来ていないけれど、自分はどんな感性で、常に人と関わるときにそうやって向き合っていきたいと考えているという話でした。

本日も読んでくださりありがとうございます。感謝します。


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