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happy one day, no happy one day

 今でも忘れられない言葉がある。

10年ぐらい前のことだ。当時、僕はある会社で働いていて、慣れない業務にてんてこまいだった。その職場に、一人のマレーシア人がいて。

毎日疲れ果て、部屋に戻ってベッドで眠る。朝目覚めてまた職場へ行く。その繰り返し。体力的にもきつかったし、僕自身、そんなつもりはなかったのだけれど、日々の疲労が、顔に滲み出ていたのだろうと思う。

ある日、もうすぐその日の業務に終わりが見えてきて、安堵が疲労感を僅かに上回る気持ちになりかけた時、その同僚のマレーシア人が、僕に向かってこう言ったのだ。

「happy one day, no happy one day」

もしかしたら、no happy じゃなくて unhappy だったかもしれないし、そもそもが、もっと違う単語だったかもしれない。

それでも、その時の僕には、彼の言い放った、この恐ろしく簡単な英語の持つ大きな意味が、ストンと胸に落ちていった。

幸せを感じても、感じなくても、一日は同じ一日だ。だったら幸せでいた方がいいだろう、幸せを感じた方がいいだろう。

彼がそういう意味で言ったのかはわからないけれど、僕の心は、そういう意味として受け止めた。

多分、この時の僕は、幸せを感じていなかった。少なくとも、彼の目には、そう写った。あれから、短くない月日を経て、今でも、彼の放った言葉を思い出す。自分は今、幸せなのかと。

お金やら仕事やら恋愛やら、そういった表面的なことではなくて、胸のもっともっと奥の部分で、幸せを感じることができているのかと。

あの時感じた、胸にストンと言葉の本質が落ちていく感覚。
「腑に落ちる」というのは、こういう感覚のことを指すのかもしれない。

それからしばらくして、彼はマレーシアへと帰っていった。しばらくはsnsでやり取りをしていた時期もあったけれど、やがて疎遠になり、今どこで何をしているのかもわからない。多分、彼も彼で、僕のことなんて覚えていないかもしれない。

でも、10年前のあの日以来、彼の言葉に何か大きな意味を感じて、今日までその答えを探してきたけれど、手が届きそうで届かない僕としては、その言葉の真意を問いただしてみたい。

もしかして、すべては僕の聞き間違いで、全然違うことを言っていたら面白いな。まあ、それならそれで、笑い話にしながら、美味しいお酒を飲めるかもな。




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