「飲み会に行かない奴は仕事ができない」は本当か

飲み会に行かない「から」仕事ができないなんてことはない

 「最近の若い奴は~」で出る老害トークの筆頭。飲み会にも来ない可愛げのない若い奴らはいざって時に助けて貰えなくて云々かんぬん~というのがある。突然だが反例を挙げたい。私の初任店にいたNさんは飲み会に全然来ないのに滅茶苦茶な数字を叩き出して一足飛びで上に登って行った伝説の先輩だった。彼には飲み会なんて必要なかったし、なので私個人としては飲み会に行かないと仕事ができない~なんて言うつもりはない。

 が、一方で、職場で飲み会に来ない集団と、適応できずに脱落する集団とは相当部分が一致するということは、多くの皆さんが経験則的に感じている所ではないかと思う。そこで今日は何故そんなことになるのかについて、少々言語化を試みたい。

できる奴は何をしているのか

 まず最初に、出す奴というのは具体的にはどんな奴だろうか。身の回りの「できる」人間を思い浮かべていただきたい。私の過去の記憶だと、猛烈に成果を挙げる人間というのは、成果を挙げる為にできることを思いつくそばからやっている人間であることが多かった様に思う。その為に暮らし、もっと言えば究極人生まで捧げるんじゃないかって奴で、彼らはすべきことを全部した結果、当然の勝利を得ている。まかり間違っても仕事を打ち捨てて趣味に没頭しているという奴では無かった。単に必要な事をした分成果が出ているというだけなのだ。

 もう少し具体的に、飲み会以外でも職場で成果を挙げる為に出来る事と言うのはどんなことがあるだろうか。例えば人間関係で言えば頼まれごとを全部引き受ける。もっと言えば手を伸ばして仕事を取りに行く。お客さん関係なら徹底的な下調べやロジ作り、基盤系なら圧倒的なリサーチや勉強だろうか。もっと言えば休日にお客さんの所や現場に下見に行ったり、これらはまぁとにかく投下する労力が多いのに、リターンは不確実で敢えて言うならコスパはあまり良くない。そこを行くと、飲み会というのは、あんまり頻度が高いければ別格、例えば月一とかであれば、とにかくコスパが良いのだ。

コミットの一つとしての飲み会の「コスパ」

 せいぜい2時間か3時間座って話をして5000円も払っておけば、お願いをしやすくなり、助けてもらえるようになり、稟議の通りも良くなる。必要な情報も入る。こういう表現が合ってるか分からないが、職場で生き残るという観点からはボーナスステージというか、点数、もっと言えば金が落ちてる様な物だとすら言えると思う。勿論、必要な事を完全に充足できている上で2時間や5000円を節約するのは分かる。しかし往々にして不思議な事に、必要なものが揃っていない奴ほど飲み会にすら来ない。そしてそんな彼の他の要素というのはズタボロだったりする。

 飲み会に出ないと同時に仕事で成果が挙がらない人について、偏見を述べると仕事に対して「定時内座ってれば給与が貰える」様なものと錯覚している事が多い様に思う。しかし必要なことは「役に立つ」「結果を出す」事であり、そうすれば定時内座ってる必要すらなく、営業に行くと言ってサボってればよい。事務ならVBAを組んで全て5秒で終わるように仕組を作ればよいだろうし、結果出してるのであれば誰も咎めやしない。そして結果を出しているかどうかはセンス等の問題はあるが、それ以外は基本的にその為にしている努力や労力の投下量に比例している。そしてその為にできる数多ある要素の中で飲み会というのはとにかくコスパ/費用対効果が最も良い物の一つであると思われる。

何もしなければ当然成果は出ない

 成果が挙がらないにもかかわらず、そうした一連の取組を忌避している人の多くはこの入口の点を勘違いしており、その為に職場に貢献する為にできることはやるという意識が希薄で、最終的にも結果が出ない。ので「飲み会に来ない」から「成果が出ない」のではない。出来る事はやろうという意識がない為にコスパの良し悪しに関係なく成果を挙げる為の取組を殆ど何もやっておらず、その中で一番コスパが良い飲み会すらスキップしてしまっており、結果全てがズタボロというのが感覚的に近い所ではある。

ということで「飲み会に来ないから仕事ができない」は因果が不一致だが、飲み会に来ない理由が「もう他にできることを十分やって結果が伴っているから」等であれば何も問題ない所、「成果を挙げる為に何もする気が無いから」であればその後あまり良い結果にはならない様な気はする。ちなみに冒頭に挙げた飲み会に来ないけど滅茶苦茶数字をやるNさんは通勤時間が長過ぎて終電の速さから飲み会には来れていなかったが、その通勤時間を活かして働きながら診断士に合格した方である。飲み会以外でやったから結果が出てた。実にシンプルな帰結であった。


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