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(240208)想い出の日には また会おうと云った もう会えないくせに

最近はとんとSNSを更新しなくなったのだが、新規で特に何もあげていなかったインスタに突然DMが来た。年末に新宿のバーで知り合ったパリ在住のお兄さん(東京に里帰り中だった)からで、クリュニー美術館と『一角獣と貴婦人』のタペストリの写真を送ってくれた。
そういえば、お兄さんと会った時に、僕がパリで一番好きな美術館がクリュニー美術館で『一角獣と貴婦人』をまた見るためにパリに行きたい!!と話したのだ。
こういうのってちょっと嬉しいよね。『一角獣と貴婦人』だけじゃなくてお兄さんに会うためにもパリに行かなくてはと思ってしまった。

2024年1月27日(土)
『カードキャプターさくら25周年展』に友達と行った。
この日のために『カードキャプターさくら』のアニメ全92話(クロウカード編/さくらカード編計70話+クリアカード編22話)をすべて見た。この勤勉さがありながら僕が社会的に大成功していない理由って一体なんなんだろうと思ってしまった。
『カードキャプターさくら』はアニメオリジナルキャラクターのメイリンがとにかく良くて、この子はなんというか、凄く高橋留美子的なキャラクターなのだ。小狼の許嫁という設定でありながら、原作には登場しない以上この子が小狼と結ばれる可能性はゼロに近い、登場したその瞬間から恋愛かませ犬が確定しているキャラクターである。こういうキャラほんとに大好き。
またメイリンは作中で唯一現実的で地に足のついた発言をするキャラクターであり、『カードキャプターさくら』はキャラ全員がもれなく虚構の世界でしか通用しない理論で生きている作品なのでメイリンが物凄く良いスパイスになっている。
展示は思っていたより良かったし楽しかったけど、どうしてもさくら中心なのでメイリン推しの身分としては物足りないものがあった。

会場がスカイツリーだったのだが、こんなことがないと2度とスカイツリーなど来ないなと思い練り歩き、プリクラ(スカイツリーとか微塵も関係ない普通のプリクラ機)のブースを見つける。
僕はおじさんだがプリクラが大好きだ。『写真に撮られる』という明らかにここ30年以内で民衆に発見されたであろう楽しさや喜びをこれほどに感じられる機械はプリクラ以外存在しない。90年代からどんどんブラッシュアップされスマホやら何やらに淘汰されずに生き残っているというのも地味に凄いと思う。
最近のプリクラブースは基本的に男性だけのグループは入れないのだが、僕たちはどこからどうみても無害で善良なおじさんなので店員さんにひと声かけると使わせてもらえる。
プリクラはひと時『場数』がものを言わせていたが、最近のプリクラはそんなことはない。ポーズの示唆まで機械が行ってくれる。機械の指示通りに動けばなんとなく楽しそうな写真が撮れてしまうのだ。というかむしろ、その機械の指示により普段絶対にしないであろう恰好をすることが一番楽しい。
もう少しでアラフォーになってしまうわけだけど、こんなこといつまでやってるんだろうか。

スカイツリーを出て錦糸町に向かう。適当に飯でも食ってから錦糸町の映画館で『カラオケ行こ!』を見に行くルートだ。
『カラオケ行こ!』は原作も好きだし映画化向きな作品だからそこまで心配してなかったけど、期待以上に良かった。
聡実役の子がほんとうに上手で感心してしまった。
映画の出来というより、なぜか、映画内で聡実や合唱部の面々が制服の上にパーカーを着ていたことがなんか感慨深かった。というか、ものすごく思うことがあった。
僕は地元の中高一貫校の中学を出て、そのまま同じ学校の高等部には進学せず親の都合で中国の高校に進学したのだ。その中学にはクレイジーな校則があり、そういう転居などのっぴきならない事情がない限りは外部の高校に進学することは不可とされていた。
そして結局、僕以外の学年全員が同じ高校の同じクラスに進学した。
楽だったのはクラス宛に手紙を送れば中学の同級生みんなに読んでもらえて、各々からまとめて返事が来ることだった。特に反響があったのが当時の写真を送った時で、送った写真の中で僕は制服のワイシャツの上に市販のパーカーを着ていたのだ。
当時は日本でもジワジワと『制服にこだわるべき』という概念が東京から地方へ伝播していたけれど、上海までは届いていなかった。制服がとにかくクソださかったのだ。とはいえ上海の学校は厳しい校則もない(そもそも当時の中国に『制服を着崩す』という概念がほぼなかったので、生徒が制服を着崩した時に対応すべき規則が存在しなかった)のである程度自由な格好で学校に行っていた。
反対に、僕がエスカレータで上がるはずだった日本の高校は刑務所のような規則がガチガチにあり、ブレザーやスカートはもちろん、バッグや靴下まで目に見えるものはすべて学校指定でないといけなかった。学校でパーカーを着るなんて言語道断だったのだ。そんなつもりはなかったのだが、『学校でワイシャツの上にパーカーを着れるなんて羨ましい!!』と面白いくらいに反響があった。うちの学校はなぜ、と先生にまで直談判した子が居たらしい。
当時もたぶん東京や都会なんかはある程度自由が認められてたんだろうけど、田舎のしょうもない学校はパーカーが着れるかどうかで大騒ぎしていたのだ。なんかそんなどうでもいいことを映画中めっちゃ思い出してた。
平成だね。

2024年2月5日(月)
雪が降るという話なので引きこもる準備をした。『Y2K新書』で話をしていた『アフリカの夜』が気になっていたので一か月間限定でFODを契約しており、『アフリカの夜』はすっかり2周見てしまった(視聴中に桐島聡のすったもんだがありタイムリー!!って思った)ので別のドラマを探す。
本当は『やっぱり猫が好き』が見たかったのだがFODにはないし、なんだか『アフリカの夜』で平成づいてしまったので『恋ノチカラ』を見始める。
これ…なんだか凄い、というか、堤真一も坂口憲二もイケメンすぎるし、深津絵里も美しすぎるし、なんというか、放っている輝きがダンチすぎる…?
平成前半ってまだテレビの画質もそこまでだったし、引きの絵だと表情がわかり難かったからかアップが多い上に男も女も顔が濃い、というか各パーツがしっかりした人が多い。正直スタイルがちょっと悪かったり頭が多少大きくてもいいから顔面!!という傾向をかなり感じる。
中村倫也とかがこの時代に居たらテレビ越しじゃ顔面ほぼ何も見えてなかったんじゃなかろうか。
最近はきっとテレビが高画質化したからどちらかというと薄顔が多い、というかむしろ薄顔が主流だし(濃い顔はもはや強くなりすぎてくどくなっちゃうんだろうな)、そもそも引きで撮ることが多いからスタイル重視になっているのではと思う。
それから何より思うのがテレビの勢いというか、『恋ノチカラ』で深津絵里と矢田亜希子がルームシェアしている部屋がまさにそうなのだが、私たちが憧れのライフスタイルを提供しています!!というテレビ局側の自信が物凄い!確かにこういうのって最近のドラマではなくなったよなと思う。単純に予算がないからなのかそういうのが押しつけがましくて主流ではなくなったからなのかはわからないけど。
昨今の『セクシー田中さん』の件とかも時を経たその余波と言えなくはないから良し悪しはわからないけど、こういうブイブイ言わせてる業界が作るものの面白さみたいのをバシバシ感じてしまった。勢いがあるものを摂取してるとなんか自分にも勢いがつくような気がする、みたいな、最近ちょっと忘れかけてた事象をありありと思い出さされてしまった。
『恋ノチカラ』なんかは今見ると正直ツッコミどころ満載ではあるんだけど、当時って基本毎週テレビで見てたし全体的な整合性とかよりそういう勢いとか、いかにドラマを見てそのエピソードで元気貰えるかとか、翌週も見たくなるかの方が大事だったよね。懐かしい。
どうしよう、FOD延長して東京ラブストーリー、ロンバケ、ラブジェネ、やまとなでしこと往年の平成ドラマツアーをしてしまおうかと迷っている。
勢いづきたいよ、僕も。

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