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#126 二十と一円

 昨日は手伝いをしている日大二高演劇部の自主公演であった。
 わりとこう、本番前ともなると神頼みしかなく、本番前と台本を配るときは学校の近所にある天沼八幡にお参りしてから会場に向かうことが多いのであるが、最近大体はお賽銭を21円と決めてかかっている。21円、一見よくわからねえ数字である。

 ここに至るまでには色々な試行錯誤があった。そもそも、神社で参拝をしようもんなら財布を覗いて、おおむね十円玉があれば大人しくそのあたりを賽銭箱に放り込めば良さそうなもの、十円とおえん遠縁とおえんになる、というよからぬことを耳に吹き込んでくる一派というのがいる。これを気にしなきゃいいじゃん、というのは至極ごもっともなのであるが、そもそも参拝するという行為自体が「これを気にする」ような心境の上でやっておることなので「うるへーぼけー」と口ではいいつつも、十円だけなげるのが憚られるのんであるよ(と、この記事を読んだおまはんも同じ呪縛にかかるかもしれない)。

 ここにおいて、弊社が長年に渡る研究の末に編み出した対処作がこらち。
 だったら二重にご縁があったらよかろう、ということで二十円を放るようにする。そしたらあれざんしょ? 縁が一本切れてももう一本残っている。これで日本も安心だ!(by植木等)というわけで問題が解決する。
 ここで二十二重五円ご縁、などと考えてはいけない。文脈が違う。おわかりいただけるだろうか。わっかんねえだろうなあ。いいんです勝手に手酌でやってます。

 という前提を踏まえて、姓名判断にしばらくハマっていたことがあってですね、そうも二十、二十画というのがあんまりよくない。二十一画というのはおおむねよい。ももいろクローバーZも21画だ。よし、じゃあ一円を足そう、てぇんで、現在に至る。そういうわけです。
 みなさんも何を読まされているのかわからねぇであろうが、験担ぎというのは本人の気がするまでやらないと達成しないところがあり、かといって財布に小銭がないときに五十円以上出すかと云うと急に現実に引き戻されて「すんませんね、今持ち合わせがなくて」なとど神様に逃げ口上を打ったりする。ゲン担ぎ、信心の前にひとりのどケチとしての基本に立ち返る。

 あ、公演は大盛況でした。223名のお客様、まことにありがとうございました。ひらに御礼申しあげます。ちゃんとショウをしておりました、とさ。

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