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#146 内肉外骨

 ちょっと前のアーカイブス「桜を見る会」(#128)を出して諷刺がどうこう云うとったころに、近所の入ったこともない画集専門みたいな古本屋の店先に「ユリイカ1993年9月号『特集・宮武外骨』」なんぞ置いてありまして、びっくりして買ったわけですが、久々に読むと面白いね外骨。で、読んでいて思い出したり考えたりしたことを書く。

 昔はもっと頑張って文芸批評もやっていたのですが、ズボラゆえ止め――止めた話はええわ、この宮武外骨についての作文がかつてはどっかの文学賞の二次選考まで通った……その翌年からでしたなぁ、卒論を応募原稿に使うな、という項目が応募要項になぜか増えた。おっかしいなぁ、別に自分のせいではないとおもいますが。きっと卒業旅行ばりに卒論を送りつける人が少なくなかったのでしょう。知らんけど。

 本名・宮武亀四郎。亀は内肉外骨の動物ゆえ外骨と名乗り始める。宮武内肉と名乗った世界線もあったかもしれないNE!
 卒論で取り上げた話題としては赤瀬川原平とかあの辺のグループが、なぜ外骨を持ち上げて、それがブームになっていったか、という現象から80年代後半の空気を浮彫してみよう、みたいなことだったんですが、当時の結論としては、70年代後半まで時代の空気がアンチテーゼだったのにたいしての疲弊感が『アンチ』・テーゼに変貌していったのだ、ということであるが、アレ、今から考えると本質的な部分が違う。若気のいたりゆえにアンチ』・テーゼという言い回しの格好良さに本質を見失っている。愚か愚か!

 あれから20年、もっとわかりやすく申しますってぇと、80年代当時の人々は外骨の面白さって「諷刺」の部分以上に、「何をしてくるかわからない、読めなさ」のほうを大事がっていた、ということです。手を変え品を変え、いろいろな罵倒を、切り口を、対象を紙面に載せてくる。なにをしてくるかわからないおっさんの部分が当時の空気によくマッチしていた。じゃ、当時の空気とは何かというと、学生運動とかで焼け野原みたいな空気になっていた日本における「テーゼ」に対するアンチの気持ちから、軽薄に、飄々と世の中と向かい合っていこう、という空気が80年代だった、ということでありますな。一方で、資本主義化するとこんないいことがありますよー、という感じにバブルが造成されていった背景にもちやんと符合する。無人島で自炊テント生活しようぜ! みたいなテレビ番組のスポンサーがサ○トリーとか博○堂だった時代の話です。思いっきり資本主義でいま考えるととんでもねえなあ、という感じがしますけれども。まぁそのへんはいいや。

 さて、「ユリイカ」読んだ。いくらか当時の雑誌がそのまま載ってますが、やっぱり面白いな外骨。次のページで何をしかけてくるか、というワクワク感がある。ワクワク感があるから、どんな話題がきても読んでしまう。
 前述の「桜を見る会」の記事でもちょっと触れた話、どうもその、昨今でいうところの諷刺に馴染めない。芸人や文化人が社会活動をしていいのか、とかのことについて、どうも乗れない気持ちでいたのはおそらくこのあたりがひっかかっておる。

 本来、とりわけ芸人さんなんかは藝として「何をしでかすかわからない」ところが期待されるはずなのに、本人なりの(問題に対する)危機感などで、どうしてもパターン化して普通の人になってしまう。云っちまえば、つまらなくなってしまう。アレ、お笑いだったはずなのに思ったより面白い人ではないのだな、という一般の人にとっての裏切られた気持ちというのはよくわかる。加えて、そうした活動に興味があるというだけで、界隈の人が両手をあげて歓迎してくれるあたりも「単に有名人の頭数がほしいだけなんじゃないのか」という感じがある。わかるかしら。
 問題に対して思うところはあるが、お前らの仲間にはなりたくない、という気持ちがあり、積極的に参加する気にならない。なぜ積極的でないかといえば、前述の通り、思ったよか面白くないからだ。人生の一部をかけるほどワクワクしないからだ。なんかみんな悲壮な顔をしている。それで、誰が、参加するのか。
 というのを、たまに外骨を見かえして思ったりした。

 なお一方、もうちょっと文芸の方面で何らかの目が出るのではないかと自分に期待していた時期もありましたが、当方、少なくともなにをしてくるかわからないおじさんとしてはもう少々は頑張っていこうと思いました。
 こういうところはちゃんと外骨の影響が残っており、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、誇らしい。

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。