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#109 わしらはどう生きてもよい

 混迷のインターネットリを生きるものとして「ネタバレとかネタバレぢゃないとかそういうものにあたしゃ振り回されたくないんだよキーッ」というわけで「君たちはどう生きるか」観てきた。ナウなヤングらの夏休み初日に観てきた。朝イチのせいかいい感じにガラガラであった。

 当方、どのくらいジブリが好きかというとあんがい好きであり古くは「魔女の宅急便」を映画館で観ているくらいには根が深い。「平成たぬき合戦」「隣の山田くん」あたりも多分映画館で観ている……一番好きなジブリ作品は紅の豚だ。
 しっかしご時世がら、直近で映画館に映画を観にいった記憶がとーんとなく、ハッキリ覚えているのは結婚前の妻と千里ヶ丘でみた「アーティスト」なのでもううすら十年以上前となる。そんなことあるのかしら。でも、そんなものかもしれない。映画館では「借りぐらしのアリエッティ」観た。「崖の下のポニョ」観た。となると、やっぱり「アーティスト」なのかなぁ。という話をカミさんとしていたら「ウォルト・ディズニーの約束」は観ていた。だがあれも10年前だ……(ここの段落、不要ですってよ)

 と、書いてはみたものの、感想文を書くに当たって「ネタバレとかネタバレぢゃないとかそういうものにあたしゃ振り回されたくないんだよキーッ」ということは毛頭ならなかった。これはもう、宮崎駿の「どうせ今回で長編作品でかいやつは最後だろうから好き放題して燃え尽きてやろうぜヘイヘーイ」といって8年だかかけて拵えたやつを「ほへーふげーすんげー」と云って観ておけばいいやつだ。

「アーティストの本気」ということを考えた。
 一人の人間が表現したいことを好き放題やったときには、個人的な認識の歪みというのがそのまま作品に反映されてワケがわからなくなる。ここを周りのスタッフなんかが「この辺は齟齬があるので直しましょう」とか「この辺はコストがかかりすぎますのでもうちょっと簡略化しましょう」とか「ここのつながりはわかりにくいので登場人物を足しましょう」とかなんとか云って”観やすく”してしまう。そうやっていままでのジブリ作品も製品、商品として世に出てきた――ということは、その時点でアーティスト本人の本気マジの出力ではないはづなのだ。

 その辺の制約をはずして、全身全霊で好き放題やったときに、作品はどうなるか、というのが本作の醍醐味なんじゃないかしら。屋敷に仕えているバアサンたちはみょうに描線がぐにゃぐにゃになるし、今までの作品の自己模倣もお構いなしにできるし、青鷺の中には見合わないサイズのおっさんが入ってるし、作画スタッフの苦労も考えんと大量のインコやペリカン、これから産まれる生命なんかが画面中を飛び回ることとなる。色々な質感の表現が思いつくままに飛び出してくる――ただ、つくり手にとっても受け手にとっても、「これは宮崎駿にあそこまで積み上げたものがあるからこそできる好き放題なんだ」という共通理解があるから成立している映画であろうので、そこそこ面白がるにはジブリ作品の経験値がないといけない気はする。
 そんなわけで「夏休みだから話題の宮崎駿作品を見に行きましょう」で楽しめるもんではない。むしろ、スーパーマリオワールドのスターロードのさらに先、みたいな。宮崎駿作品ファンのためのスペシャルコース、みたいな作品だなあと思った。

 畢竟、本作「(これだけやって俺はもう死ぬが)君たちはどう生きるか」でいいんぢゃないかなぁ……むしろこれほど考察できそうな要素がありつつ、別に考察しなくていい作品もないんじゃないかしら。
 もちろん考察してもよい。わしらはどう生きてもよい。

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