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ブックレビュー 【ペンギン村に陽は落ちて】

高橋源一郎(1951〜)
『ペンギン村に陽は落ちて』

「Dr.スランプ アラレちゃん」という漫画(アニメ)を、どれくらいの読者がご存知か分からないが、今回は説明もなしに進めさせてもらう。

私は則巻千兵衛が好きだ。
あらゆるキャラクターで一番好きかもしれない。
もう、人間性が好きである。

まず、千兵衛さんは天才だ。
一人でアラレちゃんというロボット(アンドロイド)を発明している。
今の科学技術と比較しても紛れもない天才である(後に宇宙船やタイムマシンも発明する)

なのに偉ぶらない。
どころか、隙がある。
カッコつけない(実際はみどりさんの前ではカッコつけるが3分しか持たない)
スケベである。
そして、優しい。

作中では妹ということでペンギン村の周りには通しているが、文字通り生みの親なので、やはりアラレとは親子関係だろう。
千兵衛さんには親バカ的な愛も感じる。

アラレちゃんはとにかく天真爛漫で、目を離せばすぐウンチをつつくし、規格外の怪力なので家だってすぐ壊す。

「コラー!アラレー!!」と怒鳴ることはあるが、どちらかと言うとツッコミに近い。
そもそもアラレの方が力が強いのでやり込められたりしている。
それでもアラレちゃんを温かく見守っている感じがするのだ。
それが、相手を信頼したり尊重している態度に私には映る。
だからこそアラレちゃんは伸び伸びと過ごせる(伸び伸びの限度を超えているが、それこそがこの作品の魅力だろう)

そんなアラレちゃんを生んだ千兵衛博士に私は憧れを感じている。

が、
今回は小説の紹介だったので、
以下、仕切り直しましょう。





小説は自由なものだし、もっと自由であるべきだと、私は高橋源一郎さんから教わった気がする。

文字媒体は自由なのだ。
例えば、蛇を巨大化することはこの1行で出来る。
宇宙人が雲を食べたっていいし、東京タワーの展望台で100人の盆踊りをしたっていい。

これを映像化するのは手間もかかるし大変であろう。
何より映像化をしてしまえば、そこでイメージは固定されてしまう。
小説ならば、読み手の数だけ形がある。
それこそが小説の魅力なのだ。

さて、お待たせしました。
今回は高橋源一郎『ペンギン村に陽は落ちて』の紹介をします。

が、この作品を論理的に解説するのは難しいです。
なので文字稼ぎの前置きをしました。
まず、あらすじを説明することが出来ません。
そこに意味はないのです。

表題作の「ペンギン村に陽は落ちて」は、ペンギン村が舞台ですが鉄腕アトムが出てきます。
「愛と哀しみのサザエさん」という物語には、ウルトラ一族とエレキングとゼットンが登場します。

裏表紙の説明を借りるなら、破天荒な痛快ファンタジーです。

それでも感想を言わせてもらうなら、色々なイメージを脳みそに詰め込まれ、さらにミキサーでグルグル回される感じです。
総括すると、冒頭で言った小説の自由さを知りました。

そして、実際に自分で小説を書いてみると、この自由というのがどれだけ大切か分かりました。
どうしても小説っぽく書こうとか、ありもしない小説という枠の中に一生懸命詰め込もうとしてしまう自分がいるのです。

もっと自由にチャレンジしてみよう。
書くこと、作ることを楽しもう。
そんなことを思える一冊です。

ではでは。




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