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小説を書いてみてわかったこと

中学、高校と自分の夢は小説家になることでした。
とはいえ、卒業文集に書いたわけではないし誰かに言ったこともないです(近しい人と当時の恋人にはこぼしたことがあるかもしれないけど、そこは見逃してください)
他言をしなかったのは単に気恥ずかしいというのと、どうせ自分がなれるわけがないという理由からでした。
なので、夢というより妄想に近いですね。

当時はそれだけではない、色んな妄想を抱えていたので、実際に執筆することはなかったです。それでも本だけは読んでいました。単純に読書という行為は好きだったからです。
将来について悩んでいた頃、村上龍の『13歳のハローワーク』という本に出会いました。
この本は文字通り13歳に向けて、世の中にある様々な職業を紹介しているものです。その中の『作家』の項が印象深かったので、少し長いけれど引用させてください。

13歳から「作家になりたいんですが」と相談を受けたら、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう。医師から作家になった人、科学者から作家になった人、教官僚から作家になった人(中略)風俗嬢から作家になった人など、「作家への道」は作家の数だけバラエティがあるが、作家から政治家になった人がわずかにいるだけで、その逆はほとんどない。つまり作家から医師や教師になる人はほとんどいない。それは、作家が「一度なったらやめられないおいしい仕事」だからではなく、ほかに転身できない「最後の仕事」だからだ。
(中略)
作家の条件とはただ1つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。

『13歳のハローワーク』



なるほど、と思いました。
当時の自分は何の経験もなく(そもそも小説ひとつ書いたことがない)そんな自分が作家になれるわけがないし、なるべきではないと思ったのです。

かくして自分は「調理師」になりました。
その辺の事情はここには書きませんが(過去の記事には少しあります)その後、訳あって退職しました。
そして時間もできたので、このnoteという場所を見つけました。
料理と好きな本について最初は書こうと思って(これからも書きますが)書きました。そしてその中で、他のクリエイターさんたちに触発されて小説も書いてみました。短編(とも呼べない掌編)小説を、それこそ初めて書いてみて投稿したら、スキとコメントがつき、それが嬉しかったのです。
もちろん、自分でも拙い作品だとは分かっています。それでもフィードバックがあることで、次も書いてみようと思えました。
おそらく、これが自分一人で書いていたら「こんなんじゃなーい!」と、クシャっと丸めてポイしていたでしょう。そこを自分も投稿してみたいという気持ちになれたことで短いながらも最後まで書いて投稿できたのだと思います。

「どんなに高尚な未完のアイデアより、完成させた未熟な作品の方が尊い」

そんな金言を体感できた瞬間でした。

同時に書いてみて分かったことがあるので、それも少し書きます。

『見るのとやるのでは違う』

これはスポーツでもそうですし、小説でもそうでした。
誇るほどではないですが、それなりに自分も小説を読んできたので、実際に書いてみたらそれを痛感しました。
以下に、今の自分が感じた小説の難しさを記してみます。


1. 解説書になってはいけない


小説というのは想像させたり、余白を与えるものだと思いました。
家電の説明書のように、これがこうなって、こうなるのですと説明してはいけない。
たとえば、「かわいい花がありました」と記せば、読者からしたら「かわいい」が固定されてしまう。そこを「秋風に揺れる、小さく白い花がありました」と記せば読者に想像の余地ができて、儚いとか、かわいいという感想が生まれる。
それこそが小説の魅力なのに、自分は解説になっているなと思いました。


2. 変化、成長がなくてはいけない


主人公が冒頭とラストで何の変化もなかったらどうでしょうか。それはやはり、物語として物足りないように思います。それが魔王を倒すとか大袈裟じゃないにしても、仮にバッドエンドだとしても変化は必要だと思いました。
私自身、エッセイとか何気ない日常を描くものが好きだったのでそうなってしまいがちでしたが、小説(物語)は変化が必要条件だなと思いました。


3. 自分の信念にゆさぶりをかけるために書く


こんなかっこいい言葉、自分で思ったのではありません。
これは、遠藤周作先生の言葉です。
先生の作品は大好きなので今後レビューを書くつもりですが、今回はこの言葉の意味を考えてみます。
おそらくこの言葉は、「今まで作者が獲得したものを吐き出すものではなく、創作それ自体が、作者が新しく何かを獲得する方法」という意味だと解釈しています。
もちろん、この域まで自分は到達していません。
ただ、この先書くからにはここを目指して(これを感じるまで)書いてみたいと思いました。

以上が、実際に自分で小説を書いてみて感じたことです。
まだまだ未熟ですが、ここで小説を書く喜びを知れたのは自分の人生にとって財産だと思っています。
そしてそんな機会をくれた他のクリエイターの一部の方が、文学賞に応募しているというのを目にしました。普段から拝読していたので当然のレベルだと思いましたし、早く有名になって欲しいと願いました。
同時に僭越ながら自分も応募してみたいという気持ちが生まれました。自分のレベルはさておき、何か目標に向かって形にしたい。せっかくできた時間なので、後から振り返った時に思い出せるものにしたい、そう思いました。
とは言え、この時間は無限ではありません。いつまでも「極貧の作家志望」を続けるつもりはありませんし、現実問題、働くことになりますし仕事も探しています。
なので、今月は応募用の小説に集中してみようと思いました。その作品が完成してもここで発表することはないと思いますが、その合間にもエッセイや、簡単な短編(掌編)小説はここにも書きたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

最後まで読んでくださりありがとうございます。サポートいただいたお気持ちは、今後の創作活動の糧にさせていただきます。