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植物に学ぶそれぞれの個性

今日は個性というものに関して、私が凄く印象に残っている本を紹介したいと思います。

稲垣栄洋さんの『はずれ者が進化をつくる』という本です。


日本の学校教育はルールを守れる扱い易い均一化された人間を育てておきながら、社会人には独自性や個性を求めるという風潮があります。

現にそのギャップに苦しめられている人間も多いと思います。

「個性というのは生物が生き残るために作り出した戦略である」とこの本は語っています。

例えば植物には、美しい花を咲かせ蜂などの虫を媒介して受粉するものや、たんぽぽの様に風に種子を載せて飛ばし受粉するものもあります。

「いつ芽を出しいつ花を咲かせいつ?」はその植物が自然界で生き残る為に編み出した戦略そのものなのです。

花を咲かせた時期が気温の低い氷河期だと、蜂などの自らの種子を運んでくれる虫が存在していない可能性があります。

梅雨の様に雨の多い時期だと、綿毛が雨で濡れてしまい種を遠くへ飛ばす事ができずに絶滅してしまうかもしれません。

そう考えると花を咲かせたり芽を出す時期というのはバラバラの方が良いのです。

しかしそれだと困ります。

誰が困るのか?人間が困るのです。

厳密に言えば農家や学校の先生などの様にそれらを管理する側の人間が困るのです。

子供達が将来どんな大人になるかは分からない。

子供達が将来どんな障害にぶち当たるかも分からない。

そう考えると子供の性格や考え方は違った方が良いのです。

バラバラであった方が良いのです。

でもみんながバラバラだと大人が困るのです。

だから「平均」「基準」「普通」「物差し」という様な言葉を用いて、人の個性を均一化しようとするのです。

私も仕事柄、子供達を管理する立場にあるのでその気持ちは痛いほど分かります。

基準や物差しを用いて、行動や考えを統一し管理していかないと集団として上手く機能する事が凄く難しいからです。

それが必ずしも悪い事だとは思いません。

集団生活をしている私たち人間にとってそれは必要不可欠であるからです。

しかし、その平均や普通といった基準に自分が当てはまらないからといって「自分はダメな人間なんだ」と思わなくても良いのです。

この本は植物の様々な生存戦略から、その事を気付かせてくれます。

雑草魂と聞くと「何度踏まれても立ち上がる事」というイメージを持つ人も多いかもしれませんが「何度も踏まれているのにも関わらず、その場所で立ちあがろうとする事はエネルギーの無駄使いである」と雑草は考えているのか、雑草は何度も踏まれると立ち上がらなくなるらしいです。

「雑草って意外と大した事ないな」

そう思った人もいるかもしれません。

しかし雑草の凄いところはここからです。

雑草はどんなに踏まれても、上に伸ばしていた葉を今度が横に伸ばしてみたりしながら、必ず花を咲かせ種を残そうとするそうです。

踏まれも踏まれても大切な事を見失わない事。

それこそが雑草の強さであるとこの本は語っています。

その他にも【キーウイという鳥は空を飛べなかったから生き残れた話】とか【イギリスで起こったジャガイモの悲劇】とか動物や植物の知識を用いた個性に関するエピソードが盛り沢山で凄く面白いです。

私はこの本を読んだ事で、街中に生えている植物を見るのが少しだけ好きになりました。

中央分離帯で芽を出した雑草たち。
限られた面積での競争は競合となる他の植物が少なく、それぞれがのびのびと育っている様な気がします。



個性とはなんなのか?
普通とはなんなのか?

みんなと同じである事を強要される社会に嫌気がさしている人に特におすすめです✌🏻

稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』

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