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「暮らし」があるから「町」がある

上川町への移住を決めた当時は「きっと何かできるはず」という根拠のない自信と、「移住者の自分ができることなんて本当にあるのだろうか」という不安と、両方あった。
移住して4年が経ち、現状何かやれてるのか言われると、やれてることもあるかもしれないけど、やれてないこともたくさんあるよなというのが正直なところ。

でも、この町出身じゃなくても今暮らしているこの町をもっと良くしたいという嘘偽りのない純粋な思い(衝動と言っても良いかもしれない)があるからこそ、今の自分たちにできることを精一杯をやりながら生きていきたいと思う。
そのためにはこの町での自分たちの役割をもっと認識した方が良いということも最近わかってきた。

大切にしたい人が増えるにつれて、主語が大きくなってきた

移住してまだたったの4年だけど、それでも4年も住んでいると大切にしたいと思える人が町の中にどんどん増えてくる。
この人たちとこの先もこの町で楽しく暮らしていきたい。
もちろんこの町を去る人もいるだろうし、また新たにやってくる人もいるだろうけど、離れても仲間だと思えるくらいの思い出を一緒に作っていきたいし、新しい仲間が増えていくことは本当に心強いし、嬉しいことだ。

気がついたら主語が「自分」から「自分たち」になっていて、個々人の役割もそうだけど、お店としてとか、会社としてとか、この町としてとか、主語が大きくなってきてる。そしてその中でのそれぞれの役割も考えるようになってきた。

住んでいなくても、この町に関わり、一緒に何かやりたいと思ってくれる人たちがいる。すごいことだなと思う。
ポルトに来てくれるインターンや、今手がけている「泊まれる複合施設」ANSHINDOの解体作業を手伝いに来てくれる人たちなんかもそう。
町単位で言えば連携協定を結んでいる企業なんかもそうかもしれない。
きっと地球規模の流れと逆行する形で人口が減っている日本のローカルは、こうした「住んでないけど一緒になんかやってくれる人たち」の重要性がどんどん増していくんだろうな。

「住民という概念のない町」という話

今の時代の流れを捉えているし、確かに〜!と思うこともあったし、「投げ銭納税」はちょうど最近自分たちでもアイデアとして話していたことだった。
そんな感じでこの動画を見ながら「面白いこと思いつくな〜」なんて感心しつつ、それでもやっぱり住んでいる人たちがいるからこそ、住んでいなくても関わりたいと思ってくれる人たちがいるんだよなとも思う。
覚悟というか、語弊を恐れずにいえば諦めのような思いも抱えながら、それでも「この町で生きていく」という意志を持った「住民」がいるからこそ、そこに共感し、関わろうとしてくれる人たちが生まれるんじゃないだろうか。

町には「暮らし」がある。

「目には見えないけど手触りのある何か」が同じ時間や空間を共に過ごすことで人伝に受け継がれていき、そこで醸成される「小さな文化」の集合体が暮らしとなり「町」を形作っている。
バーチャルを用いて住民の概念を拡張するというアイデアは面白いし否定するつもりもないけれど、きっとリアルな暮らしがないところに本当の意味で町は存在できない。

この町にある資源や魅力を、この町で暮らす人たちが直接的に享受することで感じられる豊かさもある。とれたての野菜が食べられるとか、景色がめっちゃ綺麗とか、空気や水が美味しいとか。
ただそれだけだと社会とのつながりや地元に対する「誇り」、所謂シビックプライドと呼ばれるようなものは生まれなさそうな気もしてる。
だからこそ、外とのつながりを持つことには大賛成で、住んでいなくも関われるとか、観光地として旅行者を受け入れることで外の人たちに自分たちの町の魅力を伝えて、好きになってもらうことで「誇り」を育んでいくことをやっていきたいとつくづく思う。
ないものをあるように見せて、ただ魅力的に見えるように取り繕うのではなく、ここで暮らす自分たちがこの町の魅力を感じて、認識して、その魅力を外の人たちにも伝わるように整え、届けて、共感してくれる人たちの輪を少しずつでも広げていければいいな。

そんなことを考えながら最近はANSHINDOの解体作業を頑張っています。
さっき公開したこちらの記事も呼んでほしい。
マジで解体工事に猫の手も借りたいくらい大変。
見学だけでも大歓迎なのでぜひ覗きにきて欲しいです。


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