見出し画像

【まとめ】少年野球の問題は哀しい大人たちの問題だ(終)

 【まとめ】は今回で最終回だ。長々とお付き合いいただいた方には心からお礼を言いたい。そろそろ本当に、学童野球に関するポジティブな発信をしたいと自分でも思う(笑)

 さて、最後に誤解のないように言っておきたいことがある。
 まず私は、少年野球(学童野球)の競技人口が減ろうが増えようが興味がない。もし競技人口を劇的に回復させたいのであれば、タイパの悪い「野球」というスポーツのルールそのものを見直す必要もあると感じている。

 また学童野球に限って言うならば、もっと細かくルール化をして、それに反したチームは出場停止にする厳しい措置が必要だろう。ルール化すべきことは色々あるが、私としては「一試合で、登録選手全員を必ず試合に出さなければならない」をおすすめしたい。これでかなりの問題が解決すると思っている。「そんな無茶な!」と困惑する指導者がたくさん出てきてくれることが望ましい。困らなければ改革は進まない。

 それから、今更信じてもらえないかもしれないが(笑)、私はチームに在籍する親子が指導者、関係者、審判、大会運営者たちに敬意と感謝の気持ちを持たなくて良いと思っている訳ではない。私がここに書いて来たことが全くあてはまらない素晴らしい人はたくさんいるだろうし、例え当てはまる人だったとしても活動してくれること自体はありがたいことだからだ。

 では何のためにこれまで舌鋒鋭く哀れな大人たちを責め立てる文章を書き続けてきたのか。・・・なんてことはない、私自身も危うい人間だからだ。ちょっと気を抜けばすぐに勝ちたくなるし、感情的になるし、自分のプライドを優先してしまう弱い人間だからだ。だから常に自分に問い続け、自分を律し続けなければならない。

 子どもの頃、私の目に大人たちは・・・とりわけ60代以上のおじいちゃんおばあちゃんたちは、もはや人生を達観した仙人のように映っていた。
 ところが自分がその年代に近づくにつれハッキリと理解した。年齢で人間の成熟度は測れない。幼稚なままで年だけ取ったような、感情のコントロールがきかない大人が世の中にはあふれているのだと(私含め)。 

 一方で、そういう大人たちが365日、全方位的に悪人かと言えばそうではない。皆誰かの大切な家族で、誰かのかけがえのない友人で、誰かに必要とされているごく普通の隣人である。
 だから私はここに書いてきたような哀しい大人たちに安心して言うことができる。「あなたには少年野球の現場よりもっとふさわしい場所がありますよ」と。「子どもたちを利用するのはもう終わりにしましょう」と。

 本来、大人たちにとって少年野球の現場はつらいものであるはずだ。「勝ちたい」という本能に蓋をして、今日試合に出ていない子を出すためにメンバー交代を告げなければならない。大事な場面で打てなかった子、凡ミスで失点を許した子に苛立ちをそのままぶつけることなく、励ましたり教え諭したりしなければならない。

 理性的な大人として少年野球に関わろうとすればすれほど、「リフレッシュの場」などと簡単には言えなくなる。自分の喜怒哀楽を誰にも遠慮せず本能のままに発露できる場ではないと分かって苦しくなる。「結局仕事と同じか、それ以上にストレスがたまる場所じゃないか」とため息が出る。
 でもそれが正しい。それが「教育」の現場で必要とされる大人の姿だ。

  少年野球(学童野球)に関わる大人の皆さん。

 もしあなたが今日の活動を思う存分楽しんだなら、あなたの活動、あなたの関わり方は間違っている可能性がある。あなたが楽しめば楽しむほど、子どもたちが犠牲になっていく可能性がある。

――少年野球(学童野球)はまずそこからはじめるしかない。

 2023年12月1日 内野ライト       

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?