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共依存には「すがすがしい好き」がないんだってばよ。のお話し

私は自分が母親と共依存に陥っているという認識を持つことはなかった。

問題は「相手」にあるのだと思っていた。

人間関係がうまくいかないのは、すべて「相手側」に問題があるのだと思っていた。

他人を変えることはできない。変えることができるのは自分だけ。

その言葉が「わかっている」と思い込んでいた私が、問題は「相手」にあると思っていた。

一生懸命努力しているのに、うまく物事がすすまない。そんなときはそんな「わかっていると思い込んでいる」勘違いをしたまま道をつきすすんでいるのだと思う。


私は「私がかわいそうだと思う人」を放っておくことが我慢ならなかった。

その「私がかわいそうだと思っている人たち」は、相手が私のことを大好きだと言っていたはずなのに、とんでもないことを言ってくる。

実際、最後の暴言を私に言った彼らは傷ついていたのだと思う。

それは「あの子なら、絶対に私の言う通りの奴隷になってくれるはずだという信頼を裏切った」という傷つきである。

いつだって、

「私が自分の主義主張をしたとき」

裏切られたと相手は感じ、私を攻撃してくる。

そして、私は「自分は正しい」と思っていた。私には相手がどういう立場でどういう感情にいるのか、自分とは違う人間だという前提のものでの「共感力」がおそろしく欠落していた。

私は同じことを何回も繰り返しているのだから、救われるべきは「自分」なのに、いつだって「かわいそうな人」を探して、救おうとしていた。

メサイアコンプレックスというやつなのかもしれない。

結局救えなかったという自分の無力さを目の当たりにしながらも、問題は「相手」にあり、暴言を吐くような「愚かな人」と断罪した。


結婚生活で、見事にモラハラ夫と結ばれ、精神疾患と病気に苦しみ、それでも「相手」が悪いのだと思っていた。だから、夫の言うことをよく聞いて理解して寄り添ってあげれば解決するのではないかと夫にひたすらに寄り添った。


離婚後、母親の過干渉はひどくなり、ストーカー化したり、いろんな問題が起きた。すべて「母親」が悪いと母親を断罪し続け、一方で母親に寄り添っていた。


私は、母親と夫以外の人からは、罵詈雑言を浴びせられた時点で切り捨てていた。

そんなことを言われてまで親しくする必要はない。そもそもそっちが近寄ってきたのだから。私はあなたのこと好きじゃない。といつも思ってきた。

だから、二度と会えないことを悲しいとか苦しいとかあまり思わなかった。私が好きな人たちじゃなかったから。


母親と夫のことは好きな気持ちがあったから、離れることがこの身が引き裂かれるような苦しみがあった。

この自分が好きな気持ちがある人と依存関係に陥ると共依存にずぶずぶにはまっていき、生活に支障をきたすのだと思う。

自分が好きじゃない人だと、さよ〰なら〰とお別れして、何回も同じことを繰り返すけれど、人間はたくさんいるから、生活に支障をきたすことはない。(自分が問題を抱えた困った人間ではあり続けるけれど)


私が母親と共依存に陥っていて、「自分」が変わらないと何も解決しない。

私は心療内科の先生との会話の中で、少しずつ母親の「嘘」に気付くようになっていった。

母親が私をコントロールしようと何かを買ってくれたり、お金をくれたり、ラインを送ってきたりしたときに、強烈な違和感を感じるようになり、過呼吸になったり、拒絶反応が起きるようになってきた。

しばらくすると、私が「母親のマインドコントロール」に徹底的に侵されていることに気付いた。


・いつも私は「母親のために存在し続ける」と本心から思っていた。

・母親の言うことに反感を感じても、最終的には母親を擁護した。

・ウォーキングをしながら、いろんなことに思いを巡らせて、悩みを解決しようとかんがえていたとき「私は母親を救うために生まれてきたのだ。すべての試練は、母親を救うための私の試練だ」という結論に達して納得して家に帰ってきた。


幼少のときから、母親からそう刷り込まれてきた。

「末っ子ちゃん(私)は、お母さんを導いてくれる存在なの。あなたは特別で、天使のようなすばらしいやさしい顔で生まれてきた。だから、私のそばに未来永劫いてちょうだいね。お母さんを導くことがあなたの天命なのだから。」

と。

このような直接的なわかりやすい表現ではなく、巧みな、耳聞こえのいい、いろんな表現で、ずっと私に囁いてきた。

4月18日の私の記録では

母に嫌われることが何よりもこわくて無理だった。でも、母と連絡をとりつづけながら、私自身新しい考えを取り入れ、自立を目指すことは無理なことなのだとわかっていた。どうしたって母は私に甘えるし、私は自分を傷つけて母の自尊心を満たすことをいったりしてしまう。

共依存の関係なのだと思う。

「私」が母から自立しなくてはいけなかったのだと思った。大失恋のような悲しみがおそってきた。

と、あり、このときに、一度、本気で連絡を絶つことを母親に宣言している。(絶縁ではなく、いつか私が共依存を克服できるまで)

以降、私の記録には「自立」という言葉が頻繁にでてくるようになり、私は不眠になったり、フラッシュバックに苦しんだり、下肢の急激な冷えなど自律神経異常などに、結構、ものすごく苦しい思いをしたような気がする。

私は、「自立」ということを念頭に、「自分を知る」ことにつとめた。

これまでは「相手」に問題があると、夫や母親がどんな人間であるかを知る努力をしてきたが、「自分」にフォーカスをむけた。

7月1日に、自分が精神疾患の状態から抜け出しつつあるような気がすると記録されている。実際、以降、精神的にかなりつらいストレスに感じるようなことが起きているが、精神疾患のような苦しみはない。

7月22日

母、姉から「以前の日常」に引き戻されるような出来事に巻き込まれた。

「以前の日常」とは、父、母の意見が絶対であり、その次は姉の意見。私の意見はゴミで、一切末っ子の意見は聞かなくてよろし。という日常。

幸いなことに、というか、人生ってそういうものなのかのしれないという不思議な感覚で、精神疾患がぶり返さなくなってきた状態で、「以前の日常」を再度体験できたことになり、父も母も、姉も、なにも変わっていないという事実を私は認識することができた。

私はスピリチュアルにはまっていたこともあり、スピリチュアルでは、自分が変わることでなにか目に見えないものが伝染して、周りも変わっていく。的な教えがあることがあり、私は自分自身が成長してけば、父も母も、姉も仲良しの家族がいつか実現するかもしれないという幻想をいただいていた。

この「嘘」に気付くことができた。


自分が成長し続ける中、成長した後で、関わる続ければ、相手も変わらざるを得ないことがある。


↑が真実なのではないと思う。

これまでへいへい〰。と奴隷をやっていた人間が、奴隷解放宣言をして、もういいなりにはならない。となったら、関わる相手は変わらざるを得ない。当たり前のことである。奴隷をやってくれないのだから、自分のことは自分でやらないと誰もやってくれなくなる。

だけど、へいへい〰と奴隷をやっていた人間を数年前に解雇し、その奴隷が成長し、関わりのないところで奴隷解放宣言したところで、新しい奴隷がいるかもしれないし、全くなんの影響もない。

関わりを持たなければ、関係ない。ということなのだと思う。まさに字のごとく。


これが真のスピリチュアルではなく、お金儲けが入っているスピリチュアルの「嘘」であることに気付けて良かった。

結局、根っこの部分を解消しなければ、いつまでも問題が発生するから、悩みがでて、スピリチュアルにお布施するのだ。

大事なのは、自分が成長することで、自分の考えがかわり、「相手」に振り回されない、「相手」を変えようとしないということ。

自分が成長することで、自分の家族に何も言わなくても、関わりを持たなくても自然に変わっていくんですよ〰。ほわほわ〰。なんていうのは、親子共依存の人にすると親のために変わろう!って考えに陥ってしまうかもしれない。伝染してくれ〰。ほわほわ〰。って目的がすり替わるので共依存からは抜けられない。


私はだんだん「私の話を聞く耳をもってもらう」ということに重きを置くようになってきた。

私はアドラー心理学でいうことの「プリーザー」が強すぎた。

他人軸で、相手に好かれるために行動し、相手に好かれるための言動を選ぶので、自分の主義主張をすると相手から嫌われると思っていたのだ。


昨年の2月からたくさん勉強した。いろんな本を読んだり、いろんな人の話に傾聴したり、アドラー心理学も独学で勉強し、何回も読んだり、ノートにまとめたり、audibleで何時間聞き流したかわからない。

嫌われることは悪いことでもなんでもなく、嫌われることこそ、自分の個性、自分の主義主張の誇りに思う行為の結果であり、自分の人生、自分のことを大切にできていることの証なのだということがなんとなくわかっていた。


それは、7つの習慣の「人格主義」にも通じる話なのだと思った。

私の父、母は「人格主義」が全くといっていいほどない。

父は私が太ると「痩せているとこんなに美人さんなのに、もったいないなぁ〰。痩せてくれよ〰」とよく笑いながら言っていた。痩せている、美人なのが偉く、誇らしいと思っているのだ。たとえ太っていたって中身は私で、愛しているというのであれば、愛する娘なのに代わりはないのに。

母はとにかく「お金がある人」「権力」に弱い。

お金、権力、容姿、腕力 等々

すべて、人格主義のめくらましになる。人をコントロールできる力がある。

だから、

お金さえあれば、

権力さえあれば、

容姿さえあれば、

腕力さえあれば、

相手の話を聞かずに言いなりにならせることができる。

私の父、母、親族はこの考えしかもっていない。


そして、ある日、気付いた。

私が精神疾患で大変なことになっていることを知っているのに、私の手を握ってくれる人はこの家族の中にはいなかった。


そんな人たちを「好き」とおもう私に問題があると思った。

これの「好き」というきもちは執着だと思った。夫に対して抱いていた気持ちと一緒だと気付いた。

私は離婚を決断するまえに、夫のことが好きだから「別れることがつらくて決断できない」とよく泣いていた。

でも、離婚から7年がたち、これっぽちも好きだという感情はなく、過去の感情も、「好き」とは違うということがわかっている。一回も好きになってない。執着はあったけど。


母親に対する「好き」という感情も同じものだと思った。


そして、「罪悪感」と向き合った。

ずっとずっと、自分の「罪悪感」とは向き合っていたけれど、やっといま、わかってきたのは、

「罪悪感」ってお礼返しをしないといけない

この思想が根底にあることだと思った。


母親が見返りを求める人で、私自身も見返りを求めていたし、それ以上にお返しに敏感で、お返しできているか不安で、「罪悪感」に苛まれてきた。嫌われなくなかったから。


でも、違う。


してくださったことには「感謝」で終わり。

ありがとうございます。で終わり。

そのしてくださった人に返さないといけないなんて義務もなく、むしろpay it forwardだと思う。


そのことにきづき、母がしてくださったことにたくさん感謝した。


お母さん、産んでくれてありがとう。

おいしいものをたくさん食べさせてくれてありがとう。

いつも甘えさせたいとおもってくれてありがとう。

お母さんは自分の部屋がないのに、私に一人部屋を与えてくれてありがとう。

テニスラケットを買ってくれてありがとう。

塾に通わせてくれてありがとう。

私立の学校を卒業させてくれてありがとう。

英語の教材を買ってくれてありがとう。

シドニーに食べ物を送ってくれてありがとう。

扁桃腺除去術のときに地方に来てくれてありがとう。

小学生のとき、お仕事していたのに、家庭科の実習でお米を忘れて、届けてくれてありがとう。

一緒に食べ歩きしてくれてありがとう。

たくさん一緒に銭湯にいってくれてありがとう。

羽田空港まで迎えにきてくれてありがとう。猫さんが一緒だったから、一人で帰ってくるのは大変だった。

一番、いつもそばにいてくれて、ありがとう。


これは、心の底から、お母さん、ありがとうと思うこと。

これはやってほしくなかったけど、ありがたく受け取らなければいけないってことは含まれていない。


お母さん、たくさん、たくさんありがとう。


私は母親に伝えているけれど、もう2度と会うことはないかもしれないと覚悟を決めている。

それは、会うことがあってもいいし、会わなくてもいいという覚悟。


母親からは、ラインの連絡がきた。

これまでは「絶縁って言ってるのに連絡してこないでよ!」とむきになっていた。

でも、今は、母が連絡をよこしても、なんの感情もわかない。

既読スルーが罪悪感がまったくなくできるようになった。

そこになんの感情も動くことはない。


お父さんにも、お母さんにも、お姉ちゃんにもたくさん感謝している。

本当に、本当に、たくさん、ありがとう。

そして、さよなら。


これが共依存から抜けるってことなのかもしれないと思った。


Debbie Gibson の Lost in your eyes を聴いた。

I don't mind not knowing what I'm headed for
You can take me to the skies
It's like being lost in heaven
When I'm lost in your eyes

自分がどこに向かっているかなんて気にしない。

空に連れて行ってよ。

天国でさまよっているよう。

あなたの瞳に夢中になったとき


「好き」って、こういうすがすがしい気持ちなのだと思った。

私が母親や夫を思っているときの「好き」にはこういうすがすがしさが感じられない。

猫さんに対する「好き」はすがすがしさしかない。

すがすがしさ を大切にしていきたいとおもった。



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