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『必殺技はアイスラッガー』

巌男は母親に聞いた事がある。
今まで生きてきて一番良かった事は何かと。
やり残したことや悔いが残ることはあるかと。

その日は丁度、母親の誕生日だった。

「孫が出来たのが一番嬉しい」と母親は答えた。
孫とは妹の娘の事だ。
「悔いが残る事はいっぱいあり過ぎて分からん」
巌男の予想していた通りの答えだった。


「あんた自身はこの世に生まれて来て良かったと思うか?」巌男が聞いた。


「特にそうは思わない」と母親は言った。
「ナニ変なこと言っとるの?酔っとるの?」

「あんたがいつ死ぬか分からないから言っておくが、あんたの子供に生まれて良かったと思ったことなど一度もないし、生まれて来て良かったと思った事もない」と巌男は言った。
素面でも同じ事を言ったはずだ。

巌男の母親はとんでもない俗物だ。俗物過ぎて地上の言葉では言い表せないくらいの俗物だ。

分かりやすい悪、説明の付きやすい悪は、本当の意味での悪ではない。説明の付きやすい俗物も本物の俗物ではない。俗物の言動を具体的に並べ立てたところで、大した分析や解説になりはしない。もし仮にあの俗物の子供が巌男以外の別の誰かであったなら、あの人はとっくの昔にその別の誰かに頭をカチ割られて死んでいただろう。だから巌男はとても寛大な人間なのだ。


子供の頃に巌男は母親から言われた事がある。

「アホな子とは付き合うのは為にならんからやめろ」

親よりもアホな人間には巌男はついぞ出会ったことはなかった。




8月の蒸さる夜、スカイツリーは満月を突き刺して隅田川がそれを鏡のように映し込んでいた。巌男と女は車を降り、川辺りを少し歩いてから車に戻った。
巌男は言った。


「ウルトラマンの技でスペシウム光線ってあったけど、こうやって腕をクロスさせてさ。男の子なんで、子供の頃は何度も練習したよ。練習すればそのうち出るんじゃないかって。コツとかあるんじゃないかって。角度とか力の入れ具合とか何かテレビでは明かせない合言葉のようなものでもあるんじゃないかって。でも何度練習しても光線なんて出た事がない。その時思ったよ。大人になれば出るんじゃないかって。スペシャルな何かが出るんじゃないかって。子供だから出ないけど、大人になればきっと出る。だから今は大人になるまで辛抱しようって。本当に下らない子供時代の話だよ。でもさ、そんな時なんだよ。人生下らないけど、ふと子供の頃の下らない事を思い出して、自分の子供の頃って思ったよりも悪くなかったかなって、だから今の自分もそんなに悪くないかなって、そう思えるんだよ。何故かそんな気がして来るんだよね」

巌男は車の中から外を見上げた。隣で女が穏やかに笑っていた。

「あなたの人生って、本当に下らないかもね。だってそれ、私も子供の頃にやったから。シュワッチ!シュワッチ!アハハハハ!」

飲んでいた電気ブランのせいで、女はすっかり出来上がっていた。


「惜しい!もうちょっと気合入れたら出せるんじゃない?」巌男はわざとらしく言った。


「そう言えば、トサカみたいなの飛ばすのもあったわよね?あれ、何て言う技だったかしら?ねぇ、なんて技?トオッ!トオッ!」

女は車の中で腕を振り回し始めた。巌男は話題を変えた。


「この前さ、ミスユニバースの番組見たんだけど、全然ピンと来ないんだよね。普通にアイドルとかの方が魅力的に思える。あれ、何を基準に選ばれるのかが分からん。どう思う?」

「うーん、綺麗だとは思うし、アイドルとかより筋肉のバランスが良いとか?と言ってボディビルダーみたいにゴツくても駄目で、胸は大き過ぎず小さ過ぎずだし。スポーツ選手の様にストイックで有りつつも、バストはストイック過ぎないでいて欲しい。かと言って豊満過ぎず、妖艶過ぎず、エロ過ぎず、適度なセクシーさと適度な清純さと、適度な清潔さと、賢さ健康さ顔立ち。なんか難しいわね」

すると巌は女を抱き寄せ、女のおでこにキスをしてこう言った。


「僕には君がミスユニバースだよ」


「あははは。ナニ急に馬鹿な冗談言ってんのぉー。でもあなたにそう言われると嬉しい。あなたって詩人ね」


「君はミス・ユニバース。カッコ笑い」巌男は遠くの方を見ながら言った。


「えっ?今なんて言った?カッコ笑い?うわー。はぁ?ムカつくぅー。あなたなんかもうどうでもイイわ。もう、どうでもイイー。あなた本当腹立つわね。もう、イイから。もーう、分かったから。もう、必殺技出しちゃうもーん。ハドウケーん!ハハハハ」

「愛してるよ」巌男は女を抱き締めながら耳元で囁いた。

「本当?」

「カッコ笑い」

「あなたって最低!人としてどうなの?」
「人としてどうなの?と言うのは人としてどうなのかな?」
「人としてどうなの?と言うのは人としてどうなの?と言うのは人としてどうなの?」
「人としてどうなの?と言うのは人としてどうなの?と言うのは人としてどうなの?と言うのは人としてどうなの?」

「もういい!ムカつくぅーッ!ロケットパーンチ!」


この女とは絶対に別れようと今夜も巌男は思うのだった。月が傾き蠍座が空に霞んで見える、そんないつも通りの下らない夜だった。



おしまい

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